黒田悠木は続かない
黒田悠木は、ふとペンを置いて自分の書いた文章を読み返し、ひどく自賛的なその内容に苦笑いを浮かべた。
『寄生虫によって凶暴化した動物』によって『地球は台頭』されてしまった。ヒト達は『ヒトに従順な凶暴ハエ』と協力してそれに当たる事にした。さて、『戦いの結果は、どうなるのやら』。
悠木は、記録員だった。何でも、人々の戦いの記録を残す事で後世の栄達を期そうという事らしいのだが、戦況は押されっ放しで、もう人々に猶予など残されては居ない。楽観的な文章は、悠木の意思によるものではなく、半ば強制的に書かされた物だった。
「はい、これで二ペケね。あなた、ナルシストの才能があるんじゃないかしら」
悠木の椅子のすぐ隣に立った、長く黒い髪を後ろにまとめたいわゆるポニーテールの女が、首から提げているバインダーに挟んだ紙へ二つ目のペケマークを書き入れた。
「ま、昔からナルシーの悠木で通ってきたからな」
すっかりやる気をなくして、悠木はペンをくるくるくる、と片手で器用に回し始めた。このボールペンすらも、今ではインクの不足によって高級品となっている。
「その癖がちぃとばかり、出ないでもない」
「自分で書いた物を読んであんな風に笑うのは、あなたぐらいよ。ユニークなナルシストね。ナルユニーカー」
悠木は、吹き出しそうになって何とかこらえながら、ペンを机に置いた。
「あんたには、どうも名付けのセンスがないらしい。あんたの子供は、苦労するぞ」
「要らない世話をどうも。ナルユニーカー」
この部屋に入ってもう二時間、未だに監視役である彼女が望むような“名文”は生まれず、悠木は半ばやる気をなくしていた。この監視役の少女……十六,七ぐらいであろう彼女が、事あるごとに文句を付けていくのも、悠木の心の勢いを削いでいる。悠木はもう、二十二だった。自分もまだまだ若輩者と思ってはいるが、だからといって二十歳にも満たない少女にあれこれと上から物を言われるのは、どうも耐え難い。
「あんたの名前も聞いてないしな」
「あら、突然ね。ペケ三」
「ペケ三ちゃんか。そりゃあ、名付けのセンスがない訳だ」
ただ、女らしくもなく、悠木が少し嫌らしい事を言っても、全く苦にせず言い返してくる辺りについては、悠木はそこそこに評価していた。
「今、四ペケちゃんに改名したわよ」
「……で、この三文芝居をいつまで続けるんだ?」
「あなたが書き終えるまで」
悠木は大きく伸びをしながら、溜め息を一つ吐いた。
前途洋洋としていた学生時代が、確かに悠木にもあった。高校時代は、少なくなった日本の人口に比例せず難しくなった難関大学への合格を、誰よりも先生から見込まれていた。そして、その期待に応えて難関大入学を果たし、特に化学分野においてはちょっとした専門家よりは知識も知恵もあるという自信を持てるほどに学び、修めたという自覚がある。実際、大学を卒業してからは、様々な大企業から引く手あまたという状況で、悠木はまさに人生を謳歌していた。
それがおかしくなったのは、大学三年目の頃に入った一つのニュースが原因だ。フランスのパリで、昆虫から人まで様々な生物に寄生しうる寄生虫が発見されたのだった。その寄生虫は、寄生した相手を凶暴に変え、三ヶ月という長期間体内で数を増やしたあと、その体を食い尽くして外に出てくるのだという。当時まだ純粋な希望を持っていた悠木は、このあまりに傍若無人な寄生虫に、どのようにして各国政府達が対応するのかとわくわくしてその動向を見守っていたが、政府らはいかなる有効な手立てを見つける事は出来なかった。四ヶ月もせず、フランスは食い潰された。寄生虫達は当然それだけでは飽き足らず、ヨーロッパ全土にその勢力を拡大、ヨーロッパは突如、ごく小さな虫によって焦土と化した。
悠木が卒業する頃には、もはや世界中の半分以上の国は姿を消し、残った国も、寄生された凶暴な動物との戦いに身を置かざるを得なくなっていた。それも、ただ凶暴な動物を殺し回っても仕方がなく、寄生虫を殺菌しながら斃さねばならないから、殺虫剤を持ち合わせないアフリカなどの国は、ただただ防戦を繰り返すだけの苦しい戦況で、日本でも東京・神奈川から寄生虫被害が進み、両都県を封鎖して戦いに入っていた。人口は徐々に減少し、殺虫と動物との殴り合いへの戦闘要員と、今後の分布予想から記録にまで至る非戦闘要員も不足の一途を辿った為、日本政府は二十歳以上の男女について、強制召集を決めた。それは全体人口の八パーセントにも及ばない程度だったが、不幸にも、悠木はこれに選ばれてしまったのである。
そして、運動音痴だった悠木は、非戦闘部隊に配属され、二年間の記録係就任を余儀なくされたのだった。
「残念だがそれだと、今日中はずっとこのままだぜ」
「私は構わないわよ。あなたと違って、時給制なの」
監視員の少女は、そういう前提を考えると、アルバイトか何かなのだろうと悠木は考えていた。身長と言い顔つきと言い、成人しているとは到底思えない。
「未成年者の深夜労働は、禁じられてるんじゃなかったか?」
「あら、そうね。でもそうすると、深夜労働を強制したあなたが捕まる事になるわよ」
「そりゃあ恐ろしい。実際には、俺が強制されてるってのにな」
ここでは、煙草も飲酒も禁止されている。冷暖房は整っていて環境は良いのだが、それが却って閉鎖的に感じさせる要因になって、息が詰まってしまう。
「ちょっと、ここらでどうだい。あんたが書いてみるってのは」
息抜き代わりに、悠木はそう提案した。悠木は際立って文章が得意という訳ではなく、むしろ苦手分野であった。恐らく、監視役の少女が書いた所で大差ないだろう。
「嫌よ。あなたのお給料、全額貰えるというのでなければ、苦労に見合わないわ」
「苦労は買ってでもするべき、とも言うんだが」
「なら、あなたにさせてあげる」
口の減らない。だが、それ以上言い返す気力も出ず、悠木は体を後ろに反った。