その5 『ありがとう』が貴重すぎる職場
「私、時々思うんですよ。
天木さんみたいな人が上司や先輩だったらいいのになぁって」
思わぬ一言に、顔が紅潮してしまう。
「へっ!?
わ、わ、私? なんで?」
「天木さん、よくエレベーターの押しボタン、率先して押してくれるじゃないですか。
他の正社員が当たり前のように奥へ行く中、天木さん、しょっちゅうボタン押し係をやってくれますよね。
私がかわりにボタン押そうとしても、天木さんの方が早くて、いつも先手取られて。
めっちゃ気が利く人なんだなぁって思ってました」
いや、それは当たり前のことじゃないかなぁ……
だって私、会社で一番出来ないんだから、それぐらいのことはしなきゃ。
足挟さんも言ってくれる。
「そうそう!
天木さん、前にデータ入力とチェックのやり方、2週間ぐらいかけて私に教えてくれたことありましたよね。
何度も同じ場所間違えて、同じ質問何回したか分からないけど、天木さん、ずっと笑顔で丁寧に教えてくれて。
いつもの先輩や上司と比べたら女神様だと思いましたよ」
だけどそれは……
普段ミスばっかりの私なんかが、足挟さんたちを叱れるわけないし。
そもそも足挟さん、そんなに間違えてたっけ? 同じ質問をされたかどうかもろくに覚えてない。
「そんなことないよ。
私、派遣さんたちに簡単な作業を教えるだけでもダメダメで、質問にも答えられなくて何度も内容を先輩に確認しに行っては怒られて……」
慌てて取り繕うが、小山内さんも足挟さんも笑ってる。
「またまたぁ。やっぱり天木さんは優しいなぁ」
「自分でも分からないところをごまかさずに、ちゃんと聞きにいってくれるのも凄いですよ」
いやいやいや。それは当たり前のことじゃないかな……
「自分でも分かっていないところを下手に教えたら、教えられた側はもっと分からなくなっちゃうよね? 凄いというか、当然のことだと思うけど」
そう言うと、小山内さんは大きく首を横に振った。
「前の前の会社の上司なんか、そのへん酷かったんですよ。
自分でも分からないところは『そう決まってるからそうやるしかないんだ!』って大声で怒鳴ってごまかして」
「えぇ? それは酷い」
足挟さんも早口で割り込んでくる。
「私のところもこの前ありましたよ。
とある作業で、どう考えてもAっていうやり方の方が効率的なのに、面倒な上に時間もかかるBってやり方に、派遣の先輩が拘りすぎてて。
作業をいつも見てる正社員さんまでが『Aでやっていいよ』って言ってたのに、先輩はBでやっていた上、私たちがAでやっているのを見たら怒鳴ってきて……
しかも理由は言ってくれない、ただ『Aだと間違えるからBでやれ』の一点張り」
「あぁ~……
いずこも同じだねぇ」
小山内さんも足挟さんも、揃ってため息をつく。
なんだろう。仕事以外では殆ど話をしたこともないのに、何だか親近感がわいてしまった。
「優しい上司や先輩、いないわけじゃないんですけどね。
すぐに辞めるか異動させられるかしちゃって。
残るのは、冷たくて素っ気なくて質問や相談しにくい上司ばっか……」
「私たちに優しい人って、優秀で気が利くから……
会社に見切りつけるのも早い上、色んな部署からも引く手あまたなんでしょうね」
いや、私に限って言えばそんなことないから。
他の優しい人たちは多分本当に優秀で気が利くんだろう。でも私は違うから!
そんな私の気も知らず、足挟さんはさらに続けた。
「そういえば……
私、少し前に食堂で、天木さんと同じ部署の人に助けられたんですよ。
テーブルに足挟んで、動けなくなっちゃって。
ちょうど通りすがりの男性社員に助けてもらったんですけど、お名前聞けてなくて。
その後に今の部署で作業するようになったら、その人と天木さんがいつも一緒にいるの見かけて……
なーんかすごく仲良さそう!って思ってたんですけど」
えっ。
も、もしかして悠季……私の知らないところで、そんなことを?
「あぁ、神城さん?
あの、滅茶苦茶印象薄い人だよね」
「あ。そういえば、神城さんって名前でしたっけ。
おかしいなぁ。何回か聞いたはずなんですけど、するっと忘れちゃうんですよね。
恩人のはずなのに、なんで忘れちゃうんだろう。私、人の名前はそんなに忘れない方なんですけど」
「いや、仕方ないよ足挟さん。
私も何故かよく神城さんの名前、忘れちゃうし。
顔覚えなきゃって思っても、いつの間にか忘れてるの。恐ろしい影の薄さだよ」
なるほどなぁ。悠季の擬態術はこういう風に効いているのか。
あんまり悠季のことを探られてもちょっと困るし、PIPの件もおおっぴらに話したくはない。自分が解雇寸前で会社に試されている立場だなんて、簡単に言えることではないから。
だけど――
この遊園地の地獄の中で、ほんの少しだけ、気持ちが楽になった気がした。
「ありがとう。
二人と話してて、なんだかほっとした。
毎日毎日、ストレスたまること多いから……」
自然とそんな言葉が、私の口からこぼれる。
すると小山内さんが、朗らかに笑った。
「あぁ、ほら、天木さん。そういうとこ!」
「えっ?」
「ちゃんとありがとう、って言ってくれるところですよ。
私たち、上司や先輩から滅多にお礼なんて言われないですもん」
足挟さんもつられて微笑む。
「ですよねー。
あの人たち、絶対私たちにお礼とか言わないし。
こっちが血ぃ吐く思いで定時に仕事終わらせても、それが当然って顔してる。
そのくせ、自分と仲のいいベテランさんたちが同じことしたら、ペコペコ頭下げてヘラヘラ笑って……正社員相手にそれなら分からないでもないですけど、そのベテランさんだって私たちと同じ派遣ですよ?」
「そうそう。見下している相手には絶対、お礼なんか言わないんだよねー」
言われてみれば……
私は、礼野先輩から一度でも『ありがとう』と言われたこと、あっただろうか。
いや、先輩だけじゃない。悠季やみなと君、沙織さんみたいなわずかな例外を除いては、この会社じゃ他の誰からも、まともにお礼を言われたことなんて――
多分これを礼野先輩に言ったら、間違いなく彼女は答えるだろう。
『お礼を言われるようなことをひとつもしていないからですよ』と。
そう。この会社はそういう会社だ。
こちらがどれだけ努力して、ミスなく定時でノルマを終わらせようとも、それは当然のこと。
当たり前のことに何故礼を言う必要がある? というのが、だいたいの社員の考え方。
そのノルマがどれだけ膨大で、人によっては精神や身体に不調をきたしてしまうほど重いものであろうとも、こなすのが当たり前。こなせなければ落伍者。
ノルマをこなしながら、なおかつ他人を手伝ったりできる者だけが、お礼を言われる。
――そんな真似が出来るような人は、私にはそれこそ異世界の化物以上の何かにしか見えないけれど。
「でも、やっぱりそれっておかしい気がします。
頑張って頑張って頑張ったのなら、評価に反映はされずとも、お礼の一言ぐらいは欲しいですよね」
「そうそう。いくら会社じゃ結果が全て、過程は何にも関係ないとはいえ、よ。
それが人間の感情ってものじゃない? この前のピークじゃ私、右脇に激痛走るほど入力したのに、労わってくれたの足挟さんとか仲いい人たちだけ。もう慣れたけどさ」
足挟さんも小山内さんも口々に不満を言う。
私は何となく、夜空に煌めく大観覧車を見上げた。園内のどの場所からでも、この大きな観覧車はよく見える。
考えてみれば、原口主任からも面と向かっては一切、『ありがとう』と言われたことはないけれど。
私たちが頑張ったそのお礼がわりがこの、遊園地なのかも知れない。
ものすごくありがた迷惑すぎるお礼だけど。




