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009 破壊

 カロンは昔語りしたことそのものはどうでもいいと思っていた。月乃やミリア、それにリックは知っていることだし、ここの教官も古くからいる者ならばある程度の事情は心得ている。そして現在の状況も、だ。

 学園内、旧第二鐘楼区。

 それが今カロンの立つ場所の名前。鐘楼の面影といえば、高さ五十センチほどから上部をなくした台座ぐらいのものだろうか。四聖竜の暴走で破壊され、鐘そのものはだいぶ前に撤去されていて、しかし新しいものが作られる気配もない。

 昔のこととは言え、爪痕そのものが消えた訳ではない。瓦礫が取り除かれた今も、そこには正しく傷と呼ぶにふさわしく、大地がものの見事に抉れ、ちょっとした崖の様相を呈している。この目の前の崖のみならず、重量物を叩きつけたゆえの窪みや逆に魔法の作用で隆起した巌などがそこかしこにある。

「如何にこちらが裏側だとしても、このまま放置すれば危険なのにな……」

 愚痴をこぼし、しかしこの状況に対処できる魔法使いがほとんどいない現状では、どうしようもないことも理解している。

 学園はグランベル市と次元の異なるものの座標を同じくする多重次元空間上の一つに存在する。だが、四年前の事件で要の鐘楼の一つは崩壊。応急処置として、紋章を刻み込んだ杭が一本地面に突き立っているのみ。鐘楼と同じ効果を持つとは言え、物として脆すぎるし、壊れれば、たちまち空間は不安定になる。

 市長による依頼の一つがこの状況への対処だ。もう少し早めにやるべきだったといえばそうだが、物がないのに出来ようがない。

 だが、とカロンは背後に目をやる。車輪をつけた台に載せてきた先端がやや細くなっている円筒の物体。それがこれまでの代用品である杭に代わる新たな要である。

「なんじゃ、それは?」

「あ?」

 唐突に空間から滲み出るように現れたのはアリスだった。

「この空間を安定させるための装置だ」

「ああ、そういえば四年前に四聖竜に壊されたのじゃったな。災難なことじゃ」

「本当にあれはただの災難か?」

 カロンの質問にアリスは顔をしかめた。

「だとしたら、随分とありがたいのじゃがな」

 事件そのものは精霊廟のもと、事故として片をつけられた。如何に彼らが精霊の守護を第一に掲げていたとしても、それはあくまでも人間への敵対を防ぐためだ。それだというのに、実際の襲撃に対してまともな調べも行わずに事故と断定した経緯は如何程のものなのか。

「思い悩むだけ無駄だな」

 カロンは呟き、今やるべきことを優先させた。円筒の物体を台から下ろし、地面に突き立てる。そして、後は起動のための文言を唱えるだけだが、

「アリス、姿を隠しておけ」

「なんじゃと?」

 カロンは問い返す声に構わず、地面に穿たれた爪痕へとアリスを突き飛ばした。下でくぐもった悲鳴が聞こえたが、彼は構わず鋭くある一方を凝視する。

「やあ、イルナリス君」

 キンキンと耳に触る金属質な声音。口元は鉄に覆われており、落ち窪んだ眼窩の奥から白濁した瞳が覗く。

「……審議官」

 心の奥底から湧き上がりかける過去の仕打ちに対する怒りを飲み込み、カロンはその役職名を喉から絞り出した。

「いやぁ、実はあれから司祭になりましてな。それもこれも、君のお陰ですよ」

「それは、精霊殺しの罪科により私を捕えた功績故か?」

 滲む悪意を声に載せ、そう問うが、審議官改め司祭はキヒヒと耳障りな声で笑うと、

「いえいえ、この世の要たらん宿し子の君を見出した功績ですよ」

「…………見出した、か」

 嘘くさい。事件以前に私の存在が精霊廟に知られていないわけがなかった。だが、何はともあれこの男は真実を話す気など毛頭ないようだ。

「学園へは何用だ?」

「ああ、少しこの街に用がありましてね。そのついでですよ。わしの宿し子が、その後どうしているか気になりましてね」

 カロンはまっすぐに学園と街を繋ぐ門のある方向を指差し、

「用が済んだなら、即刻お引き取り願おう。私にはやることがある」

「キヒヒ……そうですか。ええ、そうですね。随分と元気そうな顔を見られましたし、帰るとしましょうか」

 もう一度男は金属質な笑い声を立てると、円筒を一撫でしてからゆっくりと歩み去る。その際、ちらりと地面の爪痕に視線をやる。そこにアリスの姿を見たかは定かではない。反応を示さず、彼はゆっくりとその姿を消した。

 カロンはその後ろ姿が完全に消え去るまで、すべてを凍らせんばかりの冷徹な怒気を込めて睨みつけていた。

「カロン」

 アリスの顔にあるのは突然突き落とされた事に対する怒りではなかった。なにか理解できないものを見たときのような不可解さと疑念に占められた表情。

「あれは、あやつは宿し子か?」

「どういう意味だ?」

 質問に質問で返すことになったが、彼女はつぶやくような声で、

「いや、わからぬ。だが、あやつの中に精霊を感じたような気がする」

「…………」

 カロンは彼の去った方角を見るが、その姿は既にない。だが、アリスも憶測だけで物を言うような性格ではない。そう口に出すだけの根拠があったのだろう。

「今となっては確かめようがないが……」

「お主は感じなかったのか?」

「そうだな。私はお前よりは他者の気配を感じる術に関しては劣っている。なにより……」

 平静でなかった、と言葉を続けようとしてそれは飲み込んだ。

「わしとて確証は持てぬ。だが、用心するに越したことはなさそうじゃ」

「そうだな」

 カロンは心の隅に懸念を残しながらも、今は作業に集中することにした。

 要の設置を終えたカロンとアリスは連れ立って学園の各所を巡った。新たな要を設置したことで空間に歪みや崩壊が起きていないか確かめるためだ。

 無言ではなかったが、会話が長く続くこともなかった。ポツリポツリと断片的な、当たり障りのない話題を選びながら言葉を交わす。

「そういえば、四聖竜の精霊石はあのユーロシアという小娘に渡したのだな」

「ああ。適性はあいつにしか出なかった。気難しい奴の遺志らしいよ」

「じゃな。だが、あの小娘にそこまでの力は期待できるのか? 正直、わしにはひ弱な女子おなごにしか見えん。まだ、あの胸の大きいあっちの方が素質はありそうじゃがな」

「楓か?」

 アリスのあまりにもな言いようにカロンは少し相好を崩し、

「確かに、現状だけ見ればそうなるのかもしれないな。だが、私はあいつに期待している。きっと、竜もそう思って彼女に力を貸すことを選んだのだろう」

「ふん……期待で力を貸すなど、随分と安く自分を売ったものだな」

 だがまあ、と彼女は続け、

「いつかわしがこの世に石を残す時が来たら、力ではなくその者の意思に賭けてみるかもしれんの」

 カロンはそっとアリスの横顔を見た。だが、そこには特段の感情は浮かんでおらず、瞳は当て所もなく、遠い未来を透かし見ているようだった。

「そういう意味では、宿し子とはなにも残せぬものなのだな」

 そう、宿し子は精霊を身に宿してはいるものの、精霊石を遺すことは出来ない。

 しかし、アリスは呵呵と笑うと、

「石は残せずとも、子は残せよう? ちょうど、お主の側には年頃の若いのが二人もおるではないか」

「そういう下世話な話は止してくれ。私はまだそういうことを考える気になれないんだ」

「なんじゃと? この贅沢者め!」

 わざわざ跳ねて頭を叩いてくる。

「だがまあ……」

 カロンは空を見上げ、

「彼女たちには本当に感謝しているよ。もしもユウがいなければ私は市長の依頼も蹴っていたろうしな。そうしたら、あの時間の停滞した埃にまみれて一生を終えようとしていたかもしれない」

「そこまで大げさなものかの?」

「大げさかもしれないが、一つの契機だったんだ」

 カロンたちは最後の確認場所である、街と学園を繋ぐ門へと足を向けた。そこを最後にした理由は、あの精霊廟の司祭がまだいるかもしれなかったためである。

 つくづく嫌いなのだな、とカロンは再認識した。

 だが、そんな考えが吹き飛ぶ景色がそこにあった。門は意図的に一つしか設けられていない。襲撃の関係もあるが、なによりも人の流れの管理そのものをしやすくするためだ。

「これは――」

 二の句が継げなかった。

 崩壊。空間が、ではない。門が、である。しかし、それの意味するところは一つ。この学園は外界との繋がりを立たれた状態であるということ。

 アーチ状の構造物は根元から砕け散り、そこに刻まれた紋様はさらに抉り取られたような状態。だが、カロンの懸念はそこにはなかった。

「おい、カロン!?」

 急に駆け出した彼へ疑問の声を上げるアリスだったが、構ってはいられなかった。この破壊が司祭の仕業なのだとしたら、彼は要の円筒に“触れて”から去った。そこに何らかの細工が仕組まれていたかもしれないというのに。

 しかし、半分も進まないうちにそれは起こった。杭であろうと、代理品があればこそ支えられていた空間。だが、要そのものに悪意で何かを仕込んみ、それが発動してしまった。そうとしか考えられなかった。

 空が割れ、地は端から崩れていく。崩れた跡には何もない。それはそうだ。座標は重なっているとは言え、元はなにもない空間だったのだ。

“――Finis!”

 全ての言葉をすっ飛ばし、結果だけを心に描いて叫ぶ。空間に遍く魔素を寄り集め、空間に再拡散する。

 空間の再構成。カロンが行っているのはそれだ。本来、要の刻み込んだ膨大な魔法陣によって達成されるそれを、何の下準備もなく行う。

 かつての師から受け継いだ『境界』の力あってこその無茶だ。だが、カロンがいかに優れた魔法使いであっても、限界はあった。それは一度に扱える魔法の範囲だ。五つの鐘楼を同期させることによって保たれているこの空間だが、そのうち外周部に設置された鐘楼と代理品を全てやられたのだろう。四方から崩落が迫っているが、カロンの位置は中心よりも門寄り。つまり、自身を中心に据えて魔法を行使する現状、遠い場所にその力を届かせられない。

『わしに任せておけ』

 心に直接響く念話でアリスが告げ、身軽にその華奢な体躯を力の届かせられない方角へと向かわせた。

 何を、と心で思う間もなく、カロンの中から何かが引きずり出された。いや、違う。これは共鳴だ。全く同質の存在が同じ空間のごく近い位置にいるが故の。つまり、今アリスはカロンと同質の存在に『親和』している。

 無茶だ。そう思った。一過性の魔法に同調する程度なら、彼女も自身を保てるだろうが、これは精霊そのものの力だ。それに親和してしまえば、彼女の根本が揺らぐ。

 カロンは行使する精霊の力を自身の制御から切り離し、自律的に作動すべく作業を開始する。

 こうなれば、如何に早くその作業を達成できるかで、彼女の命運が決まる。

 だから、カロン自身も無茶を承知で精霊の力を行使する一方で、闇の力を制御し、地面に巨大な魔法陣を描いていく。緻密に、正確に、だが出来うる限りの速さで。

 脳の奥で警鐘が鳴るが、お構いなしに作業を進め、

「これで!」

 書き終えた陣に火を入れた。一瞬、燐光を放ち眩く光る魔法陣。自立魔法陣は自身を近隣の地へと転写しつつ、効果を随時発動させていく。

 これで、全体へと空間を構成する魔法を行き届かせることができるだろう。

「アリス!」

 安堵も束の間。カロンは叫びつつ、彼女の向かった先へと急ぐ。

 だが、

「なんじゃ、お主。そんなに血相を変えおって」

 彼女はいつもどおりの姿で、いつもと違うのはその表情が必要以上にニヤついていること。

「くくく。まさか、わしの身がそんなに心配だったのか? 愛い奴め」

「良かった」

 カロンはからかう彼女の言葉には取り合わず、その華奢な体を抱きしめた。少し暴れた彼女だったが、次第にそれも収まり、そしてコツンと額をカロンの胸に押し当てた。

「すまぬ。心配かけた」

「まったくだ……」

 カロンもそれ以上言葉を続ける気にはなれなかった。

 淡い光を浮かべる魔法陣の上で、二人の影は重なっていた。

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