その25 誘われたのは、「実験室」
二度目のサイコダイブが開始され――
悠季は再び、葉子の精神世界へと足を踏み入れた。
葉子と同じく、ふわりとした春風にも似た空気に眠気を誘われながらも、悠季の耳には三枝の声がはっきり聞こえてくる。
《神城。さっきも説明した通り、この前到達したダイブポイントからすぐに、サイコダイブは始まる。
要は、セーブデータをロードして冒険を再開できるってわけだ。また最初からやり直しってわけじゃないから安心しな》
「くどい。一度聞きゃ分かるっての。
とにかく、葉子の中にいるかも知れないベレトを探し出す。そいつが最優先ってこたぁ、言われなくたって分かってる」
《ハハ。さっきの極秘ミーティングで、あんだけ念押されりゃな》
悠季はふと、1回目のダイブ終了時を思い出した。
あの時、葉子の中の『闇の魔女』は――どこまでも俺を拒絶して、否定していた。
俺はあの魔女を、葉子の一部でもある彼女を、最後まで抱きしめていられなかった。
あの魔女が葉子の中で急速に力を拡大して、俺を拒んだら――
しかしそんな悠季の不安を見透かしたかのように、三枝の声が響く。
《まぁ、1回目のダイブ以降に対象者ととんでもない大喧嘩でもしていない限り、2回目のこの段階で拒絶されるってのはありえない。
ほら。どうやら、お迎えがきたようだぜ?》
そう言われて、悠季はうっすらと目を開けた。
どこか暗がりに寝かされている自分。ほぼ何も見えないが、それでも暖かい感じがする。
頭を回すと、ほのかな赤いランプの光が見えた。
あれは――?
《今お前がいるのはもう、精神世界の入り口なんかじゃない。天木葉子の核心ともいえる部分に接近している。
ここからは、彼女本来の姿が全開になる。
そんで、忘れるなよ。こっからはもう、俺が介入可能か分からんくらいの深度ってことを》
そのことはもう、悠季は事前のミーティングで散々聞かされていた。葉子と沙織が別室で待機している間に。
つまり――
自分や葉子に危機が及んでも、この間のように三枝が強制的に悠季を引き上げられるかは分からない。
悠季の力だけで、状況を切り開いていかねばならない。
――ま、そんな状況、昔からいくらでもあったけどな。
《ベレトにも警戒しなきゃならんが――
最も警戒すべきは、精神世界そのものが持つ牙だ。そいつを忘れるなよ》
それっきり、三枝の声は闇の中へと消えていった。
同時に、霧が晴れるように周囲の景色が露わになっていく。
悠季はまず、注意深く自分の状態を確認してみた。ダイブ時の背広姿のまま、どこも怪我はしていない。
闇の魔女に噛みつかれた腕にも、炎で焼かれたはずの背中にも、特に異常はなかった。身体の状態まで同じだったらどうしようかと思っていたが。
そして、さらに警戒を強めて周囲を見渡すと
――そこは随分、こじんまりとした可愛らしい部屋だった。
「ここは……
『炎の魔女』の部屋、か?」
柔らかそうなソファに、小洒落た丸テーブルが見える。その上では紅の炎が灯るランプが、こうこうと輝いていた。ガラス製のポットの中では、美味しそうな紅茶らしき飲み物がポコポコと軽く煮立っている。
全体が円状になっている小さな部屋。壁いっぱいに魔法書が埋め込まれている
――そのあたりは、土の魔女の家と同じか。
だが土の魔女の家と決定的に違うのは、この家全体がレンガで頑丈に造られている点だった。ちょっとやそっとの風では吹き飛びそうにない。
それに、土の魔女の家にあったはずの大きな窓はない。というか、外が見えそうな窓そのものが少なく、本棚の上にちらっと換気用の小窓が確認できるだけだ。
恐らく、逃げ出すのも侵入するのも難しいだろう。
丸テーブルの他にも石づくりの机がいくつかあり、どの机にも所せましとフラスコやビーカーらしきものが並べられ、紫や緑や青といった液体がこぽこぽと泡をたてている。
明らかに毒々しい――いかにも魔女の実験室といった風情だ。
隅には暖炉があるように一瞬思ったが、よくよく見たら全く違うものだった。
それは、ちょっとした風呂くらいの大きさもある釜。中では大量の岩やら鉄やらが炎で溶かされたのか、溶岩のようになってじゅうじゅうと音をたてて燃えていた。
おかげで部屋は鼻をつく薬剤の匂いが充満していたが、不思議と嫌な気はしない。それどころか、妙に良い香りのような気もしてくる。
しかし悠季は瞬間的に、この香りを危険だと感じた。
どうしてかは分からない。シーフの本能的な勘としか言えない。
何の根拠もなく人間の脳に奇妙な快楽を感じさせるこの匂いに、良い思い出はないに等しかった。
思わずベッドから身を起こし、身構える――
だがその時、ドアが開き、声が響いた。
「えへへ~。やっと起きてくれたんだね、悠季!
ううん……来てくれた、っていうべきかな?」
そこにいたのは勿論、『えんちゃん』――こと、『炎の魔女』たる天木葉子。
普段の葉子と違い、肩あたりで切りそろえられた赤い髪。いかにも魔女っ子らしい紫の三角帽子の方が目立つものの、きちんと真っすぐ整えられたストレートヘアはいつもの葉子の柔らかさを感じられず、悠季はどこか残念に思った。
マントの内側に着けているミニスカートにロングブーツはやたらと太ももが強調され、それも葉子らしからぬ異様さを感じさせた。全身を覆うマントが逆に、露出した二の腕や鎖骨、太ももの印象を強めている。それもこの、『炎の魔女』の計算なのだろうか。
――だとしたら、一体誰の為のカッコなんだ、こりゃあ。
ほんの少しだけ不快感を露わにしながら、悠季はベッドから立ち上がった。
「助けてくれてありがとな。
あのままだったら俺、カビだらけの浴室に閉じ込められたまんまだったぜ」
口ではそう言いつつも、悠季は警戒を緩めず慎重に歩みを進める。
三枝も言っていた――こいつは葉子の中でも、『滅茶苦茶にヤバイ部分』だと。
今まで会ってきたどの魔女もかなり手ごわい相手だったが、彼女たちより危険だというのか。
しかしそれに対し、炎の魔女はニコニコ笑いながら答えた。
心から嬉しそうなその笑顔に、全く裏はないように思える――
「モチのロンだよ、悠季!
貴方は私にとって、一番大事な人だもの!!」
明るい朱の瞳をキラキラ輝かせて答える、炎の魔女。
引っ込み思案な葉子の性質はかき消え、無邪気に真っすぐ悠季を見つめている。
大事な人――彼女は何のてらいもなく、そんな言葉を言い放った。
そうか。
葉子のかなり深い部分でも、彼女はこんなにも俺を受け入れてくれる――
本心から葉子は、俺を一番大事だと思ってくれているのか。
まだ踏み込むのはこれからと分かりつつも、悠季は何となく安堵を覚えた。
俺もどっかで不安だったんだな。葉子の深淵に近い場所で、俺自身が拒絶されたらどうしようって。
『闇の魔女』――あいつは結局、最後まで俺を否定し続けていたし。
そんな悠季の心情を知ってか知らずか、炎の魔女はとても楽しそうだ。
「だから、貴方とここで会えて――
貴方が私のすごく奥まで来てくれて、本当に嬉しいんだよ?」
眼光も強く、ハキハキと声も大きく、丁寧に整えられた赤い髪も綺麗だ。それに、遠慮なく両手を握りしめてくる。黒の手袋ごしではあったが、その手はとても暖かだ。
心なしか、胸も若干盛っているような気も――いや、それはともかく。
葉子というよりも、葉子が理想とする自身の姿ではないだろうか。ほんの少し、悠季はそう思った。
さて――とりあえず、何から切り出すか。
ベレトの件を直接聞くのは危険すぎる。部屋のどこにも、ベレトらしき気配は全く感じない。
ここにはいないと考えるなら、わざわざこちらからベレトの件に踏み込むのは悪手か。
それに、この魔女たちが目指す『光の聖女』とやらも、まだよく分からない。
まずはそこからか。
「ひとつ、聞いてもいいか」
「なに?」
「お前もやっぱり、『光の聖女』を求めているのか?
他の魔女たちと同じに」




