その29 決着
「こ、この……!」
完全に激昂し、身体中の毛を逆立ててビーストに飛びかかるアガタ。
両手の爪が一気に3倍以上に伸び、瞳が人のそれではなく、猫のように、否、猫そのものに細く縮む。
頬まで裂けた口から剥き出しになる、鋭い牙。
「この野郎! よくも、よくもぉお!!
離せ、イーグルを離せぇええぇえっ!!!」
獣と化して空へ跳躍し、アガタはビーストの頭部へ食らいつく。
そんな彼女の絶叫を皮切りに、一斉にビーストへ攻撃を仕掛けるランハートにヨルミ。
それでもビーストは苦痛の中暴れ続け、決して悠季を吐きだそうとはしなかった。
最期の力で、悠季の命を自分のものにしようというのか。
――駄目だ。
悠季、まだ駄目。まだ、諦めては、駄目。
痛み続ける頭を上げながら、それでも葉子は眼前の現実を睨みつける。
まだ生きているはずだ。悠季は、まだ。
明滅を続ける氷河剣と、バイザーに表示されたHPとLPが、それを証明している。
だから――!!
「天木さん!
もう駄目です。貴方の血は、もう――!!」
そんな広瀬の怒号が聞こえたが。
葉子は躊躇うことなく、コントローラのAボタンを押した。
その指すらとても冷たく、感覚がなくなりかけていたが、それでも。
瞬間、視界を覆ったものは、無数の黒い点々。
それが葉子の眼前を、霧のように覆い尽くしていく。
広瀬の叫びと、沙織の呻きが、交互に聴こえながらも途切れていく。
身体の重みをコントロール出来ず、前のめりに倒れていく自分を感じながら――
それでも葉子は、叫んだ。
「悠季。お願い――!
貴方はまだ、やれるはず。
まだ、生きてるはず。
だから、――」
立ち上がって。
その言葉が彼に届いたかどうかも分からないまま、
葉子の意識は、急速に薄れていった。
「う、うわぁあああぁっ!!
離せ、離せ、この……っ!!」
ケイオスビーストに丸ごと呑み込まれながら――
悠季はそれでも未だ、生きていた。ビーストの口の中で。
喰われる直前に飛び退いたおかげか、ほぼ全身がそのまま呑み込まれ、噛み砕きによって身体が切断されなかったのは不幸中の幸いだった。
剣を掴んでいた左腕だけは外に飛び出し、二の腕がもろに噛み砕かれ大量出血してはいたが――
それでもまだ、俺は、生きてる。
脳裏に微かに響くものは、葉子の声。
――立ち上がって。
それは、何度も悠季を、イーグルを、窮地から救ってきた彼女の言葉。
そして彼女の血がもう一度、自分に注ぎ込まれたのか。
身体の奥から、再び力が漲ってくるのを感じる。
ボロボロだった服も、一瞬元に戻ったように思えた
――が。
ここからの突破口が、見いだせない。
口腔内で蠢くイソギンチャクの如き無数の絨毛は、次々に悠季の身体に襲いかかり、その四肢を絡めとる。
さらに、先端から分泌される唾液らしき粘液が一気に全身を汚したと思ったら――
じゅうじゅうと嫌な音と煙を立てながら、服と一緒に皮膚が溶かされ始めていた。
「ぐ……っ!!
あ、あぁ……あ……!!」
全身唾液まみれにされた悠季は、絨毛を引きはがそうと何度も何度も蹴り続けるが。
その足さえ絡めとられ、靴もズボンもべとべとと飴のように溶けていく。
さらにそんな悠季の身を面白そうに舐める、ビーストの舌。
悪臭を放ちごわついた舌が、口の中で悠季をいいように転がす。
さらに、噛んだままの悠季の左腕をさらに噛み潰そうとしているのか、牙を横方向へギシギシと軋ませるビースト。
当然、左腕からの出血も激痛も倍増していく。
血と肉が溶け出す悪臭が、口腔内に充満した。
「あ……あぁあ、ああ……!!」
多分俺のことを、生きのいいエビか何かだと思ってやがるんだろう。
なかなか嚙みちぎれなくて、ムカついてるんだろうな。
だけど――
痛みに思わず絶叫しながらも。
それでも悠季は、意地だけで歯を食いしばる。
それでも手は、まだ、ある。
生きている限り。
幸せになるって希望を捨てない限り――
やりようは、残ってるんだ。
「葉子。
お前の命、ちゃんと使うぜ。
一緒にこいつを、吹っ飛ばす!!」
顔のあたりまでせりあがり、右眼に飛び散った粘液。眼球が破裂するかという激痛が襲い、鮮血が瞼の奥から溢れた。
しかし、それすら強引に振り払い。
悠季は右腕を真っすぐに、ビーストの喉の奥に向けて突き出した。
その指先に集中させた術力が、青い光の塊となって掌に一気に収束していく。
キィンと大気を揺るがす音を立てながら、持てる力の全てを指先に注ぎ込む悠季。
そんな彼をどうにかしようとしたのか。ざらついた舌先が、剥き出しになった右肩の傷口を抉っていく。
「ぐ……!!」
大量の唾液が、傷口に直接ぶちまけられ。
皮膚どころか肉まで溶けて、骨の一部までが露出する。
この調子だとあと十数秒で、俺は全身ドロドロのゾンビになっちまうだろう――
それでも悠季は決して、右腕を下げようとはしなかった。
「いい加減、吹き飛びやがれぇ!
こんの、クソ両生類がぁ!!」
怒りをいっぱいに漲らせたその絶叫と共に――
悠季の命の力、その全てを術力に変換した光は、
ケイオスビーストの喉の奥で、大爆発を起こした。
朦朧とする意識の中で、葉子は確かに見た。
悠季を呑みこんだビーストの牙、その奥から弾ける無数の閃光を。
突然苦しみはじめ、口の中から一気に凄まじい量の体液を吐き出す巨獣を。
そして――
吐き出された体液の中から飛び出してくる、悠季の姿を。
傷ついた右手いっぱいに術力の光を翳す悠季。その火球は空を切り裂く音を立てながら軽く電撃さえ纏い、さらにパワーを増していく。
その光さえも吸収しようというのか。大きく口を開けたまま、激しい雄叫びを上げるビースト。
最早使いものにならず、剣を握ったまま後方へ垂れ下がった左腕。
ボロボロに溶かされ、羽衣のように光に靡く血みどろのワイシャツ。
右眼は潰されたのか溶かされたのか、激しく出血していたが――
その分左眼は大きく見開かれ、瞳孔の周囲には真っ白な光輪が炯々と燃え盛っている。
身体中から煙を噴きながら、それでも何かを叫びながら、光を翳し続ける悠季。
その全てが――
葉子の霞んだ目に、何故かくっきりと映し出された。
とても、綺麗だ。
あれが、悠季の――生命の光なのか。
その光をまともに口に受けながら。
ビーストの巨躯が、一気に膨らんでいく。
水を吸い込みすぎて膨張する風船のように、異様な光を体内から放つケイオスビースト。
吸い込んだ力が漏れ出しているのか。鱗の間から次々に、青の閃光が飛び出してくる。
「やめるんだ、神城!
それ以上やれば、お前の命が……!!」
広瀬の絶叫が聞こえる。
しかし葉子の目にはもう、ビーストと悠季の姿しか見えない。
他の仲間がどうしているのか、自分がどうなっているかすらも、もう、分からなかった。
お願い。
悠季の命が、燃え尽きてしまう前に。
お願い。早く――
早く、ここからいなくなって。
歪んだ形で生み出されてしまった、命よ。
幾多の命を吹き飛ばしたか、どれだけの破壊を繰り返したか分からない、邪神の狂獣よ。
そんな葉子の祈りが、通じたか。
水をありったけ吸い込み続けた水風船がどうなるかといえば、当然――
ケイオスビーストは、遂に爆砕した。
悠季の生命の力、そのほぼ全てを吸い込んで。
ゲームで見たのと同じように、気球のように宙へ浮かび上がったかと思うと――
散り散りに爆散していく、ケイオスビーストの巨体。
その身体は無数の白い光と化し、粉雪のように湖へ降りそそいだ。
ビーストの最期を見届け、安心しきったのか。
全ての力を失い、弛緩しきった悠季の身体が、逆さまに空から落ちてくる。
瞬時に飛び出したランハートがそんな彼を、しっかりと抱き止めた。
「へ、へへ……
さすがに、もう……駄目……かも……」
少し苦笑交じりの悠季の呟きが聞こえたと思った、その瞬間。
葉子の意識も、すうっと遠のいていった。




