その1 毒を増幅する職場
ケイオスビーストの事件が解決して、数週間。
悠季とみなと君、そして沙織さんと私も無事退院し――
私の誕生日祝いを兼ねた退院パーティを、4人で盛大に行った。
私と沙織さんも、傷病休暇が取れたことにほっとしていた。
しかも二人とも、給与カット一切なしで。貴重な有給を使わずに済んだ……
その点は広瀬さんが会社にかけあってくれたらしい。
――そして私たちは無事、職場復帰を果たした。
会社もようやく通常業務が出来るようになってきたようで、いつもの忙しさが戻ってきている。
――当然、礼野先輩や田中君とか、顔を合わせたくない人たちもいるわけだけど。
それでも、復帰の朝。
チームに向かう直前、悠季と視線を交わし合い、二人で大きく頷くと。
私は大きく深呼吸しながら、久しぶりの自分のデスクに着席し、PCのスイッチをつけた――
と、その時。
「何をしてるの、岩尾君!
この手続きは本番の2日前にはIT部門に出しておかないと間に合わないって、何度も言ったでしょうが!!」
フロア中に響く怒声に、びくりとして私も悠季もそっちを振り向いてしまった。
薄いパーティションを隔てた向こう側、入金管理チームから、その声は響いている。
私のいるチームは審査チーム(沙織さんは契約管理チーム)だから、ほぼ無関係な部署ではあるんだけど……
時々こういうヒステリックな怒声が響いてくるから、気になってはいた。
そして――
「すみません、すみませんでした!
スケジュールの確認を怠った僕のミスです。申し訳ありません!!」
あぁ、やっぱり。
怒鳴られて必死でぺこぺこ頭を下げているのは――
入金管理チームで唯一の男性社員、岩尾君。
入社3年目の若手。ちょっと茶色に染めた短髪と、程よく焼けた小麦色の肌。比較的細身ではあるけど、ワイシャツの下にしっかり筋肉がついているのは、悠季と同じだ。
いつも眼鏡をかけていて、ぱっと見神経質な所謂オタク君に見えるが、実は自転車好きのアウトドア派である。
でも――
「またあいつか……
他人事ながら、同情しちまうなぁ」
悠季もその様子を見ながら、ふとため息をつく。
このオフィスに勤める同じ男子として、岩尾君のことは悠季も多少気にかけているようだ。
何せこの職場、8割超が女性。男性社員は役職持ちでもなければ非常に肩身が狭い。
フロアの男子トイレさえ女子用に改造され、トイレに行くなら男子は上階に行かねばならない。
しかも容姿も悪くないせいか、周囲の女性社員からはしょっちゅうセクハラギリギリの接触をされているらしい。
そのストレスか、最初に見た時より明らかに痩せ細っている。それは今に始まったことじゃないんだけど――
*******
「最近、ホントしょっちゅうなの。岩尾君のミス」
ランチタイム。私はいつも通り、藤田さんと吉原さんの二人で昼食をとっていた。
悠季とみなと君は大体二人で連れだって外で食べている。沙織さんは沙織さんで、一人でデスクで食べることが多い。時々私たちと一緒に食べることもあるけど。
私は悠季が来る前と同じく、藤田さんたちと食べることが多かった。
そして最近多いのが、藤田さんによる、同じチームの岩尾君への愚痴だった――
「この前なんか、1週間後にチームのみんなでランチしよう!って話になった時にね。
僕がランチの場所確保します!って、彼が名乗り出てくれたんだけど。
当日になって念のため確認したら、岩尾君そのことすっかり忘れてて……
この忙しい時に、午前中かけてお店探しててさぁ」
「それで、何とかなったの?」
「なったから良かったけど……
後で、何で僕がやるって言いだしたのって聞いてみたらさ。
『何となく皆から、お前がやれっていう圧を感じたから』だって。
まだあるんだよ。この前なんか――」
呆れたように愚痴る藤田さん。
だけど私には、何となく分かってしまった。
チーム内唯一の男子。若手。ただそれだけで――
周囲に超ベテランの、いわゆるバリキャリ女性たちが構えている中での彼のプレッシャーは、相当なものがあるに違いないと。
私みたいにPIPが必要なレベルには達していないものの、岩尾君も確かに追い詰められている。
*******
「だろうなぁ。
会話盗み聞きしてるだけでも分かるぜ。岩尾のストレス半端じゃねぇよ」
ある朝、会社へ向かう電車内。
いつものように私に座席を譲り、悠季は私を守るようにその前に立ってくれる。
私の話を聞きながら、彼はうんうんと何度もうなずいていた。
「女子に囲まれて羨ましい! ハーレム! なんて、よく言うけどさ。
実際あぁいう状況になっちまったら、男としちゃホント気まずいぜ。
まずあのチーム、美人と言えるヤツが一人もいねぇじゃねぇか」
堂々と断言する悠季に、私は慌てて顔を上げて周囲を確認していた。
「あ、あの、悠季……
そういう判断は人によるし、あまり大声で言っちゃ駄目だって」
「何が駄目なんだよ。俺にはあの職場、葉子以外全員ブスに見えるぜ?
まぁ、沙織は葉子とは違う感じの美人って認めてもいいけどな」
「そう言ってくれるのは嬉しいんだけど、誰が聞いてるか分からないし」
しかし悠季はふと皮肉めいた笑みを消し、真顔で呟いた。
「俺が言ってるのは見てくれや年齢の話じゃねぇよ。
なんかさ、あの職場。人の毒気を増幅しちまう何かがある。
火山や溶鉱炉に近い場所だと、火術の威力が強くなるのは葉子も知ってるだろ。
それと一緒で、あの職場は人の嫌な部分を存分に引き出しちまう。その毒気がご面相にまで滲み出てる奴らが大半だ。
葉子の今のチームも酷いが、それとはまた違う嫌な感じが、岩尾んトコからも臭う」
悠季のそんな言葉を聞いて、私は思わず突っ込んでしまった。
「それって、藤田さんまで馬鹿にしてない?」
「馬鹿になんかしてねぇよ。事実を言ったまでだ。
それに葉子だって内心、藤田が鬱陶しいと感じること、あるんじゃねぇの?」
そう言い返しながら、じぃっと私を見つめる悠季。
……それは確かに、ある。
藤田さんはランチメイトとしてはいい話し相手だけど、正直、一緒に仕事をするのは避けたい相手だ。
彼女はこちらの発言の枝葉末節に至るまで寸分なく聞き逃さず、細かいことを何度も何度も質問してくる。その為次第に話の論点がずれて、いつの間にか全く違う方向へ話が飛んでいることがよくある。
それがランチでのお喋りならほぼ問題ないんだけど、一緒に仕事をするとなると……
仮に、私が今の仕事を彼女に教えるとなった場合、私があやふやになっている部分を徹底的に質問攻めにしてくるのは目に見えている。そして仕事の根幹とは殆ど無関係な部分をこちらが必死で説明しているうちに、時間切れになるんだろう。
そして逆に彼女が私に教える場合は、彼女が一方的にあれやこれやと怒涛の如く喋り、私が慌てて質問すると――
『え、まだそれ分かってなかったの? 嘘でしょ……大丈夫?』
などと目を丸くされて不安な顔をされる……そんな気がする。
というかそもそも私は、いつも仲の良い人たちと一緒に仕事をするのは、なるべく避けたいのだ。
それまで特に気にしていなかった、むしろ可愛いと感じることさえあるその人たちの小さな欠点が、仕事になると一気に短所として浮き彫りになってしまうから。
またそれ以上に、自分の欠点も曝け出すことになり――
おっとりしていて大人しいといつも友達に言われていた私は、仕事では「報連相もろくに出来ない上、仕事の遅い人間」として、一気に嫌われてしまう。
――礼野先輩だってそうだった。
彼女だって最初は、私と普通に気さくに会話してくれていたのに。
そんな私の気持ちを知ってか知らずか、悠季は呟く。
「普段だったら、相手の欠点とかあまり考えずに付き合っていられるかも知れねぇけどさ
……それも貴方の美点だとか何とか言ってごまかして。
仕事となるとそうはいかねぇ。特に、相手とこっちがことごとく噛み合わないと、両方の短所が最悪の形で露呈されちまう。
今の葉子の職場って、そういう噛み合わなさが凄いんだ。歯車がギシギシ軋みまくってる音が、あっちこっちから聞こえるぜ」
そんな悠季の言葉を聞きながら、私は思った
――もうあの会社、辞めた方がいいのかな。
今は悠季がいるからそんなに辛くないけれど、彼がいなかった頃は、朝の電車ほど苦しいものはなかった。
特に休日明けの朝などは、何度吐きそうになったか分からない。実際、トイレに駆け込んだことも幾度もある。
いや。悠季がいる今だって、まだ胃が痛い。
それを慮ってか、彼はふと表情を和らげた。
「まぁいいさ。
とりあえず、葉子。少しでも寝とけよ」
そう言って悠季は私の額にそっと指を乗せ、ごく軽めの睡眠術をかけてくれた。
巷によくある胡散臭い広告の睡眠術ではない、本物の闇術に則った睡眠の術を。
到着まではまだ10分以上ある。勿論、着いたら悠季はちゃんと起こしてくれる。
だから私は安心して、ごくわずかながらも眠りにつくことが――
しかし、それから5分もしないうちに。
突然右隣に何かが無遠慮に座ってくる重みを感じ、私は思わず頭を上げてしまう。
それが悠季ではないことはすぐに分かった。匂いも雰囲気も違う。
ちょうど電車は途中駅に着き、多くの人が出入りしているところだった。
偶然にも私の両隣が空き、左隣には悠季が座っていたが――
右隣に座ったのは別の人物。赤の他人なら良かったけど、この感覚は多分知ってる人だ。
しかもうっかり私は目を上げてしまい、さらに悠季の軽めの睡眠術も解けてしまい。
右隣の人物と、まっすぐ目を合わせてしまう羽目になった。
「天木さん、神城さん、おっはよーございますっ!!」
堂々と私の右隣に座り、大声で挨拶してきたその人物は――
噂の人。岩尾誠君だった。




