1.ジュリア八歳、婚約者になる
ジュリアが八歳のときのことである。
十八歳のルヴァルド王国第二王子 、サイラスの婚約者を選定するための茶会が開かれた。国内から子爵家以上の令嬢が、広く集められた。年齢の規定は七歳以上ということになっていたため、やる気満々の母に飾り立てられ、ジュリアも渋々参加することになった。
(どうせすぐ落ちるでしょ)
十六歳で成人になるこの国で、十八歳は立派な大人だ。十八歳の王子が八歳の令嬢を婚約者にするはずがない。高をくくったジュリアは、お茶会のお菓子を楽しみにやり過ごすことに決めた。
一方、王子妃の座を狙う令嬢たちは、王宮の美しい庭園で陰湿な蹴落とし合いを繰り広げていた。
庭園へ向かう回廊や、茶会の休憩時間、サイラスが席を外した瞬間や、付添人が待つ控室までの道。大人たちの目を盗み、彼女たちは嫌がらせを繰り返す。
ドレスを踏まれて転ばされたり、ドレスに紅茶をかけられたり、そのせいで乱れた髪やドレスを笑われる。泣き出す令嬢が続出した。
そんな令嬢たちを、ジュリアは見て見ぬ振りができなかった。ある時は令嬢の顔を拭き、なんとかなだめて侍女が待つ控室まで送る。またある時はドレスに紅茶をかけられて蒼白になっている令嬢を化粧室に連れて行ってドレスを拭いた。
幼い令嬢たちは早い段階で脱落し、サイラスと釣り合いの取れる年齢の令嬢も一人、また一人と、回を重ねるごとに姿を消した。
(また残ってしまったわ)
今度こそ落ちて欲しいと願う度、茶会の招待状が届く。
ジュリアには少しだけ前世の記憶がある。覚えているのは前世が先進国であったことと、好きだった歌やお菓子、大人になるまでの記憶ぐらいだが、ジュリア自身、様々な嫌がらせを受けても平気だったのは、その記憶があったからだろう。スマホがないぶん、嫌がらせが古典的であったのも幸いだ。
(転ばされて、亡くなったお祖父様が買ってくれた思い出のドレスが破けてしまった時は、泣いてしまったけど)
城の回廊の片隅で気持ちが落ち着くまでこっそり歌を歌って凌いだ。前世で大好きだった曲を口ずさむと、徐々に気持ちが落ち着いてくる。
心は大人でも、泣きたいときはある。
優しかった祖父が最後に仕立ててくれた思い出のドレスは、八歳になったジュリアには寸足らずで、裾にレースを重ねるリメイクをして蘇らせた。よりによって、その大切なドレスを着ていたときに転ばされてしまったのである。
この世にいないはずの祖父の悲しむ顔が浮かんでしまい、辛くて仕方がなかった。
(早く落ちたい)
ジュリアの願いも虚しく、すぐに次の招待状が届いた。
ジュリアは酷い近眼で、家では瓶底眼鏡をかけている。美意識の高い母に、人前に出るときには眼鏡を外すようにいわれている。当然、茶会に眼鏡などしていけるはずもない。どうやって人を見分けているかといえば、その人の纏う色と声である。五歳のとき突然開花した能力だ。色彩の認知力が高くなり、複雑な城の内部に入っても、壁や床や景色を色で覚えることができたので、道を間違えることはなかった。
その能力のせいで、参加している令嬢の密かな困りごとにも気付いてしまう。
サイラスの公務が長引き、好きな席に座って待つようにとの知らせが入った日のことである。
その令嬢は淡いピンク色のドレスを着ていた。幾重にも重なるレースに、時折ちらつく小さな染み。突発的に訪れた月の障りだろう。違和感に気付いた彼女の纏っていた穏やかなベージュ色が不安を表すかのような暗い色に変化していた。
(危ない!!)
色の急激な変化はよくないことの前触れだ。
サイラスに近い席を取り合う令嬢たちを避けながら近付き、彼女の背中に手を添えた。
「すみません。一緒にお花を摘みに行ってもらえませんか? 私、目が悪くて道がわからなくなってしまったんです」
「え、ええ……」
令嬢は青い顔を隠す余裕もなさそうだった。不安そうな顔をしながらも一緒に歩くことを承諾してくれた。ジュリアは「ありがとうございます」とお礼を言い、彼女のドレスの染みを隠すように体を寄せた。
令嬢が化粧室に消えた後、近くを歩いていたメイドに助けを求めた。メイドは手際よく染みを取り、前世でいうところのドライヤーのような物を使ってドレスを乾かしてくれた。ひと段落したあと見上げると、令嬢の色は元の柔らかなベージュ色に戻っていた。
「お世話になりました。私はタウナー子爵家のスザンナと申します」
「ジュリア・フィンズベリーです」
「フィンズベリー伯爵家のお嬢様でしたか。大変失礼致しました」
「いいえ。私のほうがずっと年下ですから」
「そのご年齢でよく……いえ、年齢は関係ありませんね。お気遣いに感謝申し上げます。私は目の悪いジュリア様をお化粧室までお連れしたんですね?」
「そうです。お花を摘みに行きたくて、でも道がわからなくて困っていたんです」
「……こんなに素敵なレディーにお会いできるなんて、私は本当に運が良いですわ」
二人は手を取り合って会場に戻った。
かなりの時間が経過していたはずなのに、サイラスの姿は見当たらない。席に着かず、扇で顔を隠しながら罵り合う令嬢たちの脇を抜け、サイラスから一番遠い席にスザンナと座った。
着席した令嬢からお菓子が配られるらしい。宝石箱のようなカラフルなフルーツタルトが置かれた。
「サイラス殿下より、先にお召し上がりいただくよう、仰せつかっております」
「まぁ、よろしいのですか?」
「はい」
上座を見ると、この場で一番高貴な侯爵令嬢はすでに着席しており、小さく切ったタルトを口に運んでいた。それならジュリアとスザンナが末席でタルトを食べても許されるだろう。
「まぁ……なんて素晴らしいお味」
「乗っているフルーツもジューシーですね」
(せっかくのフルーツタルトなのに、もったいない。争ってないでさっさとお茶にすればいいのに)
選ばれると思っていないジュリアは実に呑気なものであった。日ごろ厳しい母に甘いものを制限されているため、ここぞとばかりに堪能する。スザンナと食べるフルーツタルトは、前世もびっくりな美味しさであった。
そうして回を重ねるごとに人数が減っていったお茶会も、いよいよ最後の三人になった。
残ったのは、二十歳の侯爵令嬢ケイトと、十五歳の子爵令嬢スザンナ、そして八歳の伯爵令嬢ジュリアだ。
この中なら、自分は絶対に選ばれないだろうと、相変わらず呑気に出されたお菓子を頬張っていた。最後の茶会でサイラスが席を立つことはなく、終始和やかな雰囲気だった。
ケイトの高貴なる紫と、ジュリアの柔らかなベージュ。どちらもサイラスと並ぶと美しく映えることだろう。残された人選の中で自分だけが異物のような気がしたが、人数合わせにはちょうどよかったのかもしれない。
(今日も王宮のお菓子は最高級の品だったわ。ブリュレと、フルーツの盛り合わせとケーキと、最後に出てきたソルベが甘さ控えめですごく美味しかった)
脳内には食べたお菓子の感想しか並ばない。
茶会が終了し、スザンナとしばらく会談していると、サイラスの侍従に呼び止められた。スザンナは「お先に失礼します」と頭を下げて帰ってしまった。
「サイラス殿下がお呼びです」
嫌な予感がする。
侍従に案内された部屋で見たサイラスは、澄んだ秋の空のような色をしていた。春のざわめきも、夏のうだるような暑さも、冬の凍えるような厳しさも感じない青だ。とても美しい青だと思う。
「長らく選定の儀に参加してくれたことに感謝する。ジュリア嬢、僕の婚約者になってくれる?」
「わたし、ですか?」
「うん」
(なぜ、こんな幼女を?)
「理由をお聞きしてもよろしいでしょうか?」
「気に入ったからだよ」
「私の……どこを、でしょうか?」
「全部」
「全部……」
(終わったー。これは答える気がないやつだわー)
喜ぶどころか不運とばかりにうなだれるジュリアを、サイラスが面白がっているような気がした。




