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夢森の歌  作者: K_yamada
12/16

網谷明子の高いベッド・6

 滝の音は、絶えて久しくなりぬれど、名こそ流れてなお聞こえけれ。

 明子は、隣で何度も繰り返されるその短歌に、真っ暗闇から明るい部屋へと目覚めた。

「おや。起きたかい。もうとっくに、お昼寝の時間は過ぎてるよ」

 と、立子は各部屋共通の柄である掛け時計を指差す。明子が眠気まなこで見た針は、六時半を示していた。

「ご、ごめんなさい、ついうとうととしてしまいました」

「ま、気持ちは分かるけどね。そろそろ起きないと、あんたの分の晩飯が私の胃のこやしになっちゃうよ」

 立子は、小さな絵札を右手の人差し指と中指で挟んで、明子の隣に座っていた。

「これからは、気を付けますね。……それは、何ですか?」

「これかい?」

 立子は、絵札の表を明子の方へと向ける。そして、明子がはい、と頷くと、立ち上がって少し奥の立子の陣地の床に置いてあった小さい箱を手に取った。

「百人一首さ。ひよっとして、知らないのかい?」

「百人一首……」

 明子の想像する百人一首というのは、分厚い本にびっしりと書かれた歌の意味と背景と、作者の人となりを覚えなければならない日本の古典作品である。だが、どうも目の前にあるその箱には、そんなほどの情報量があるようには見えない。

「この、読み札を読んで貰って、二人でこっちの絵札を取り合うのさ」

 立子は箱の蓋を外すと、中で四つに分けられた山の中から、右端と左端の一つずつを手に取って明子に渡した。読み札の方には歌が、絵札の方にはその作者と思しき坊主が描かれている。明子はそれを受け取って、見て、尚の事疑問が強くなった。

「これが、百人一首ですか?」

「ああ。まあ、カルタとも言うね」

 カルタ。その単語には、明子にも聞き覚えがあった。そして、立子の説明とカルタのルール、それに絵札と読み札の存在を総合して考えた明子は、やっとこのゲームの仕組みを理解した。

「ありがとうございます、やっと分かりました」

「お。物分かりが良いねぇ。どうだい、早速一戦」

「はい、ぜひよろしくお願いします。……あの、誰が読むんでしょう?」

 ルールを知らなかったとは言え、百人一首はちゃんと頭に入っている。明子はわくわくしながら、一応の障害となり得る点について尋ねた。

「…………」

 しかし、返答はない。明子が札から目を離して立子の方を窺うと、立子は頭を抱えて唸っていた。

「ええと、それでは、次の機会に致しましょう」

「……しまったあ……」

 察した明子の言葉も届かず、立子はそれから二分ほどの間、ずっと同じ体勢で後悔の言葉を唱え続けた。




 配給された夕飯を食べ終え、明子が皿を洗い始めた頃、立子の電話が鳴った。立子は明子に聞かせるのを憚ってか、台所で明子を見守っていたその体を、部屋の方へとやった。その後ろ姿を目の端に捉えた明子は、ふと、近くに猫が居ない事に気が付いた。目覚めてからというもの猫の代わりに立子が居たから、全く違和感がなかった。

 皿を洗い終えた明子は、すぐに部屋へ戻って猫の姿を探した。しかし、荷物の後ろにも電話をする立子の近くにも居ない。明子は、少し不安になった。

「どうやら、次の機会は遠そうだよ」

 その明子へ、電話を終えた立子が後ろから声を掛けた。

「京都にも来たんだとさ。例の、寄生虫動物が」

「京都へ?」

 明子は一時猫の事を忘れて、そう訊き返した。京都府は近畿地方で、微生物の侵攻を受けている東北などとは陸続きでない。それが突然現れた、とはどういう事なのか。

「ああ。今朝から、北……舞鶴の方で感染者が相次いだらしい。京都だけじゃなく、日本海に面したほとんどの県でね。こりゃ、いよいよって事だよ」

 明子は息を呑んだ。人々が一致団結して戦わんとしている、微生物らが京都にいる。まだまだ遠い話だと思っていたが、やっとこれで自分も、皆と同じ様にして日本を守れるのだ。そうして、自分はついにお嬢様を克服して、普通になる。

「いつ、ここまで来るのでしょうか」

 明子は、半ば興奮気味にそう尋ねた。様子のおかしい明子に立子は少し表情を硬くさせたが、

「北はガラガラだったからね。すぐだろうさ」

 と答えた。

「少なくとも、誰かは北から来るそいつらを追い払うか食い止めるかしなければいけない訳だ。明日には、ね」

「そうですか……」

 そう頷く明子に、表情に出ない色めき立つ物を感じた立子は、更に表情を厳しくして、

「あんたが思ってるほど、楽なもんじゃないよ」

 と言った。

「死んだって、誰も責任取ってくれないんだしさ」

「はい。分かっています」

 明子は自制して、小さく深呼吸をした。そして、さっき頭の隅へ追いやった猫の事を思い出す。

「ところで、猫さんがどこにいるか知りませんか?」

「ん。それは知らないね。私が帰ってきた時から、一回も見てないよ」

 部屋の扉には、ノブが付いている。だから猫は部屋の中から出られないはずだ。明子はもう一度、部屋中を見渡した。何としても、明日までには見つけよう。そう心に決めた。

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