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後編

 その夜、レムリス家に泊まったエスティリアは、眠れない夜を過ごした。

 エスティリアがショックを受けているのは、ジルディオが変わってしまったことについてではない。

(私は、ジルディオ様に恋をしているつもりだったわ。でも、もしかして違った? 十歳の時、理想の王子様みたいなジルディオ様のキラキラな外見にポーッとなって……そのまま、幼い気持ちのままで、身体だけ成長してしまったのかしら?)


 戦争で離ればなれになってしまっても、美しい婚約者はエスティリアの自慢だった。友人に彼のことを聞かれた時は、その紳士っぷりはもちろんのこと、必ず外見も褒めた。どこかで見目麗しい男性を見かけても、「ジルディオ様の方が素敵だわ。うふふ」と一人でうなずいたものだ。

 そんなことを繰り返すうちに、彼を想う気持ちはますます大きくなった。思い出の中で、彼の姿はますます光り輝いた。


(それが、こんな……外見と声が変わっただけで。私、何て失礼な人間なんだろう)

 大変な目に遭ったのに、心折れることなく、優しく紳士的なまま。ジルディオは強靱な心を持った、素晴らしい人だ。

 それがわかっているのに、戸惑いを消すことができない。あれほど待ち望んでいた結婚すら楽しみに思えなくなっている自分に気づき、エスティリアは激しく動揺した。


 その時ふと、エスティリアはあることに気づいた。

(ちょっと待って。離ればなれになる前……十歳から十一歳の時の私に、ジルディオ様は恋なんてなさってないわよね?)

 相手が十歳の子どもでは、本気で恋したはずなどない。むしろ本気で恋していたら色々と問題だ。かなり問題だ。

(私があからさまにお慕いしていたから、優しくして下さってただけ。私たちはそんな関係よね。そして今はまだ、再会したばかり。ジルディオ様はまだ、今の私をご存じない。……私が外見で人を判断する人間だなんて、ご存じない。結婚してからガッカリされるより、今なら……まだ……)

 しかし、まさか婚約破棄などと言い出せるはずもない。婚約の話はエスティリアの家の方から持ちかけたのだ。

 エスティリアはベッドから立ち上がり、部屋の中をウロウロと歩き回った。

(ジルディオ様も、私がそんな人間だとお知りになったら、きっと結婚をためらうわ。でもお優しい方だから、さっきみたいに「君は僕の外見にびっくりしてるだけだよ」とかおっしゃって、そのまま……ああ、でも私がずっとおかしな態度を取っていたら、きっと傷つかれる)

 そこで、エスティリアは足を止めた。

(ジルディオ様に、考え直す機会を差し上げるべきじゃないかしら? もし結婚をやめようと思ったら、それを言い出しやすいように)

 彼女は窓に近寄ると、カーテンを開けた。窓の外は夜の闇が広がっており、部屋の中にはろうそくを一本だけ灯してあるため、ガラスに自分の姿が映っている。

 ジルディオと並んでも恥ずかしくないようにと、髪も肌も丁寧に手入れしてきた。特に髪はエスティリアの自慢で、今は緩く編んで肩口から前に長く垂らしている。父親が「私の天使」と褒めてくれる容姿。

 エスティリアは、ぽん、と手を叩いた。

(そうだ。私とジルディオ様が、同じ条件になればいいのだわ!)


 それからしばらくの間、戦争が終わって社交界の催しが復活したため、貴族たちは忙しく華やかな日々を過ごした。

 ようやくそんな日々が落ち着いたある日、今度はエスティリアの家にジルディオを招き、食事会をすることになった。


 ヴィリカ家を訪れたジルディオは、やや日焼けが薄れ髪も伸びてきていたが、鼻の傷と節くれ立った手、分厚い胸板はそのままの姿だった。

「忙しそうだね」

 エスティリアの父に迎えられて握手をした彼は、微笑んで返事をする。

「戦争中の経験を、軍人たちに教えています。なぜか実戦訓練までやることになって。少しですが」

「それでがっちりした体型のままなんだね。君の経験は、辛いものだったとは思うが、軍部にとっては貴重なものだ」

「ええ。僕の経験が何かの役に立てばと思います」

「さあ、エスティリアは応接間で待っていると言っていた。行ってやってくれ。私はひとまず遠慮するよ」

 ジルディオは執事に案内され、応接間に向かった。エスティリアが彼の外見におびえていることはわかっていたので、今日もできるだけ怖がらせないようにしよう、と襟を正す。

 応接間の前まで来ると、執事は「お茶をお持ちします」と言って立ち去った。

 ジルディオは、扉をノックした。

「はい」とこもった声が聞こえた。彼は扉を開け、中に入った。

 ふと、ジルディオは鼻をうごめかせる。

(酒の匂い……?)

 ソファの向こう、大きな窓のカーテンに半ば隠れるようにして、エスティリアが立っている。

「エスティリア」

 ジルディオは微笑んで呼びかけ、そちらに踏み出した。

 エスティリアはゆっくりと、カーテンから離れてソファを回り込み、彼の前に立つ。

「ジルディオ様」


 ジルディオは息を呑んだ。

「エスティリア! どうしたんだ、その姿は」

 エスティリアの髪は、ざっくりと切られて肩口までの長さでピンピンとはねていた。バラ色のドレスは成長した彼女にはもう小さいもので、肩も合わず足は膝まで見えてしまっている。所々に色々な色のリボンが結びつけてあり、道化師のような珍妙な格好だ。

「こんにちは、ジルディオ様」

 頬を赤く染めた彼女の声が、かすれている。ジルディオは目を見開いた。

「エスティリア、声が!」

「強いお酒って、本当に喉が焼けるんですね。びっくりしました」

 エスティリアがコホッとせき込むと、酒の匂いがふわりと広がる。

「ふふ、なんだかふわふわして、楽しいわ」


 ジルディオは戸惑いながら、彼女に近づき問いつめた。

「なぜ、こんなことを。天使のような君が」

「天使のようだなんて、嬉しい。でも私、こうやって羽目を外すのも本当は大好きなの。見た目も声も変わったら、天使には見えないでしょう?」

 ジルディオをちらりと見上げたエスティリアの目は、潤んでいる。しかし彼女は、すぐに目をそらして言った。

「ジルディオ様、こういう私はいかがですか?」

「いかがって、心配だよ。さあ、少し水を飲んだ方が。水差しはどこかな。切った髪は? とってある?」

 あわてて辺りを見回すジルディオ。しかしエスティリアはそれに構わず、ニコニコと続けた。

「こんな私と結婚なんて、きっと想像できませんよね。もしお嫌だったら、どうぞお父様におっしゃって。何なら私、この格好でジルディオ様と一緒にお父様のところに行くわ」


 その言葉を聞いて、ジルディオはしばらく呆然としていたが――

 やがて、苦笑した。

「僕は今、君に振られそうになっているのかな」

「えっ、そんなっ」

 エスティリアはあわてた。彼女にとっては逆で、彼に振ってもらおうと思っていたのだから。彼を振るなど、そんな失礼なことをしているつもりはなかった。

「だって、君は僕の外見に怯えていただろう? そして今日、自分の外見を変えて、僕と距離を置こうとした。もう、僕と結婚したくなくなったのかな、と」

「そうじゃないの! だって結婚したら、ジルディオ様はガッカリなさると思って!」

 エスティリアの目に涙が浮かぶ。

「ジルディオ様は素敵な方です。大変な目に遭った後の今も、昔とちっとも変わらない。それなのに私は……子どもの時はあんなにベタベタひっついていたのに、外見が変わっただけで今は近寄れなくて。外見で判断してしまうような娘なの」

 そして、彼女は必死で微笑む。

「ジルディオ様、十歳の時の私を思いだして下さい。子どもでしたわよね。私はあのときのまま、ちっとも成長していないんです。十歳のときの私は、恋の対象ではなかったでしょう?」

「それは……うん」

 口ごもりながらもジルディオはうなずき、エスティリアは正直ホッとする。そして、続けた。

「それなら、恋をしないままお別れした方が傷も浅」

「ちょっと待って」

 ジルディオが片手を上げた。そして、照れくさそうに言った。


「でも、もう僕は君に、その……恋しているんだけど」


「へ?」

 エスティリアは目を丸くした。

「恋? いつ?」


「ええと……気づいたのは、手紙のやりとりが途切れた時、かな」

 ジルディオは頭をかいた。

「最初はね、結婚は恋していなくてもできると思ってたよ。でも、君からの手紙を読んでいると、十歳の頃に僕に向けていた気持ちを持ち続けたまま成長していくのがわかって、純粋で可愛らしいなと思った。それに、綺麗な文字でつづられた素敵な言葉が、敵地にいる僕を励ましてくれて……。君との連絡が取れなくなったとき、本当にそれが辛くて、僕は自分が恋をしているのに気づいた。早く君に会いたいと、母国を目指した」

「私に……会いたいって……」

 つぶやくエスティリアに、彼は一歩、近づいた。

「再会してみたら、想像よりはるかに綺麗になっていて、うまくしゃべれないくらいだったよ。……さっき、自分は成長していないなんて言ってたけど……つまり君はまだ、僕に恋していないってことだよね」

 どう答えていいかわからず、エスティリアが混乱していると、ジルディオは微笑みながら腕を組んだ。

「僕の中身は昔と変わっていないか、そうか。じゃあやっぱり、後は外見だな。訓練を屋内でやって日焼けを薄くしようとしたり、喉にいいものを色々試したりしてあがいてはいるんだけど」

「わ、私のために!?」

「女の子だってそうでしょう、綺麗なドレスを着たり化粧をしたりして、意中の人に気に入ってもらおうとする。僕も同じ。こんななりでそんなこと言うと、気持ち悪いかもしれないけど」

 ジルディオはさらに一歩、二歩とエスティリアに近づいた。

「僕は今、君に恋してもらえるように頑張ってるってこと。そんな必死な男は嫌いかな?」


 エスティリアは自然と、首を横に振っていた。

 嫌いではない。嫌いだったことなど、一度もないのだ。


 ジルディオはおどけて肩をすくめる。

「君が少女の頃に出会って、婚約して、本当に良かったよ。今になっていきなりこの外見の僕と出会っていたら、歯牙にもかけてもらえなかっただろうからね。昔のことを知っているからこそ、今こうして悩んでくれている」


 そして、ジルディオはごつごつした手をそっと伸ばし、エスティリアの手を取った。

 エスティリアは一瞬びくりとしたが、手を引っ込めはしなかった。二人は見つめ合う。

「好きだよ、エスティリア」

 ジルディオが、そっと言葉を差し出すように、言った。


 ――数秒後。

「……………………ふわああああっ」

 エスティリアはおかしな悲鳴を上げた。

「わ、私、着替えてきますっ!」

 そして、両手で肩を抱くようにしながら部屋を飛び出していった。


 服装はともかくとして、エスティリアの両親は娘が髪を切り強い酒を飲んだと知って激怒した。しかし、切った髪はとってあったのでかつらを作ることができたし、取りなすジルディオがエスティリアを大事に大事に扱うので、その怒りもいつしか霧散してしまった。


「結婚式は、エスティリアの髪が伸びてからにしよう。それまでに僕は、外見が少しでも昔に近づくように努力するよ。そうしたら、相思相愛で結婚できるかもしれないしね」

 ガッガッガッ、と笑うジルディオの声を、

(……だんだん、慣れてきたかも……)

と思いながらエスティリアは聞く。


 そして彼女は思った。結婚はまだ先だけれど、そこにたどり着くまで、婚約者同士である間に、自分はきっとジルディオに恋をする。

 それが予感なのか、もう始まっているのかは、流れる時間が教えてくれるはずだ。



【恋する予定は、いつですか? 完】

で、二人で町でデート中にゴロツキとかに絡まれて、ジルディオが酒場時代の調子でちょっと乱暴な風にやっつけちゃって、エスティリアに涙目で引かれるといいと思います。


主催者様、読んで下さった皆様、ありがとうございました!

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