第121話 孤独のシルフィ
黒耳長族の里までの道の途中に、開けた場所が見えてきた。
木々が少し間隔を開けていて、草が広がってきていた。
「……少し休もう。」
シルフィが、車を止め後部座席の僕たちに声を掛けてくる。
「……どのくらい走ったの?」
「まだ、三分の一くらい。」
「まだ三分の二も残っているのか…。」
「急ぐなら休まないこともできるけど、風霊に負担がかかるから…。」
どうやら彼女を責めているように感じさせてしまった様だ。
「……ごめん。別にシルフィを責めているわけじゃないんだ、その…風霊を大切にしてあげて。」
「…そのつもり。」
ここでいったん休憩するために僕たち3人は、車を降り草の上に座った。
建物の影一つない広い野原が風に揺れサーッと波を作っていく…。
「……いい景色だね。」
「……そうだね。」
「アルカディアって、争ってるって聞いていたから、てっきり所々争いの跡が残っているんだと思っていたのに。」
「……あと魔物もいるのに、長閑に感じるのも不思議だね。」
「うん、なんか不思議…。」
しばらく、三人で黙っていた。
風が、頬を撫でしばらくの沈黙が場を支配する。
すると、唐突にシルフィが、こちらを見て話しかけてきた。
彼女の瞳はとても綺麗な金色に輝いており見つめていると吸い込まれてしまいそうだった。
「……一つ、頼みがある。」
「どうしたの?」
「……もう一度、あたしの名前を言ってほしい。」
「……ん?」
どういうこと?
名前を呼ぶことに何か意味があるのだろうか?
「頼みがある。もう一度、あたしの名前を呼んでほしい。」
彼女はまるで機械のように同じセリフを繰り返す。
「どうしたの?」
「頼みがある。もう一度、あたしの名前を呼んでほしい。」
怖いよ…。
本当にどうしたというのだろうか?
僕とナユタが、顔を見合わせ首をかしげるけど、特段難しい話でもないのでお互いに頷く。
しかし、不思議な頼みだ、でも、断る理由もない。
「……シルフィ。」
まず僕が彼女の名前を言った。
「……シルフィ。」
ナユタも続くように彼女の名前を呼ぶ。
シルフィが、少し目を細まる。
えっえっえっ?
何か、マズいことでもしただろうか?
いや、でも、彼女が読んでくれと言っていたし…。
「……っ。」
ついには目が、滲んでいき、その涙がシルフィの頬を伝う。
泣いている彼女は…こう言っちゃなんだけど、まるで人形のように綺麗で見とれてしまった。
「……え、シルフィ、泣いてるの?」
ナユタが、慌てている横で、僕はシルフィのことをぼーっと見ていた。
「……あわわ、どうしようっ。」
ハッと現実に戻ってきた僕も、どうしていいか分からなく状況が状況だけに対処に困ってしまった。
「……っ、ごめんなさい。」
シルフィが、目を拭い僕たちに謝ってきた。
驚いていたけど、僕たちが何かをしてしまったわけではないらしい。
良かった…女の子を泣かせてしまった経験なんてないものだから、土下座をするところだったよ…僕。
「……泣くつもりはなかった。」
「……何かしちゃったかな、僕たち…?」
「……何もしていない、逆。」
シルフィが、少し息を整った様でポツポツと話し始めた。
「……貴方達に名前を、呼んでもらえた、それだけ。」
「……名前を呼んでもらえた、というのは?」
名前を呼ばれるなんてことは、相当嫌われていなければ普通のことでは?
いや、僕も昔はDサバイバーって呼ばれていて名前であまり呼んでもらえなかったけど…。
「……あたしの話を聞いてほしい。…あたしには、名前がある。」
「……うん?まぁ、そうだね。」
「それが何を当たり前のことを、という顔をしている。」
「……名前があるなら普通のことでは?」
「……でも、皆、理解してくれない。」
「……理解できない?」
シルフィの言葉が足りないのか、僕の頭が足りないのか。
彼女の言っていることが理解できない僕は頭がこんがらがってしまう。
いや、ナユタもよく理解できていない顔をしているからきっと難しい内容なのだろう。
困惑している僕たちをよそにシルフィが、少し離れた場所を指をさす。
彼女の視線の先には草原が広がっておりシルフィが指し示しているのは草原の端で、そこには大きな影があり…って魔物?
あの牛に似た形をしている魔物のことを指しているのかな?
その魔物の体は大きく、頭に角が二本あり、体の周囲に、薄く風が渦巻いていた。
あの魔物が一体どうしたというのだろう?
あの魔物は日本では見たことがないから名前なんて知らないけど…。
「……あれは、嵐闘牛。」
シルフィは淡々とそう言った。
…嵐闘牛?
まぁ、身体からなのか分からないけど、身体の表面に風が吹いているから嵐闘牛なのかな?
「……牛型の魔物?」
「……最近はそう呼ぶ人がほとんど。…でも、ちゃんとした名前がある。嵐闘牛という名前が。」
「……あっ、うん。」
「……でも、皆には、牛型の魔物としか認識できない。」
「……どういう意味?」
シルフィが、少し言葉を探すような顔をした。
口下手なのか、うまく言葉が出てこない様子で、少しだけ親近感が湧いてしまった。
僕もあまり口が上手な方ではないから…ね。
「……。…っ!名前が認識できないってこと。」
「……名前が認識できない?」
「……正確には、最近になって名前を認識できなくなった。」
「……認識できなくなった。」
「……そう。この世界から、名前という認識が消えてしまった。」
「えっ?」
「……正確には、名前の存在を、忘れた。覚えていないし、理解も出来なくなった。」
それは、一大事では?
いや、でも、彼女にはシルフィ、と言う名前が存在しているし、族長も名前を…あれ?彼女の名前を族長から聞いただろうか?
「……この世界の人が、全員が?」
「……全員ではないと思う…でも、ほとんどの人が…。」
アルトは、頭の中で整理しようとした。
「……いつから、そんなことに…。」
「……ここ最近…9年とちょっとで、徐々に消えていった。」
「……最近?」
9年が最近に含まれるだろうか?
いや、彼女はエルフなんだ、きっと僕たちと時間の流れの感じ方が違うのだろう。
しかし、9年という時間が変わるわけではない…。
「……最初は気づかなかった。あたしが気づいた時には、もう遅くて、皆名前を呼ぶことは無くなっていた…。」
そう語る彼女の耳はへにゃりと垂れ下がっており、その姿を見るだけで…とても落ち込んでいると感じてしまった。
試練がどうのこうのあったけど、あれはエルフの里を守りたいという家族愛に似た何かなのだとしたら、この現象は彼女としても何ともやるせないことことなのだろう。
その当事者であるシルフィの気持ちは僕には察することはできない。
「……なんで、シルフィだけは無事なの?」
シルフィが、静かに手の甲を見せてくるので僕とナユタは彼女の手の甲を見つめる。
何もなかった彼女の手には、彼女の魔力が流れていき静かに緑色の紋様が浮かんでくる。
「……風霊王の加護を、持っている。これは、契約紋。」
「加護?」
加護なら、僕も所持している。
今のところ、武田先生にしか教えていないけど…。
日本の最高神の加護を僕は持っている。
だとしたら、何かしら加護を持っている僕や加護を持っていないナユタにも影響が出ているのだろうか?
「……外世界の大きな力を持つ存在との繋がり…それを、パス、と呼ぶ。そのパスがあれば、この呪いのような現象から逃れることができるらしい。」
「……ふぬ?…ん?らしい?とは?」
「……契約精霊から聞いた話だから、あたしもちゃんとは分かっていない。でも、そう聞いた。」
まぁ、僕もアマテラさんと話すことが出来るから彼女も精霊と話すことくらいわけないのだろう。
しかし、名前を忘れてしまう現象…何でもない様で弱いそうだけど、とんでもない現象だ…。
――妾はちゃんと我が子を見ているんだから、お主もちゃんと子供の様子を見んかいっ。
――わたくしに、その資格はありませんよ…。
――なんじゃ、いじけおって。
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