3 全ては気のせい
放課後。弓原の誘いを受けた沙羅は舞花を伴って、弓原の行きつけだという喫茶店を訪れていた。
「今日は色々と話せて楽しかったよ」
弓原は満足げに微笑み、手元のアイスコーヒーを啜った。
店を訪れて約40分。すでに会話は終盤に差し掛かっている。
弓原の聞きたいことと言うのは当初の予想通り、沙羅のアイドル時代の話題や芸能界に纏わるゴシップなどに関するものばかりだったが、沙羅は当たり障りない程度に質問に答え、時に弓原が突っ込んで聞いてきた場合には、舞花が持ち前のS気であしらうという流れが出来上がり、沙羅がストレスを感じる場面は少なかった。
後半には、弓原もシンプルに学業やプライベートに関する雑談にシフト、そこから先は同級生同士の他愛の無い会話といった感じで、むしろ和やかな雰囲気だったとさえ言えるだろう。
「ごめんなさい、父から電話だわ」
店内では迷惑になるので、舞花は席を立ち上がり、店外へと一度出た。電話の相手は舞花の父、つまりは真名仮市の市長のようだ。
「ねえ、詩月さん。もう一つ聞いてもいい?」
まるで舞花がいなくなったタイミングを見計らったかのように、弓原が切り出した。
「なに?」
この数十分の会話で、少し打ち解けることが出来た気がしていたので、沙羅は弓原の質問に、あまり警戒心は抱いていなかった。
「君は、久世灯夜について、どこまで知ってる?」
弓原はこれまでと表情を変えずに微笑んでいたが、その声色は明らかに違う。有無を言わさぬ凄みのようなものが感じられる。
「ゆ、弓原くん?」
弓原の変化を沙羅も感じ取り、困惑気味の声にその名を呼ぶ。そもそも何故、灯夜の名前がこのタイミングで出てくるのだろうか?
「当然、彼の両腕については知っているだろう。あれだけの力を持つ彼のことを、恐ろしいとは思わないのかい?」
弓原は笑顔のままで、一切の表情に変化が現れない。これは、笑顔という形を取った無表情だ。
何故弓原が灯夜の秘密を知り、何故このような質問をしてくるのか、沙羅には分からなかったが、弓原の言葉は沙羅の感情を刺激した。
「……そんなこと言わないで」
沙羅の言葉には、静かな怒りが込められていた。命を懸けて、自分やこの街を救ってくれた灯夜のことを、どうすれば恐ろしいと思えるだろう? 事情を知っているなら尚更だ。
「あれ、怒ってる?」
「怒ってるよ。弓原くんの発言、久世くんに失礼だもの」
「随分信頼しているようだね。まだ出会って一カ月くらいだろうに」
「時間は関係無いよ。私は、頑張ってる久世くんの姿を知っているから」
両腕を失い、その元凶となった存在から片腕を得ようとも、その力を誰かを守るために使っている灯夜の強さを、沙羅は知っている。
面倒くさいと言いながらも、そう平気で言えるような日常を守りたいのだという灯夜の思いを、沙羅は知っている。
「成程、君は心から、彼を信頼しているようだ」
沙羅の嘘偽りない心の内を垣間見れたことで、弓原の目的は達成された。
弓原が沙羅に聞きたかったこと、それは、彼女が久世灯夜という少年を、どう思っているのかということだったのだから。
「……弓原くん、君は何者なの?」
弓原も事情を知る側の人間だとは、沙羅は聞いていない。きっと、灯夜や楽人、今まで隣にいた舞花ですら、弓原はただのクラスメイトだと認識していたはずだ。
「ごめんよ、それは言えないんだ」
弓原の声色は、普段通りのムードメーカーなクラスメイトのものへと戻っていた。それだけで、一気に張りつめていた空気が解放されたかのように感じられる。
「おっと、時間が無いか」
通話を終え、店内へと戻ってくる舞花の姿を弓原は確認した。舞花に怪しまれるのは困るので、彼女が戻る前にやるべきことを済ませなければならない。
「それじゃあ、詩月さん、僕はこれで失礼するよ。会計は済ませておくから、ゆっくりしていってね」
何事も無かったかのように弓原は席を立ち、伝票を手に取った。
「待って、話しはまだ!」
思わず沙羅は語気を強めた。あれだけ意味深は言葉の数々を残しておきながら、何の説明も無く立ち去るなど許すことは出来ない。
「気にしない気にしない。そんなに眉を顰めてたら、可愛い顔が台無しだよ」
茶化しながら弓原は沙羅の肩に軽く手を置き、耳元へと顔を近づけた。
「ミトべヒ……」
「えっ?」
弓原が囁いた言葉を聞いた瞬間、沙羅の中に湧いていた弓原への疑念が急に冷めてきて、追求しようという気持ちを奪っていく。
「それじゃあね、詩月さん」
「う、うん。また学校でね」
手を振ってレジの方へと向かって行く弓原を、沙羅は何となく心の中に引っ掛かりを覚えながらも見送った。
「弓原くん、先に帰ってしまったみたいね。用事が出来たとか言っていたけど」
入口で顔を会わせたのだろう。弓原は舞花にはそう説明したようだ。
「沙羅さん、どうしたの? 不思議そう顔をして」
どうにもぼんやりとした様子の沙羅を見て、舞花は首をかしげる。
「もしかして、弓原くんに何か変なことでも聞かれた?」
自分がいない間に、弓原が沙羅にまた芸能界の話しでも聞いて困らせたのではと、舞花は想像する。
「ううん、そうじゃないの。えっとね……」
舞花が席を開けていた時の弓原との会話を、沙羅は思い出そうとするが、
「あれ、何だっけ? 久世くんの話題だったような気はするんだけど」
何か弓原に苛立ちを覚えていたような気もするが、今はそんな感情は一切残っていない。たぶん気のせいだったのだろうと思う。
「ごめん、話しに集中してなかったのか、あまり覚えてないや」
「あらそう? 別に不快なことを言われたりしてなければ、それでいいんだけど」
沙羅の様子に引っ掛かりは覚えながらも、さっきまでは学校関係の雑談などもしていたのだし、その延長戦で、灯夜の授業態度などに関して雑談でもしていたのだろうと、舞花は結論付けた。
弓原が囁いた『ミトベヒ』とは、魔術発動のトリガーだ。
彼が使ったは意識干渉系の魔術で、直前の出来事に関する記憶を曖昧にさせ、気のせいだったかのように錯覚させる作用を持つ。
今の沙羅にとって、先程の弓原の灯夜に関する発言は、自分の気のせいであったと認識されており、弓原に対する疑念も怒りも、消失したわけでは無いにせよ、すでに意識の外だ。
記憶そのものを消すわけでは無いので万能とまではいかないが、本人が気のせいだと思い込んでいる以上は追求されることは少ないため、情報操作には十分に役立つ魔術だと言える。
黒縁眼鏡がトレードマークの男子生徒、弓原理吉。
その目的は不明だが、魔術を使用した以上、彼が魔術師であるということだけは間違いない。




