動き出す基盤・次に見えてくるもの
朝の空気が、少しだけ違って感じられた。
フィリアは執務室の窓から、ゆっくりと領内を見下ろしていた。
行き交う人の足取りは落ち着いている。
怒鳴り声も、慌ただしい駆け足もない。
「……うん」
小さく頷く。
「ちゃんと、回ってる」
ここ最近、フィリアが口にする「大丈夫」は、願いではなく確認になってきていた。
■収支報告
机の上に置かれた帳簿を、ガルドが指で軽く叩く。
「さて。お前さんが気にしておる“お金の話”じゃがな」
「……増えてる?」
「控えめに言っても、だいぶな」
文官が補足する。
「砂糖の出荷量は安定し、価格も下げすぎていません。木工品、薪、簡易住宅の受注も増加。王都向けの取引は慎重に抑えていますが、それでも――」
紙を一枚めくる。
「以前の倍近い月収です」
フィリアは目を丸くした。
「……倍?」
「正確には、まだ“安定倍”ではありませんが、流れとしては確実です」
ガルドがうむ、と頷く。
「無理な拡大をしておらんのが効いておる。守る、整える、回す。その順を崩さなかったのがな」
フィリアは、少し照れたように笑った。
「怖かっただけだよ。急ぐと、壊れるって知っちゃったから」
■次は“見えない基盤”
「で、だ」
ガルドが地図を広げる。
「次に手を入れるべきは、目に見える産業ではない」
地図に引かれた線。
「道、水、保管だ」
フィリアは、すぐに理解した。
「……インフラだね」
・村と村を繋ぐ簡易舗装路
・水路の補修と井戸の整理
・作物と資材を一時保管する共同倉庫
「どれも“今すぐ儲ける”ものじゃない」
「でも、無いと後で詰む」
「そうだ」
ガルドは真顔で言った。
「ここから先は、“急に人が増えた領地”から、“長く人が住める領地”への切り替えになる」
フィリアは、しばらく黙った。
そして、ゆっくりと頷く。
「……やろう」
■段階的に、無理なく
「ただし、一気にはやらない」
フィリアは指を一本立てる。
「優先順位を決めて、段階的に」
文官が身を乗り出す。
「第一段階は?」
「道。三つの村を結ぶ最短ルートだけ、簡易整備」
「第二段階?」
「水。今ある水路の補修だけ。新規はまだ我慢」
「第三は?」
「倉庫。小さくてもいいから、管理しやすい形で」
ガルドは感心したように息を吐いた。
「……随分、落ち着いた判断をするようになったな」
フィリアは苦笑する。
「これでも、いっぱい失敗してきたからね」
■領内の反応
布告が出ると、領内の反応は静かだった。
「道を直すらしいぞ」
「水路の補修、人手出せば賃金出るって」
「倉庫番、募集してるってよ」
派手な期待も、不安もない。
ただ、「必要だからやる」という空気。
それが、フィリアには何より嬉しかった。
■フィリアの独白
夜。
執務室に一人残り、フィリアは小さく伸びをした。
「……前はね」
誰に言うでもなく、呟く。
「全部、自分で見ないと不安だった」
決めるのも。
守るのも。
責任を背負うのも。
でも今は――
「ちゃんと、任せられてる」
領地が、フィリア一人の背中に乗っていない。
歯車が噛み合い、静かに回っている。
「……よし」
次は、もっと先を見ていい。
この領地が「耐えられる」場所から、「続いていく」場所になるために。
フィリアは灯りを落とし、扉を閉めた。
歯車は、もう止まらない。
静かに、確実に――
未来へ向かって、回り続けていた。




