第八話 清掃スタッフは夜の園を知っている
翌日、いろはは律子のもとを訪ねた。
すずとななみのことを知るには、長く夜の園を見てきた彼女に聞くのが一番だと思った。
「あら、朝岡さん。珍しいわね、こんなところまで」
律子は、いつもの気さくな笑顔でいろはを迎えた。だが、その目の奥には、いろはの用件をすでに察しているような、穏やかな光があった。
「杉森さん、少しお話、伺ってもいいですか」
「いいわよ。何が聞きたいの」
「この園の……昔のことです。二十年前に、何があったのか」
律子は、しばらくいろはの顔を見つめていた。それから、小さくため息をつくように笑った。
「やっぱり、そこまで辿り着いちゃったのね」
「知ってるんですね」
「知ってるっていうか……忘れられないの。忘れようとしても、この園がね、思い出させてくるから」
律子はそう言うと、控室の奥にある古いロッカーを開けた。中から取り出したのは、色褪せた木箱だった。
「見せてあげる。ついてきなさい」
律子は木箱を抱えて、いろはを裏庭の休憩スペースへ案内した。人気のない、日陰のベンチに腰掛けると、律子は箱の蓋を開けた。
「これはね、私が長年、園内の清掃中に拾ったもの」
箱の中には、いくつもの品物が収められていた。古びたチケットの半券。小さな子ども用の靴。片方だけの、ガラスの割れた手鏡。そして、一番奥に、小さく畳まれた、赤い染みのついたキャスト帽。
いろはは、その帽子を見て息を呑んだ。
「これ……」
「拾ったのよ。閉園後の点検中に。誰のものかは、わからない」
「杉森さんは、これを、なぜ捨てずに持ってるんですか」
律子はしばらく黙って、箱の中身を見つめていた。
「あのね、朝岡さん。この園はね、忘れたものを返してくれるんじゃないの」
律子の声は、いつもの気さくさとは違う確かな重みを帯びていた。
「忘れたことにしたものを、ずっと持ってるだけなのよ」
いろはは、その言葉の意味を噛みしめるように受け止めた。
「二十年前、何があったんですか」
「私が知ってるのは、断片だけよ。あの年のハロウィンイベント、すごく気合入ってたの。地方局のテレビも取材に来るくらい、大々的にやって。パレードの先導役に、地元の子役の子が選ばれてね」
「三枝ななみ、ですか」
律子は、少し驚いた顔をした。
「よく知ってるわね。……そう、ななみちゃん。可愛い子だったわよ。パレード衣装、すごく似合っててね」
「その子が、行方不明になった」
「ええ。イベント最終日の夜。閉園後の点検中に、いなくなったの」
律子は、当時を思い出すように遠くを見つめた。
「大騒ぎになったわよ、最初はね。でも、次の日には、もう、園内では『無事に保護者と合流して帰りました』ってことになってた」
「それは、事実じゃなかったんですよね」
「わからない。私も、本当のところは知らないの。ただ……」
律子は、そこで言葉を切った。
「ただ?」
「あの子のお母さんが、その後何年も、園の前に立ってたの。娘を探して。園側は、面会謝絶にしてたけど、私、遠くから何度も見たわ。だんだん、来る回数が減っていって……そのうち、来なくなった」
いろはは、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
「杉森さんは、それでも、この仕事を続けてきたんですか」
「続けたのよ。だって、この園には、まだ帰れない子たちがいるから」
律子の言葉に、いろはは目を見開いた。
「杉森さんも、見たことがあるんですか。その、怪異みたいなものを」
「見たことも、聞いたこともあるわよ。長年働いてればね」
律子は、木箱の中の割れた手鏡を、そっと指先で撫でた。
「あそこの鏡、拭いちゃだめよ」
「え?」
「ミラーハウスの鏡。向こうから見えやすくなるから」
いろはは、律子のその言葉に鏡越しに見た光景を思い出した。あの、まだ起きていない事故。そして、パレードの光景。
「杉森さんは、何か対策とか、していたんですか」
「対策なんて、ないわよ。ただ、忘れないようにしてるだけ。この箱の中身は、全部、忘れられちゃいけないものだと思ってる」
律子は、箱をそっと閉じた。
「あんたに、ひとつ聞きたいことがあるんだけど」
「なんですか」
「あの黒い服の子とは、話したの?」
いろはは、律子もすずを見たことがあるのだと気づいた。
「杉森さんも、あの子のことを知ってるんですか」
「見たことはあるわよ。何度もね。でも、話したことはない。あの子、私たち古株には、姿を見せても口をきかないの」
「どうしてですか?」
「わからない。でも、あんたにだけは、話すのね」
「私は、すずって呼んでます。本当の名前は、まだ分からないんですけど」
「すず」
律子は、その名前を確かめるように繰り返した。それから、いろはの顔をまじまじと見つめた。
「そう。あんたは、あの子に名前をつけたのね。不思議ねえ。あの子、誰にも心を開かないはずなのに」
いろはは、何と答えていいかわからなかった。ただ、律子の目には、いろはを心配するような色が滲んでいる気がした。
「杉森さん、この園は……本当は、どういう場所なんですか?」
律子は、少し考えるような間を置いてから、答えた。
「昔から思ってるの。この園はね、夢を売る場所であると同時に、夢を壊さないためなら何でも隠せる場所でもあるって」
「隠す……」
「怪異が起きるアトラクションほど、お客さんが増えるって、知ってた? 昔からそうなの。本当に怖いって噂が立てば、それだけ人が来る。だから、上の人たちは、完全には怪異を消そうとしない」
いろはは、大石支配人の穏やかな顔を思い浮かべた。表向きは理想的な支配人。だが、その裏側には、何を見て、何を選んできたのか。
「杉森さんは、支配人のこと、どう思ってますか」
律子は、少し困ったような笑みを浮かべた。
「悪い人じゃないと思うわよ。むしろ、この園を誰よりも愛してる人。でも……愛しすぎたのかもしれないわね」
その言葉には、多くを語らないながらも確かな重みがあった。
「杉森さん、最後にひとつだけ。この箱の中身、なぜ私に見せてくれたんですか」
律子は、木箱を抱え直しながら、優しく微笑んだ。
「あんたなら、ちゃんと持っててくれると思ったから。私も、もう長くないし」
「長くないって……」
「定年よ、定年。来年で辞めるの」
律子は、いたずらっぽく笑った。緊張していたいろはの肩から、少しだけ力が抜けた。
「でもね、朝岡さん。本当に、気をつけてね」
律子の声が、再び真剣な響きを帯びた。
「あんたが夜の園に好かれてるのは、悪いことじゃない。でも、好かれすぎると、向こうに引っ張られる」
「引っ張られる、って……」
「帰れなくなるってこと」
律子は、木箱を抱えて立ち上がった。
「私はもう行くわね。仕事に戻らないと」
いろはは、律子の後ろ姿を見送りながら、手のひらの中に、まだあの赤い染みのついたキャスト帽の感触が残っているような気がしていた。
忘れたことにしたものを、ずっと持っている場所。
その言葉が、いろはの中で、重く響き続けていた。




