おバカ貴族と神童の葬送
2026/1/6 大幅修正
国王主催、親善茶会。
ヴェズィラーザム伯爵邸の庭園には、国中の名士が集い、その視線は中央を歩む一頭の白馬に注がれていた。
「見なさい、あの凛々しい姿を! ヴェズィラーザムの当主と、神に愛されたその長子だ!」
白馬に跨っているのは、誇らしげに胸を張る父イザーム。そしてその腕の中、鞍の前に座らされているのが七歳のカサルだった。
イザームは、自慢の「最高級品」である息子を自身の腕に抱き、自らの手で民衆に披露することで、家門の復興を確固たるものにしようとしていた。
(……非効率だ。父上の腕の体温も、この無意味な行進も、すべてが我の時間を無為に消費している)
カサルはイザームの太い腕の中で、死んだ魚のような瞳で景色を眺めていた。
背後から伝わる父の鼓動は、野心と高揚で激しく脈打っている。
イザームにとって、今この瞬間が人生の絶頂だった。
「カサル、しっかり掴まっていなさい。王の前で最高の実演を見せるのだぞ」
「はい、父上。……ボク、がんばるよ」
カサルは幼子らしい無垢な笑みを向けた。
それが、イザームが「正気」の息子から受け取った、最後の言葉となる。
白馬が石畳の広場へと差し掛かり、最高速度へと達したその時だった。
カサルは一瞬ミャーザーに目配せをすると、会場の隅で彼もまた準備完了というように頷く。
それと同時に彼の脳内では、世界を変えるための『最終演算』が完了していた。
(風速、二メートル。馬体の上下動、三センチ。……父上の重心が右へ傾く瞬間。……今だ)
カサルは自ら体を僅かに硬直させ、あえて「父の腕から滑り落ちやすい角度」を作った。
その直後、目に見えない微細な風の刃が白馬の脚をかすめる。
ヒヒィィィィンッ!!
突然の衝撃に、白馬が大きく跳ねた。
イザームは慌てて手綱を引く。だが、その反動で腕の中のカサルが宙へと投げ出された。
「あっ──カサル!?」
イザームの手が、虚空を掴む。
カサルの小さな体は、放物線を描いて石畳へと落下していく。
(第一段階、揚力展開。脳幹だけを風のクッションで固定。……衝撃のベクトルを右前頭葉の不要な回路へ集中。……さらば神童、また会おう)
カサルは落下の最中、置き土産として自らの指先をイザームに向けた。
まるで、助けを求めるように。
その「縋るような息子の手」が、イザームの網膜に焼き付いた。
ドォォォォォンッ!!
石畳が鈍い音を立て、カサルの体が跳ねた。
金髪が鮮血に染まり、アメジストの瞳が虚空を見つめたまま静止する。
「カサル!! カサルゥゥゥ!!」
イザームは馬から飛び降り、血まみれの息子を抱き上げた。
温かかった息子の体は、見る間に冷たくなっていくように感じられた。
「私のせいだ……私が、手を離してしまったばかりに……!」
駆け寄るミャーザーと、待機していた「無能な医者」。
ミャーザーは震えるイザームの肩を掴み、残酷な真実を突きつける役割を演じた。
「旦那様! なんということを……! 貴方の不注意で、人類の至宝が……粉々に砕けてしまったァ!!」
大袈裟なまでに絶叫を上げるミャーザーに、イザームは自らが犯した罪に声にもならない嗚咽がこみ上げる。
「あ、あああああ……!!」
後日命を取り留めることに成功した医者から告げられたの診断は非情なものだった。
「命は助かりましたが、知能は……。閣下、貴方がその腕から落とされた衝撃で、カサル様の知性は失われました」
イザームはその場に泣き崩れた。
誇りも、野心も、すべては自分の「不手際」によって塵に消えた。
そして深い闇に落ちる意識の中で、カサルは父の慟哭を聴いていた。
(……成功だ。……これでお前は、一生我を責めることはできない。……罪悪感という名の枷に縛られ、我という『機能不全の置物』を、一生大事に飼い続けるがいい)
──こうして、「神童カサル」は父の手によって殺された。
そして誕生したのが、イザームが顔を合わせるたびに罪の意識に苛まれることとなる、ヴェズィラーザム家の美しき呪い「おバカ貴族のカサル」の誕生だった。
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