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解雇寸前だけど、推しに補佐されながら立ち直ります!  作者: kayako
第6章 彼と彼女が「向き合う」時
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その56 お前は間違っちゃいない



 だが不意に、教師の巨体も、子供たちの嘲笑も――

 葉子の前から、音もなくかき消えた。

 まるで舞台の幕が一度すべてを閉じるかのように、空間が一瞬、静寂と闇に飲み込まれる。


 ──そして、次の瞬間。


 そこには、ぽつんと立ち尽くす葉子の姿だけが、ひと筋の光に照らし出されていた。

 まるで舞台の上、たった一人取り残された役者のように。


 そんな彼女の眼前に、教師のかわりとばかりに現れたものは。



『座りなさい、葉子ちゃん。

 貴方ねぇ。それ、先生のおっしゃる通りよ』



 悠季もはっきり聞き覚えのあるその声は、葉子の母。

 まだ若い頃の彼女の母親が、葉子を眼前に正座させながら、ノートを目の前にして彼女を叱っていた。


『ママ、ずっと思っていたの。貴方は他の子よりずっと幼いんじゃないかって。

 貴方がだらしないから、先生だって怒るの。

 貴方がどうしようもないから、先生にもみんなにも迷惑をかけているのよ。

 しっかり指摘してくださるなんて、いい先生じゃないの』


 一方的に葉子を説教する母親。

 それに対して葉子は反論しようもない。固められた小さな拳が、両膝で震えている。



 ――あぁ。

 あの教師の横暴から娘を守るどころか、同調しちまったのか。葉子の親は。



 水の中で苦しむ悠季にも、それははっきりと分かった。

 その瞬間の葉子の絶望までが、痛いほどに伝わってくる。



『怒られたくなかったら、もらったプリントはちゃんと見せなさい。

 先生の言うことはちゃんと聞いて、帰ってきたら次の日の準備をちゃんとしなきゃ。

 それをしないから忘れものをするし、宿題も忘れるし、プリントもなくすんでしょう?

 貴方はいつもだらしないんだから、先生が怒るのは当たり前でしょ!』

「……」

『なのに貴方は帰ったらすぐ、疲れたって言ってお部屋に引っ込んで本を読んでばかり。

 お隣の美江ちゃんのお母さんも言ってたわよ。美江ちゃんも他のみんなも、帰ってきたらたくさん学校のお話をしてくれるんですって』

「…………」


 いつ終わるとも知れず延々と続く、母親の小言。


『美江ちゃんはお母さんに楽しいお話をいっぱいしてくれるし、毎週お休みの日にはお友達が遊びに来るみたいで、ホント羨ましいわぁ~。

 お手伝いだってたくさんしてくれるし、時々一緒にお料理までしてくれるそうよ。

 貴方ときたら、お皿洗いすら嫌がってお部屋に引っ込んじゃうじゃない。

 女の子を産んだら、お料理とか一緒にやって、お友達もたくさん呼んで楽しめると思ったのに。貴方はお手伝いも全然しないし、お友達も呼ばないし、ママとろくに話もしてくれない。

 これじゃホント、楽しくないわぁ』


 とうとう耐え切れなくなったのか、葉子は小さな声でふと呟く。

 

「……私だって……

 日曜の朝、ごはん作ったり……してるでしょ……」


 しかし。


『あんなの、ごはんのうちに入らないわよ!

 パンを焼いてジャムとバター塗りたくったものを並べただけじゃないの。しかもチーズにクッキーやポテトチップを勝手に出して一緒にして! チーズもクッキーも高いから無駄に使えないし、片づけが大変なのが分からないの!?』


 葉子の精一杯の反論さえも、頭ごなしに否定する母親。


『それに、なぁに? 反省文に他の子の悪口まで書いたんですって?

 本ばかり読んでいるから、変な言葉を覚えちゃったのかしら。だから漫画なんかに夢中になっちゃいけませんって、あれだけ言ってるのに』

「……違うよ。

 先生は、確かにこう言って……」

『バッカねぇ。

 貴方、頭がおかしいんじゃないの? 先生がそんなこと言うわけないじゃないの!』


「バカ」の部分を殊更に強調し、唾を飛ばしながら叱責する母親。

 親にまで真っ向から否定され、ぐらぐら揺れる葉子の眼球。

 世界全体まで、大きく揺れているような感覚さえする。

 わたしは、ウソツキ。わたしは、ダラシナイ。わたしは、ヒキョウモノ。わたしは、バカ。

 せんせいは、こんなこと、言ってない。わたしが、カンチガイしただけ……

 そんな思考で葉子の心が真っ黒に塗りつぶされていくのが、悠季にもはっきり分かった。



「だったら……

 そんなに、私が、バカな子なら……」


 喉元でぐっと何かをこらえながら、震え声で呟く葉子。


「私を普通のクラスじゃなくて、そういう子たちがいるクラスに入れて。

 養護学級っていうクラスがあって、そこは先生も優しくて……」


 だが、葉子がそう口にした瞬間。

 母親の顔色がさっと変わり、怒鳴り声が降ってきた。


『とんでもないこと言うんじゃありません!

 養護学級って、貴方のような健康で普通の子が行くところじゃないのよ!?』


 母親は葉子の両肩を掴んでがくがくと揺さぶり、怒りをあらわにする。


『貴方、養護学級の子たちを見たことないの!?

 口もまともにきけないし、運動も全然出来ない、授業もまともに受けられない子たちが行くところなのよ。

 貴方は全然違うじゃないの!!』

「せ……先生も優しそうだし、クラスみんなすごく仲良さそうで楽しそうだよ? 

 そ、それに、私はバカなんでしょ……成長が止まってるんでしょ……」

『全然違うわよ! 

 貴方はちょっとだらしがないだけ、ちゃんと努力すればまともな子になれる』

「だけど私って、おばあちゃんにも、一度病院で検査したほうがいいんじゃないかって、言われたくらいなんでしょ?」

『それは絶対に違うって、お父さんが何度も言ってくれたじゃないの!!

 貴方は頑張ればちゃんと出来る、ちょっとおとなしいだけの普通の子よ。

 検査も病院も、何も必要ありません。貴方の努力が足りないだけ!』

「…………」

『だからちゃんと学校に行って、先生の言うことをちゃんと聞いて。

 本ばかり読んでないで、勉強と家のお手伝いもちゃんとしなさい。それが普通の女の子なんだから』


 こうなった葉子は最早、何も言えない。何かを言うことも許されない。


『そうそう、美江ちゃんたちと同じように、お友達も家に呼んできなさいね。

 貴方が話してくれないからお友達のことも学校のことも分からなくて、他のお母さんたちと話す時ママ、ホントに恥ずかしいわぁ~』


 さらに延々と続く、母親の小言。

 やがてそれすら急速に聞こえなくなり、世界全体が真っ黒に染まっていく。



 ***



 そうか――これだ。



 今こそ、悠季は気づいた。

 葉子の、「誰かに何かを聞けない」性質。その、根本的要因に。

 そもそも悠季がこの世界に入ることになった、一番の原因に。



 それは、こういった大人たちによる、理不尽すぎる全否定。

「私は嘘なんか言っていない」と、どれほど弁解しても聞き入れられず。

「どうして先生の言葉をそのまま書いてはいけないのか」と質問しても無視され、足蹴にされる。最後のよりどころになるべきであろう親にまで。

 せめて自分がこうなった原因を突きとめようとしても、徹底的に阻止される。

 そして、ただただ、ひたすらに変わらない地獄を強要され続ける。


 一度だけならまだしも、念入りに念入りに何度も何度も、こういったことは積み重なり、巨大なトラウマと化していたのだろう。

 ――未だに俺を離さない、オーランドの如く。



 それが分かった瞬間、悠季は叫んだ。

 届かなくてもいい。伝わらなくてもいい。それでも、叫んだ。


「葉子――お前は、間違っちゃいない。

 何度負けたって、貶められたって、立ち上がれる。

 お前が立ち上がれない時は、俺がそばにいる。

 俺に、お前がそうしてくれたように!」



 闇の中、たった一人残された葉子。

 彼女の背中を呼び続ける悠季。

 その声が届いたのか。葉子は、ほんの少しだけ悠季を振り返る――



 だが、その瞬間。

 悠季を閉じ込めていた水面が、ずるりと割れた。

 オーランドの腕に抱えられたままだった身体が、強引に水上へと引き戻される。

 突然戻ってくる呼吸。悠季は激しく咳き込み、肺まで入り込んだ水を吐き出した。

 焼けるように痛む喉。既にぼろぼろのセーラー服は肌に張り付き、裂けた箇所からはまだ治りきっていない傷跡が、赤黒く露出していた。

 悠季を拘束していた枝はオーランドによって切断されてはいたが、それでも執拗に腕や脚に絡みついたままだ。

 引きちぎられた胸元は、全く無防備に素肌を晒していた。荒い呼吸で激しく上下する鎖骨と共に。


 そんな悠季を背後から抱きしめたまま、オーランドは耳元で囁く。


『今日は特別だ。

 イーグル。お前に、新たな力を与えよう』


 刹那、悠季の背筋がぶるっと震えた。

 畜生――こんな時に、なんてもんを思い出させやがる。

 一番思い出したくない、あの激痛と羞恥の記憶。あれを……よりにもよって、葉子の前で。


 精一杯の抵抗の証として、ギリっと歯を食いしばりオーランドを睨みつける悠季。

 何をされたって、お前なんかに、絶対に屈さない。

 痛みの中でも魂の怒りは、悠季の中でごうごうと燃え続ける。

 ――そんな反応がなおも相手の妄執を呼び起こすと、分かっていても。



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