No18 ガラクタのルール
まどろみのなかを彷徨う俺は、香辛料の鼻をつくような刺激臭を感じた。臭いと表現したものの、その刺激は感じない。なんだろう、そんなイメージが体全体に訴えかけている。
『ようやく起きよったか、自分』
ああ、とうとう幻聴にまで聞こえている。
うっすら開けた目には、赤い猫が俺の胸の上に居座っていた。毛並みが整った猫は、貴族が買っている高貴な雰囲気を身に纏っており、しかし引き締められているその身は、高い塀でも飛び越えそうである。
僕はこの赤い猫を一通り観察したが、結局辿り着く結論は変わらなかった。
「…………なんですか、この猫?」
A.判らない、である。どれだけ考えようとも、この猫には全く身に覚えがない。というより、僕はこの世界に渡ってまだ朝を向かえただけで、昨日拾われた男以外に知り合いの人間はいないはずである。
「おお、起きたか坊主。早速朝飯を調達しにいくぞ」
「……ちょっと待って下さい、おじさん。この赤い猫は、貴方の猫ですか?」
「おじっ! いや、なんでもない。そう何も問題はない」
男、いやおじさんは、「自分ももうそんな年か」と悲しそうに呟きながら、僕が指を差した猫を目を細めてじっくりと見る。
「いや~、俺は猫を飼っていないし、この辺りでも見ない猫だな。まず、野良猫じゃあねえことは確かだ」
「おじさんの猫じゃないんですか?」
「ああ。というか、この猫はただの猫じゃないぞ」
ああ、凄い赤い猫だ。本当に真っ赤でルビーみたいな色で、その高い気品が分かる。
「いや、見た目のことを言ってんじゃない。その猫からは霊的力を感じ取れる」
「霊的力? つまり、こいつは幽霊や地縛霊みたいな類ですか?」
「なんだ、それ? 二つ目のやつは、獏みたいなもんか?」
おじさんは本当に分からないといった顔で返答する。
この世界のことは、まだ何も判らない僕だが、この世界には幽霊や地縛霊といったあやふやな存在ではなく、目に見える具体的なものらしい。
おじさんは、「それで、その猫どうすんだ?」と俺に尋ねる。
「いや、僕は霊的力というものを気になるんですが?」
「おお。そういえば、お前は霊己武紀そのものも知らなかったんだな」
おじさんは、思い出したような顔で俺に説明を始める。というか、この人判りやすい。
「人間は霊己武紀を纏って生まれてくることは昨日言っただろう。そいつの身の己と魂がなんらかの原因で分裂することがある」
「分裂ですか?」
「おお、分裂だ。分裂した場合、己と魂は独立した存在となる。元々二つ融合した己と魂は、分裂し独立した後、例え己が死んだとしても魂だけは存在してしまう。
この現象を、俗に『霊己分裂』といい、そうして分裂し独立した魂のことを『霊気精霊』という。誰でも知っていることだから、お前も頭に入れておけよ」
異世界ならではの生物というわけですか……。
「あの~、この猫の持ち主に返したほうがいいのでは……」
「己から離れた魂が戻ることはねえぞ。第一、そいつの元の肉体が存在しているのかも怪しいぜ」
それに、そいつお前に懐いているから離れないんじゃねえか。
赤い猫の「にゃあ」というのんきな鳴き声に、僕の世界でいう霊的生命体を取り扱えるのかなと不安を抱えた。
◇ ◇ ◇ ◇
赤い猫を引き連れた僕とおじさんは、このガラクタの町を徘徊しながら、ルールを教わった。
1.拾ったものを口にしない。
2.拾ったものは、その拾った人のもの。
3.自分に関係のない建物に入ってはいけない。
4.誰の命に関わらず、その責任を負ってはいけない。
5.「死にたい」または、それに類似する言葉を言ってはならない。
この五つのルールがこのガラクタの町を回しており、人と人をつなげている。
「決まり事みたいなもんだ。深読みせずに、とりあえず享受するんだぜ」
ガラクタで作られた山、そこに直立している大神殿にあったかのような聖教な柱に僕達は背を向けていた。
「おじさん、どうしてだろう。この町はどこか寂しい感じがする」
おじさんは、煙草のようなものに火をつける。「そうか」と言いながら悲し気な表情で空を仰いでいる。空に消えていく煙が、儚く見えるのはなぜだろう。
「坊主、今の気持ちを忘れるんじゃあねえぞ。お前の今思ったことは本当に正常で正しい言葉だと俺は思うぜ」
おじさんは背にした柱から離れて「一年だ」と僕に言う。
「お前がここにいていいのはきっかり『一年』だ。それ以上もそれ以下もこのガラクタの町にいちゃいけねえ。そして、俺も新人の面倒を見るのも初日だけだ。
『一年』。お前は自分の力で一年間このガラクタの町で生きてみな。出来たらお前を都心へ送ってやるし、良いものもプレゼントしてやる」
おじさんはそう言って、山を下りて行った。
一年。おじさんが言った、その限られた時間は、僕がこのガラクタの町で生きていける時間。ガラクタの町だというのに、僕は期間限定のヒーローになってしまったかのような、愛しさが自分の心の中へ入った気がした。
「にゃああ」
赤い猫は僕の足にすり寄る。僕は「よいしょ」と抱き上げ、猫にここから見える夕日の景色を拝ませる。統一性のないガラクタが集まった景色だが、どうしてだろう。一色に染まったその風景に喜びを感じてしまう。
しかし、猫はお気に召さなかったようで、僕の手から脱出し地面で横になる。
「僕は猫よりも気楽なのかな」
寝床も食料も確保していない僕は、もう少しこの異世界の景色を味合うことにした。
ところで、この『霊気精霊』である猫は食事をするのだろうか?
この世界の常識不足が否めない僕の疑問には「にゃあ」という鳴き声しか返ってこなかった。




