裏切り者の魔女はなにを思うのか?
「太刀川くん、起きて!!」
翌朝、叩き起こすように部屋の扉が開かれた。目をこすりながら声の主の方を見る。愛梨彩の顔は青ざめていた。
「どうかした?」
「桐生さんが……桐生さんがいないのよ!」
僕は思わず言葉を失った。桐生さんがいなくなっただって……?
「魔導教会か!?」
愛梨彩はかぶりを振る。
「屋敷に侵入された形跡はないわ。ただ朝起きたら彼女の気配がなくて……部屋を訪れたらすでにもぬけの殻だったわ。連絡しようにも繋がらないし……」
僕は慌ててスマートフォンを手に取り、チャットアプリを起動する。トークルームから桐生さんの名前が消えている。連絡しようにもブロックされているのか通じない。冷や汗が背中を伝う。
「思い当たることが……一つある」
「なにかしら?」
一瞬、口にするのが憚られた。桐生さんはきっと勇気を振り絞って告白したはずだ。そのことを口外するのは彼女の気持ちを踏みにじるような気がした。
けど彼女を探す以上、失踪した原因は仲間と共有した方がいい。桐生さんの身を案じるならなおさらだ。
「告白……されたんだ」
「なんの告白?」
「なんのって……決まってるだろ。好意だよ。僕のことが好きだって」
途端、愛梨彩が絶句した。「愛の告白をされた」と話しただけで彼女にはことのあらましが手に取るようにわかったのだろう。
「失恋のショックでいなくなったって言うの……?」
僕はコクリと首を縦に振る。
僕が桐生さんの気持ちに応えられなかったから……彼女はショックを隠せなかったのだろう。だから僕のそばから離れるように失踪した。
そう考えれば納得がいく。
「彼女が向かった先はきっと高石教会だ。このタイミングで失踪したとなれば教会の誘いに乗ったと考えるべきだろう」
開けっ放しにしてあったドアからブルームが入ってくる。彼女の言葉は断定的でひどく冷淡に聞こえた。
「あなた最初から知っていたの!? あの日、ソーマが桐生さんを懐柔するためにきたって!」
「勧誘されたんだろうとは思ったよ。一応私なりに釘は刺しておいたつもりなんだが……もっと強く言っておくべきだった」
愛梨彩がブルームへと詰め寄る。しかし……仮面の奥の瞳は伏していた。彼女の内には自責の念がある。きっと故意に見逃したわけじゃない。
「まだ教会の誘いに乗ったって決めつけることはないだろう? そりゃ振られたら相手と顔を合わせるのが気まずいって気持ちは僕だって……わかるし」
「そうね……手分けして探しましょう。まだ遠くにいってないかもしれない」
それからフィーラと緋色、僕と愛梨彩、ブルームの三手に分けて秋葉市内を探し回った。
しかしなかなか彼女は見つからない。家にも戻っていなかった。学校にもいなかった。駅にもゲームセンターにも本屋にも……桐生さんがいそうな場所はくまなく探した。
僕と愛梨彩は以前フィーラと戦った森林公園へとやってきていた。桐生さんが好みそうな場所ではないが、家出した人間が途方に暮れているとしたらこういった場所だろうという愛梨彩の意見も捨てがたく、訪れることにした。
「私はあっちを見てくる。またここで合流しましょう」
「ああ、了解」
そう言って駆け出そうとした時、「黎」と誰かに呼び止められた。振り向くとそこには仮面の魔女が。
「ブルーム。その様子だと……手がかり見つからなかったんだね」
「すまない」
どうやら彼女は一通り探して僕らと合流しにきたらしい。
思わずうつむき、地面を見つめてしまう。僕の胸の中で嫌な予感が膨らんでいく。
「黎……一つ聞いてもいいかい?」
顔を上げ、ブルームを見つめる。その目は真剣な眼差しをしていた。
「なんだよ、改まって」
「もし大切に想っていた人が自分に振り向いてくれず、ほかの人に執心していたら……君はどう思う?」
突然の質問に戸惑う。意図がわからなかったが、もしそうだったらと考えてみる。
もし……愛梨彩が自分ではなく、別の男に好意を持っていたら。自分のことは全く眼中になかったとしたら。
こんなに近くにいるのに、一途に想っているのに振り向いてくれない。考えただけで心臓が潰されそうだった。
「そりゃ……嫌だよ。自分が一番その人のことが好きだと自負しているし、簡単に渡したいとは思わない。けど、その恋敵が自分の想い人を幸せにしてくれるという確証があれば……託すかもしれない」
大事なのは自分の気持ちじゃない。自分以上に幸せにできる存在がいるのならそれはそれでいい。気持ちを押しつけて相手を不幸にするくらいなら、いっそこちらから身を引く覚悟だってある。きっと……つらいことだろうけど。
「君がまともでよかったよ。けどまともじゃない人間っていうのもこの世には少なからずいるんだ」
「どういう意味?」
「そいつさえいなければ自分を見てくれる。邪魔者なら消せばいい。そうすればその人の気持ちを独占できる……そう思いこんでしまう人間がこの世にはいる」
「桐生さんがそうだって言いたいのか?」
ブルームが無言で頷く。
桐生さんは周りをよく見てるし、そんな自分本位で動く人間じゃないはずだ。少なくとも僕はそう感じたし、それを見てきた。
「言い過ぎだろ、それ。根拠でもあるのかよ?」
腸が煮えくり返り、語気が強くなっていた。ブルームを責めても意味なんてないことはわかる。悪意があって言っているわけでないことも。けど……どうしても納得できなかった。
「彼女に似た人間をよく知っているんだ。裏の事情や相手の思惑なんていざ知らず、ただ自分の気持ちを第一に考える。直情的過ぎるんだ。もしそんな彼女の心の隙に教会がつけ入り、拐かしたとなれば……彼女は愛梨彩を殺す道を選ぶかもしれない」
「どうしてそんなこと言えるんだよ!!」
胸ぐらを掴みかかり、ブルームに詰め寄った。
——愛梨彩を殺す道を選ぶかもしれない。
その言葉を否定したいはずなのに脳裏に焼きついて離れない。
そんなことがあっていいはずがない。だって同じ学校に通っていたクラスメイト同士じゃないか。僕はまた友達同士、仲間同士で殺し合いをしなきゃいけないのか……?
「愛情や恋慕……それは時に人を強くするが、同時に人を狂わせる要因にもなるものだ。失恋がきっかけで彼女の歯車が狂い出したという可能性はゼロじゃない。現に彼女は見つからない」
「そんなこと……そんなことない」
自分に言い聞かせるように呟くことしかできなかった。否定することでしか自分を保てなかったんだ。
だってそれじゃ桐生さんが敵になったとしたら僕のせいってことじゃないか。見つからないという事実が刃となって僕の心奥を穿っていた。僕の責任なのか? 彼女の気持ちを受け入れればよかったのか?
「私たちは争奪戦の参加者だ。そして、彼女——桐生睦月も。これは誰のエゴが一番強いかを決める戦いだ。彼女が敵対する可能性は今のうちから視野に入れておいて欲しい。覚悟を決めておいて欲しかったんだ」
もう言い返す言葉すら見当たらなかった。ブルームの胸ぐらから手を離し、うなだれることしかできなかった。
「厳しい言葉を投げかけてしまって……すまなかった。私は捜索に戻るよ」
ブルームは風のように去っていった。そしてその後、僕たちが桐生さんを見つけることはなかった。
桐生さんが敵対する可能性。考えたくはない。けど……考えざるを得ない。彼女はもういないのだから。
親しかったものを手にかける覚悟。そんなものはしたくない。きっと話し合えばわかるはずだ。きっとまた元通りなれるはずなんだ……きっと。




