1・別の場所(9)
涼は、このごろよく学校の図書室へ行く。
小惑星。彗星。地球。月。図書室にはたくさん本があるけれど、ミドリの話を理解する助けになるような本は、驚くほど少ない。
それらの本によれば、どこの国も月に行ったことはないらしい。宇宙開発より、自国の内部に金をかけた方が現実的だということだろうか。尤も、図書室の本に事実が書かれているかどうかはわからない。秘密裡に、月にはすでにどこかの国の基地があるのかもしれない。
そして「アポロ」については、本を調べても「太陽の神」としかわからない。「パラレルワールド」「エアカー」などという言葉は、調べたくても資料になりそうな本の見当さえつかない。
「幽霊」のことを書いた本なら少しはある。怪談は、ファンタジーよりはましな嘘、ということらしい。
「学校のこと話して。涼の学校生活のこと」
「学校って」
ミドリに言われて、涼はとまどう。
「……勉強して、帰ってくる。それだけだよ」
「それだけってことないわよ。友だちは? 涼は、そっちの野見山碧と友だちなの?」
友だち。
「一学期、一緒に学級長をやった。それだけ。だって……高校に入ってからの知り合いだし」
「あっ、そこはちょっと違う。あたしとリョウは中学の同級生だったもの。中学で学級委員は一緒にやった。きっと高校も同じになったと思うけど。同じ学校を志望してたから」
ミドリは、いつものように頬杖をつく。
「あたしがその高校へ行きたかったのは、自由な校風で、制服もなかったから。進学校だったけど、なんかね、勉強ばっかりって感じじゃないの。大学へ行くための学校じゃなくて、ちゃんと『高校生活』がやれるっていうか」
ミドリの目が輝く。けれど、ミドリの高校生活はなくなってしまった。
「涼が行ってるのはどんな高校? こっちと同じなら、きっとお城のとこの高校だよね? あたしたちが行きたかったのもそこ。おもしろい先生はいる?」
「いないよ」
自分でも、びっくりした言い方になったのがわかった。教師に「おもしろい」なんて形容詞を使おうとは、思ったこともなかった。
「校長先生はどんな人? あたしたちの中学の校長先生はね、しょっちゅう学校の中をうろうろして、授業中の教室をのぞく人だった。入学したての一年生なんか『不審者がいる』って騒いだことがあった」
涼は、ちょっと考える。校長。なんて名前だっけ。
「……少なくとも、校長にぶたれた生徒はいないかな」
「ええっ」
ミドリが背筋を伸ばす。
「それじゃ、ほかの先生の中には、ぶったりする人がいるの」
ミドリの驚きように、涼は自分でもさらに驚いた。
また、間違ったことを言ったのかな。
「だって、学校の先生は……ううん、誰だって、誰かをぶったりなんかしちゃだめなんじゃないの? そんなことされた生徒は黙ってるの? その子の親は? ひどいじゃない、そんなの。学校が楽しくなくなっちゃうじゃない」
ーーひどいよね、わざとしたわけじゃないのに。
碧の声が聞こえたような気がした。
「涼は、誰かがぶたれたりするの、見たことあるの? 涼も、もしかして、ぶたれたことあるの? そういうことに抗議しないの?」
「そんなことできない。そんなことしたら、よけい殴られる」
次々に投げかけられるミドリの問いに、責められているような気がした。
ミドリは知らないんだろうか。学校や社会の秩序のためには、個人は我慢しなくちゃいけないこととか、望ましい青少年のあり方とか……。
僕のいるところとミドリのいるところは違うのに、「ひどい」とか「楽しい」とか、同じ意味で使えるはずないじゃないか。それとも……使えるのか……?
ミドリは、ちょっと息をついて涼を見た。
「……どこの学校でも、そんなふうなの?」
「たぶん。いや、僕の学校は、きっとましなんだ」
高校同士で比較すると、ぶたれる生徒の数と進学する生徒の数は、反比例しているようだ。涼の通っているような進学校では、殴る教師は決まっていて、全体から見れば一部にすぎない。それでも、生徒が教師に殴られるのは自業自得であり、教師がとがめられることはなかった。
小・中学校では、体罰は当たり前だった。涼は優等生で素行にも問題はなかったから、これまで手を上げられたことはない。そういう生徒は、ほかにもいる。教師は誰彼かまわず殴るわけではない。
義務教育の間に、最低限社会に出られるだけの態度を見につけておかなくてはいけないというのが学校の姿勢で、保護者にも支持されている。体罰はそのために必要なのだ。「鉄は熱いうちに打て」と、よく教師は言った。
体罰は許されている。ただし、死なない程度ならば……?
「涼?」
ミドリが、心配そうに言った。
「ごめん。あたし、きつい言い方しちゃった」
「いいんだ。そうじゃなくて」
涼は、まなざしと同じようにまっすぐな、ミドリの物言いにとまどいながら、首をふった。
「涼、先生にぶたれたことある?」
「僕はない。でも、兄ちゃん……兄が」
「お兄さん?」
「兄は、更生キャンプにいるんだ」
兄、洸のことを自分から他人に言うのは、洸が更生キャンプに送られてから初めてのことだった。
ミドリはきょとんとしている。
「更生キャンプ? なあに、それ」
聞き返されるとは思わなくて、涼はちょっと言葉につまった。
「ないの、ミドリのところでは……」
「ないわ。教えて」
ミドリが、まっすぐな目で涼を見る。
「問題のある未成年が行くところなんだ」
説明しようとして、自分が更生キャンプについて、ほとんど知識を持っていないことに気づいた。
ーーあんなところに送られる息子がいるなんて、会社に知られたらどんなことになるか。
兄がいなくなったあと、父親は、まずそう言って肩を落とした。
ーーおまえだって、洸のことが知られたら、行きたい高校にも行けないかもしれんぞ。
涼はそう言われ、洸のことは決して他人には言うな、ときつく言い聞かされた。
近所の住人は、あの日、洸を連れに来た育成局の車を見たに違いない。三年たった今でこそ、何もなかったかのようにふるまってはいるが、当初父親は、朝早く家を出て会社に行き、夜遅くなってから帰る生活だった。母親も、しばらく息をひそめるように暮らしていた。それでも隣組のゴミ当番だの、寄り合いのお茶当番だの、近所と関わらないわけにはいかないらしく、まるで罰を受けるようにそれらをこなしていた。おまえの育て方が悪かったからだ、と父親に言われていたからかもしれない。
涼は、兄のことを両親に聞きたかった。それなのに、言い出しかねているうちに、「更生キャンプ」という言葉そのものが、家の中での禁句になっていた。
「少年院みたいなもの?」
「少年院は少年院で、別にあるんだ」
「それじゃ、更生キャンプってなに? 問題って、どういう問題?」
親や教師の手にあまる乱暴なもの。学業を怠けていると判断される者。社会や学校のルールに違反する者。
涼は、ミドリにそう言う自分の口調が、いかにも頼りなげに聞こえた。「乱暴」も「怠け」も「違反」も、具体的な実感を何一つ伴わず、ただラベルを貼るように口から出た。
子どもたちのために更生キャンプへ送るのだ。悪い芽を小さいうちに摘むため。快適な社会環境をつくるため。みんなのため。国のため。
「涼のお兄さんは、何をしたの」
「先生をなぐったんだ」
ミドリは、ちょっと眉をひそめた。
「どうしてそんなことしたのかしら」
涼は詳しい事情を知らない。あのときは中学一年だった。おまえが知る必要はない、と父親が言った。
「それ、お兄さんがいくつのとき?」
「高校二年。……十七歳のとき」
「高二のとき……ね」
ミドリは考える。
「リョウにもお兄さんいたのよ。あたし、直接は知らないんだけど」
「うん」
「そのお兄さんも、確か高二のときに家を出てるの」
「家を出た?」
「どこかへやられたとか、そういうことじゃないの。自分で学校をやめて、コミューンへ行ったんだって」
「コミューン?」
「よくは知らないんだけどね。コミューンて、いろんなのがあるみたいなのよ。共同体っていうのかな。いろんな人が集まって、協力しあって暮らすところ。……変ね、こういうと、普通に暮らしてたって同じことみたいだけど。でもまあ、コミューンて、どこかの島とか、過疎で人がいなくなっちゃった山村とかに移り住んで、そこをもう一度盛り上げようとか……村興しみたいなことかなあ。リョウのお兄さんが行ったのは、農業を中心として、原則自給自足でやっていこうとするところなんだって」
涼は瞬きする。
「野外体験教室みたいなものかな」
ミドリは笑う。
「なによ、それ。学校とか勉強とか、全然関係ないのよ。そういうことをしたい人たちが、自分の意思でやってることなんだと思う」
「……ふうん」
「お兄さんとお父さんって、あんまりうまくいってなかったのかな。お兄さんがコミューンへ行ったことで、お父さんは腹立てて、勘当したみたいになってたらしいわ。普通に高校出て、大学に行って、ネクタイしめて就職してほしかったらしいから。リョウも、それからほとんど会ってないって言ってた。今、こんなことになって、お兄さんがどうしてるかはわからない」
リョウの兄は、何を思って学校をやめたのだろう。学校を拒否したのだろうか。
それなら兄ちゃんは? 学校に拒否された?




