ラザフォード侯爵家での食事会③
メインのおかずは豚の生姜焼きらしい。
千切りキャベツは小さめのサラダボールに盛られているのがちょっと残念。あれはタレがかかったところが旨いと俺は思っている。
「さあ、お席へついてください。あたたかいうちに召しあがってくださいね。ご飯とキャベツはおかわり自由ですので、お声がけくださいな」
くー子に促され、俺も含めた男性陣が着席。お誕生日席の位置に立ったくー子が一礼し、メニューの説明をはじめたが、俺の腹はぐーぐー鳴っている。
生姜焼きの匂いってのは、どうしてこう腹を刺激するのか。
俺の隣に座っている父もまた、「腹の減る匂いだよな、生姜焼きってのはよ」と漏らした。同意しかない。
そんな葛藤などお見通しなのだろうくー子は、くすりと笑う。
「本日の調味料は、こちらにいるアルケットさんの商会から購入いたしました。大切にいただきましょう」
王国式の食前の祈りを捧げ、各自がカトラリーを手に取った。
俺たちオルファン家と侯爵、そしてなんとミカエロも箸を持つ。握り箸にならず、正しい持ち方をマスターしているのは、教育の賜物か。
ドイル氏も箸を持ち、まず味噌汁を取ったのには驚いた。東方在住経験ありというので、あちらの食事風景も知っているのだろう。
自分たち以外の全員が、二本セットになった棒を持って食べていることに、アルケット兄妹が驚いているのがおもしろかった。場に倣おうと思ったのか、同じく箸を持つ。ミレイユが自身の手を見せて、持ち方を指導していた。
俺の隣に座ったくー子が「いただきます」と小声で呟き、手を合わせる。
彼女も箸を持ち、味噌汁の椀を取った。
「さすがにお豆腐はなかったんだよねえ」
「はしもと食堂でも、定食の味噌汁には入ってなかったんじゃなかったっけ?」
「うん、大鍋で作るからねえ、豆腐は崩れちゃうし傷む可能性もあるし。でも、油揚げぐらいは欲しいじゃない? ゆーちゃん、お揚げの味噌汁好きでしょう?」
「それはまあ、そうだけど」
味噌汁の具材は家庭によって違うだろうし、まして店ともなれば、大量につくる必要があるので適したものになるだろう。
今回はその中間点ぐらいを目指したそうで、玉ねぎと芋、青ネギが浮いている。
ミレイユが「やった! おじゃがが入ってる!」と声をあげた。前世のあいつは、じゃがいも入りの味噌汁が好きだった。
「食堂の味噌汁は合わせでね、お父さんが配分を決めてた。わたしは結局知らないままなんだよ。お味噌自体、そんなに種類もないし、味付けに関してはまだまだこれから、かなあ」
呟きながら、ひと啜り。ほうっと息をついて、頬を緩める。
俺の斜め前に座る侯爵もまた、感慨深いといった面持ちで味噌汁を堪能しているようだ。
その隣に座るミカエロは、小皿に盛られた漬物をポリポリ噛みながら、上手に箸を使って白米を食べていた。日本人教育の刷り込みがすごい。
「メイン料理は肉にしたんだな」
「焼き魚も煮魚も、フォークで食べるの難しそうじゃない?」
「骨を取ってあれば別だろうけど、切り身をバターソテーにしたものが食べたいわけでもないしな」
「そうなのよねえ」
求めているのは、あくまでも和食である。
タレのかかった生姜焼きを白米の上へ載せ、タレを染みこませた状態でかっくらう。旨い。隣でうちの父が同じことをしている。うん、そういうもんだよな。
「ゆーちゃん、ご飯のおかわりは?」
「いる」
「おじさまは?」
「いただこう」
「パジェットさまも、よろしければ」
「……きょ、恐縮です」
くー子のもとに茶碗が集まる。
テーブル脇に置いてある、おひつに入った白飯。
蓋を開け、しゃもじを使って、くー子が飯をよそってくれるので、バケツリレーのように奥へ渡していく。
「悪いな、任せて」
「いいよう、べつに」
「おいセルマー、うちの息子とおまえんとこの娘が、もうすっかり夫婦になってるぞ」
「感慨深いねえ」
「それでいいのかよ」
「いまさらでしょう。あれから何年経ったと思ってるんですか」
あれとはどれだろう。侯爵が元日本人で、うちの父さんと腕相撲やってた、あの事件だろうか。
前世でアマチュアのプロレスラーをやっていた父さんのファンだったらしい侯爵は、立場的は上司になるが、父さんにはときどき敬語を使うし、基本的に尊重した話し方をする。
うちの父親が粗雑すぎるというのもあるが、傍目から見ると、ちょっと問題あるよな。
まあ、そんなことを気にする父ではないのだが。
「姉上、ボクはつけものがほしいです」
「あら、もうぜんぶ食べちゃったの?」
「……うん」
さっきからポリポリ食べてると思ったら完食していた。ミカエロ、渋いな。子どもながら塩分過多が心配になるぞ。
控えていた使用人が退室し、大きめの小鉢を手に戻ってきた。ミカエロと侯爵の中間ぐらいに置いて壁際へ戻る。
侯爵は、おかわりの漬物をミカエロの皿に移し替えてやり、子は笑顔で礼を言った。可愛い。
「ドイルさま、お味はいかがですか?」
「なつかしい味じゃなあ」
くー子がドイル氏に声をかけると、呑気な声が返ってくる。
「東方の国に滞在していたとお聞きしましたが、そちらでの食事に似ているということでしょうか」
「そうじゃの、あっちの文化は長くこちらへ入ってこなかったようだから、儂もたいがい忘れかけておったが、舌の記憶というのはすごいもんじゃて。あっちゅーまに思い出したわい」
「わたくしとしては、王国にも広めていきたいと思っているのですが」
「すこーしずつやればよかろうて。東方といえば、ラルフ坊も手を伸ばそうとしておるそうじゃの」
「ラルフくんが?」
初耳である。
「ドイル先生、それは本当ですか?」
「どちらかといえば閉鎖的な東方国じゃが、友好国として交流が深い国がある。プリュイという小国じゃ」
「それって、妖精がどうのっていう」
「東方国は呪術という、我らの魔法とはまた異なる能力を使う国じゃからのう。異なる術を扱う者同士、交流があるそうじゃぞ」
陰陽道とかそういうやつなのだろうか。イタコとか、そっちの系統もあるだろうし。
「それでラルフが」
「あの坊主はプリュイの姫にご執心なのじゃろうて」
「……どこからそんな話を」
「安心せい、貴族連中には漏れておらん話じゃよ」
だから、そういう話をどうしてじいさんが知ってるんだよってことを訊きたいんだが。
アルケット兄妹がいる部屋でそれ以上の話をすることは控え、あとはもっぱら東方食の話に移行する。
前世の日本で流通しているものと同じものが手に入るのかどうか。手段はあとで考えるとして、存在の有無を確認するほうが第一だった。
「現地へ行くのが一番じゃぞい」
「閉鎖的な国と伺っておりますので、難しいのでは?」
「閉じてばかりいては先細りであることを認識し、数年前から開国に踏み切っておる。さほど難儀はせんじゃろう」
「それは耳寄りな情報ですね」
鎖国は止めた、と。黒船でも来航したのだろうか。
「行くときは声をかけんさい。紹介状ぐらいは書いてやろうぞ」
「ありがとうございます、ドイルさま」
くー子は笑顔で答えた。




