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夢森の歌  作者: K_yamada
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黒田悠木は続かない・7

 知らせは、悠木の耳を通らず、ただ虚しく部屋に響いただけのようだった。時計の針が、午後八時を回った所で動きを止めたように、悠木には思えた。

「若狭湾から、舞鶴市へ。舞鶴市で寄生された人々は、真っ直ぐ京都市の方へ南下中よ」

 美優はもう一度、同じ知らせを繰り返した。若狭湾は、福井県と京都府に面した日本海の湾である。だから、福井県にも同じ脅威が迫っている事になる。いや、それどころではない。海からやって来たなら、日本海側、ひいては海に面する全ての都市が危険地域だという事だ。

「ついに、来やがったな」

 悠木は心の平静を失いつつも、そう言って舌打ちをした。寄生虫が、海を越えるようになるまでに、致命的なその事態の前に、人は何かの対抗策を打たねばならなかった。そして今、人々が間に合わなかった事が、分かった。

「他県の様子はどうなんだ」

「内陸部は、防御を強めたようね。高い関を作ったりしているそうよ。馬鹿な話だけど」

「馬鹿な話だな。ああ、本当に」

 もう絶望的ではあるが、今が絶望の中での瀬戸際なのである。このまま京都や福井、その他の日本海側の県が倒れれば、数と勢いを増した寄生虫軍団は、大挙して内陸を襲うだろう。そうなったら、急ごしらえの関など役には立たない。止めるなら、今が最後のチャンスなのだ。

「いよいよ、覚悟の決め時かね」

「あら。案外、粘れるかも知れないわよ」

 希望を失くす悠木に比べて、美優の声にはまだ色があった。だが悠木には、それが無知か、あるいは意味のない理由なき自信に聞こえて、

「持って一週間、だろうな」

 と悲観的に呟いた。

「ただでさえ、京都には新人戦闘員が多いんだぜ。粘るも何も、ある訳がない」

「……そうね。なら、あなたが書いている歴史の締め切りも、一週間よ」

 美優はそう言って、追加らしい原稿用紙の束を、悠木に渡した。

 あと、一週間。それで、人々が長く繋いできた京都の歩みは止まり、歩みの軌跡は食われ消え、歩みの記憶も失われる。

「虚しいもんだな。数千年が、数年で全部なくなっちまう」

 悠木はそう言って、原稿用紙を机の上へ放った。が、美優はすぐに、その原稿用紙を掴むと、

「感傷に浸っている暇はないわ。あなたは、書かなくちゃいけないのよ」

 と言ってまた悠木に手渡した。

「厳しい話だな。そりゃあ」

 自嘲するように、悠木は笑みを浮かべた。突然告げられた終焉への時は、多く見積もっても七日間しかない。その七日間もそして、自由に居られる時間ではないらしい。

「あなたが書かないというのなら、それでも良いのよ。続きは私が書くわ」

 美優が、内ポケットから万年筆を取り出して言う。幼い少女の、その姿を見て、悠木の笑みは色を変えた。

「そりゃあ駄目だ。あんたが書いたんじゃ、命名のセンスからして不安すぎる。大体、後世誰かが解読しようって時に、あんたの字じゃその生命体が可哀想だろう」

 美優も悠木の言葉に、小さく笑った。そして、

「……ありがとう」

 と、ごく小さな声で、悠木に囁いた。




 各地の正確な情報は、美優にも伝わっていないようだった。ただ、京都戦線は、対応を朝に回した京都支部の判断の影響もあって、ある意味順調に南下してきているらしい。京都市には、このままだと明日の昼を待たずに到着するそうだ。

「しかし、えらい時代に生まれちまったもんだな、あんたも」

 一時間ほど書く作業を無言で続けていた悠木は、後ろでじっと見守ってきていた美優へ、振り返らずにそう言った。

「あんたの事だから、そう気にしないのかも知れないが、まあ大変だと思うぜ」

「…………」

 だが、返事がない。不思議に思って悠木が振り返ると、美優は座り心地のさほど良くない木製の椅子に腰掛けて目を閉じ、静かな寝息を立てていた。

 やっと、少女に少女らしい所を見つける事が出来た。悠木にはそう思えた。恐らく、ほとんど休まずに動いているのだろう。この前受け取った連絡表の量も相当であったし、原稿用紙などの手配も簡単ではない。それだけの仕事の中心に、美優は居るのだった。大人の女性であっても辛いだろうに、それが少女なのである。一般に圧力は面積に反比例する。少女に掛かる圧力は、どれほどだろうか。

 残り、一週間。たとえ一週間が五日であっても、三日であっても、やり遂げよう。悠木はそう思って、もう一度机に向き直した。

 書いては、一行消し、一行消しては、三行消す。三歩進んで二歩下がって落とし穴に落ちるような悠木の作業は、難航を極めた。だが着実に、少しずつ書き進め、十時を回った頃になってやっと人類の置かれた状況を上手く説明する、原稿用紙十枚分ぐらいの内容が出来上がった。後は、青森秋田への侵攻、東京神奈川の封鎖、京都福井への上陸などを書いていくだけである。

「お疲れ様」

 両手を挙げて体を反らした悠木に、いつか目覚めていたらしい美優が言葉を掛けた。

「調子が良さそうね」

「ああ。可愛い寝顔を見せて貰ったんでね」

 戯れに、悠木はそう笑って言った。だが、美優は全く動じる様子もなく、

「そうでしょう? 自慢なのよ」

 と言って、同じ様に笑って見せた。

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