episode9 出会い
黒塗りの車が、夜の横浜を切り裂くように走る。
車内は重苦しい沈黙に包まれていた。
運転席と助手席には黎蓮会の構成員と劉。
後部座席には___凌雅、濱田、そして江崎。
「……港湾地区って言っても広いぞ」
江崎がぼそりと呟く。
劉がタブレットを操作しながら答える。
「狼牙の拠点候補は現在6箇所。すでに3箇所は組員が到着し、いないことがわかっています」
「残りは?」
「この車で向かっている場所と、残りの2つは張と楊のグループを向かわせています」
凌雅は窓の外を見たまま、口を開く。
「……狼牙も準備をしているだろう。激しい戦闘は避けられない。そうなると時間の問題だな」
その声は静かだが、明らかに焦りを含んでいる。
濱田は拳を握りしめていた。
「……もし、もう船に乗せられてたら」
「その時は船ごと潰す」
即答だった。
濱田は一瞬言葉を失った。
凌雅は変わらず視線を外に向けたまま
話を続ける。
「俺は夏を取り返す。そのためなら手段は選ばない」
その目には一切の迷いがなかった。
濱田は息を吐く。
「……あんた、本当に奥さんのことになると容赦ねぇな」
「当たり前だろ」
間髪入れず返される。
「……夏に何かあったら俺は…」
凌雅は苦しそうな表情をする。
車内が一瞬、静まる。
江崎がニヤッと笑う。
「重いねぇ」
「…うるせぇよ」
凌雅は短く吐き捨てる。
濱田は少しだけ視線を落とした。
「……何があったかはわからねぇが、要は大切な家族が誘拐されたって面では俺も黎さんも一緒だ」
凌雅は何も言わない。
ただ、ほんのわずかに目を細めた。
劉が口を開く。
「到着まであと7分です」
その言葉に、空気が一気に張り詰めた。
⸻
***
「……っ」
夏華はゆっくりと目を開けた。
見慣れない天井。なんとなく頭が重い。
(そうだ…私…誘拐されたんだっけ…)
起き上がり周りを見ると、普通の家の一室だった。
状況を理解するためにベッドから降りて立ち上がろうとした瞬間____
「……!」
バランスが取れずベッドに倒れる。
薬のせいかふわふわする感覚。
しばらく、薬の効能が落ち着くまで横になって休むことにした夏華は目を瞑る。
そして、手首を見て、ある違和感に気づく。
(どうして、拘束はされていない…?それに…どれくらい経ったのか…)
薬の副作用のような眩暈が落ち着き、ゆっくりと立ち上がる。
部屋には机と椅子。そして私が寝かされていたベッド。
(天蓋ベッドなのが…ちょっと鼻につくわね)
夏華は誘拐犯の嗜好を感じ不快に思う。それを吐き出すように息を吐く。
それから夏華は引き続き、部屋の探索をする。
窓は鉄格子で開けることはできなくなっている。
扉は一つ。そしてある違和感に気付く。
(なるほどね。取手がない…外からしか開かない仕様になっている。だから拘束をする必要がないということね。こうなったらやれることはない。変に動いてもきっと捕まっても良いことはない)
冷静に状況を把握した夏華は、諦めるように椅子に座り込む。
しばらくすると、扉からノック音が聞こえた。
夏華は立ち上がり扉の方をみて警戒する。
扉が開くと一人の女性が入ってきた。
「……起きた?」
見知らぬ女性からの問に警戒する夏華。
敵なのか。味方なのか。
しかし、彼女自身からは全く敵意や殺意などは感じない。
隠している可能性もある。
彼女は不安げに自身を見つめる夏華を様子をみて慌てるように名乗る。
「あ!ごめんね突然話しかけて。私、濱田理世って言います。えっと、私も誘拐されてて、あなたの面倒を見るように命令されて…。突然こんなこと言われても警戒するよね」
理世が必死に謝る姿をみて自分の警戒していたことが馬鹿げてきた夏華はクスクスと笑う。
理世は上品に笑う夏華をみて美しさに見惚れつつも安堵の表情をする。
夏華はゆっくりと理世に近づき、手に平仮名で"しあふぁ"と書いた。
理世は少し驚いた顔をしたが、すぐに笑った。
「しあふぁちゃんね!夏ちゃんって呼ぶね!ところで夏ちゃんは、喋れないの?」
理世は無邪気に尋ねる。
夏華はコクリと頷く。
理世はその後も1人で夏華に話しかける。
話せない夏華のためにイエスかノーので答えやすいように質問していた。
「夏ちゃんは、20代?」
夏華は首を縦に振る。
「えー!?同じだね!!私さ、バイトの帰りに誘拐されちゃって…。あぁ!!!?帰ったらHSTの新曲MV見る予定だったのに〜。夏ちゃんはHST知ってる???」
夏華は首を横に振る。
「えー!!!?HST知らないの!!!!?今をときめく、韓国男性ダンスグループで、人間離れしたダンスするハジュンと、どんな歌も彼が歌えば神曲になることから神の声を持つ男。シウ!そして私の最推しのテヒョン様。ダンスも歌も完璧。それなのに家庭的で、いつも下の兄弟のために家事をこなす。現代の理想的な彼氏といえばテヒョンと言っても過言ではない_____」
情熱的に推しへの愛を語る理世。
夏華は困惑しながらも理世の話を聞いていた。
(__理世ちゃんは、テヒョン?っていう人が好きなんだなぁ。HSTかぁ。帰ったら見てみようかな)
気付いたら理世は暗い顔をして沈黙した。
夏華はどうしたのかと思って肩を軽く叩く。
理世は顔を上げてぽつりと呟く。
「……ごめん。こんな時に…。私、1人で怖くて…。年の近い夏ちゃんがきてくれたから嬉しくて…。つい」
暗い笑顔を浮かべる理世。
夏華は励ましたいが声が出ない。
どうにか伝えたくて、夏華は理世の背中を「大丈夫だよ」というように優しくなでる。
理世は一瞬きょとんとした表情をしたが、床に雫が落ちる。
夏華は理世の表情を見て驚く。
「ありがとう。夏ちゃん」
理世は今まで夏華よりも数か月、1人で幽閉されご飯とかはもらえるらしいが、ずっと1人で暗い鉄の部屋に入れられて、心細かったらしい。
理世は今まで隠していた不安の気持ちが溢れ出す。
夏華は静かに理世の背中をさする。
しばらくすると、理世も落ち着く。
そして、それから他愛のない話をした。
夏華にとってこんな風に話せる人は、初めてだった。
同い年くらい。同じ境遇。
胸の奥が、少しだけ温かくなる。
夏華はそっと胸に手を添える。
「どうしたの?胸痛い?」
理世は心配そうに夏華を見つめる。
夏華は首を横に振り、理世の手のひらに文字を書く。
【楽しいなぁって】
理世は少し驚いて、そして笑った。
「こんな状況で言う?」
夏華は小さく頷く。
理世の目が優しくなる。
「そっか」
その時――外から声が聞こえた。
「黎蓮会が辺りを嗅ぎ回っている」
中国語だった。
夏華の目が見開かれる。
(……お兄ちゃん……)
心臓が強く跳ねる。
しばらくして、見張りの足音が遠ざかる。
夏華はすぐに理世へ近づく。
【助けが来るかもしれません】
理世の目が揺れる。
「本当……?」
夏華は力強く頷いた。
【夫が助けに来るかもしれません】
そのメッセージに、理世は驚愕する。
「おおおおお夫????」
「夏ちゃん、結婚してたの!?」
理世の勢いに夏華も戸惑いながら肯定する。
なぜか理世が四つん這いになって絶望している。
(でもお兄ちゃんが、動いているなら…きっと…)
希望が、ほんの少しだけ灯る。
――その時だった。
【ガチャ】
扉が開く。
重い足音。
入ってきた男に、空気が一変する。
「面倒見ろとは言ったが馴れ合えとは言っていないぞ」
長身。
鋭い目。
圧倒的な威圧感。
狼牙のトップ――霍 景炎
彼はゆっくりと夏華へ歩み寄る。
「……綺麗だ」
流暢な日本語だった。
「噂以上だな」
夏華は無言で見つめ返す。
「俺のところに来ないか?」
甘い声。
だが、底にあるのは支配欲。
夏華は静かに首を横に振る。
「……そうか」
次の瞬間――
ガシッと頬を掴まれ、強引に顔を上げさせられる。
「别敬酒不吃吃罚酒(素直に従わないと痛い目を見るぞ)」
低く、冷たい中国語。
夏華の瞳が揺れる。
それでも――逸らさない。
霍はわずかに笑った。
「いい目だ」
そして振り返る。
「こいつは別室だ」
「是」
理世が叫ぶ。
「ちょっと待って!」
しかし、男たちは無視する。
夏華は連れて行かれながら―最後に理世を見る。
そして、小さく口を動かした。
(大丈夫)
扉が閉まる。
重い音。
残された理世は、拳を握る。
「……兄貴…ッ」
その言葉を最後に理世は何者かに背後から口を押さえられ意識を手放した。外では、静かに嵐が近づいていた。




