010 急変する状況
「対策を練る必要がある、な」
市庁舎のとある一室。そこは紛れもなくフロイス都市連合グランベル市の市長が執務を行う部屋だ。そして、あご髭をさすりながら言葉を発したのは市長であるディーノ・グランベルだ。もともとの姓は別のものだが、グランベル市の市長は代々その姓を引き継ぐことが通例となっている。
室内には市長の他にカロン、アリス、研究者であるラン、その助手であるシリル、学園代表としてミリア、そして、なぜかユウがいた。
「状況は伝えたとおりだ。だが、市として事を起こすつもりなのか? そうしないために私を学園に送り込んだのだと思ったがな」
「最初はそういうつもりだったさ。だが、ここまで大々的にかつ表立ってやられてはな」
眉根を寄せてため息をつくディーノ市長。しかし、それへミリアが反論を述べる。
「しかし市長。下手人があの審議官というのは事実だが、それが精霊廟の総意であるとは限らないのでは?」
確かにミリアさんの言うとおりだろう。
「だけど、同時に精霊廟の総意でないからと言って、管理責任を問えないということでもないでしょ? それに、どのみち学園を崩壊させかけた落とし前は本人につけさせるべきだわ」
「落とし前かどうかはともかく、真意ははっきりさせる必要がある。昨日今日で反応があるとは思えないが、その辺どうなんだ?」
「まだ回答はない。というよりも、使者が到達すらしておらんだろう」
「では、この集いは対審議官というよりも、学園の防備そのものに関してと考えてもよろしいですか?」
ミリアさんの確認にディーノ市長は深く頷く。
ランがシリルに命じて紙束を市長に渡させた。軽く覗いてみると、頭が痛くなりそうな数式や数値の書き込まれた図形がある。正直、こういった専門的な話になった以上ユウの居場所はないような気もするのだけれど。
ちらりとカロンを伺うと、彼も視線に気付き、
「このまま話を聞いていてくれ」
そう言われては、ユウも大人しくこの場にいる他なかった。
「基本はカロンが制作していた要と同じですが、かつて予備案とされた結果からもお察しの通り、少しスペックは落ちます」
「だろうな。だが、利点もある」
「はい、機能の単純化を図っていますので、一つあたりの制作費、制作時間はかなり抑えられます。また、設備さえ整えば量産も可能でしょうから、スペアを用意できるのも強みかと」
淀みなくランは回答し、胸を反らした。そして、どうだと言わんばかりの目でカロンを見ている。やれやれと頭を振るのはカロンのみではなかった。シリルも頭が痛いのであろう。
「作業にはすぐに取り掛かれるのか?」
「すでに設置に必要な個数は手配してありますので、明日までには……いえ、今日中には揃います。後は量産化の件ですが」
「私は構わない。今の状態ではそちらにすべてを任せたほうが良さそうだ」
「ということだ。量産に必要な土地、設備は?」
「そちらの資料の末尾に添付してあります。詳細を説明しますと――」
ランと市長が向かい合って相談を始めたため、カロンとミリアが手持ち無沙汰になったようだ。ちなみに、シリルはランの補佐である。
カロンたちは元々ユウの傍にいたのだが、今は体もこちらに向けている。
「これも勉強ですよ」
カロンは黙り込んでしまっていたので、ミリアさんがそう話しかけてくれた。
「あまりにも場違いな人選のような気がしていたのですが……そうですね勉強だと思えば……おも……えば……」
うんダメだ。勉強にもなりやしない。この場からなにを学べというのだろう。場違いなところに呼ばれた時の対策だろうか。路傍の石ころのように存在を消す方法なら何かをつかめそうだけど。
「馬鹿なことを考えていないで、すべてを見聞きして記憶しておけ。それは経験という何よりも得難い学びだ」
「心の中読めるの?」
「読めない。だが、お前の呑気な顔を見ていたら想像はつく」
「そんなノンキな顔してないよ」
ペタペタと顔を触ってみるが、そんなことはないと思う。
「そういう態度が呑気なんだよ」
ため息をつかれた。だけど、言われてみれば自分は緊張感がなかったかもしれない。
「終わったわ」
そうこうしているうちに、ランと市長の話は終わっていて、腰に手を当てたランが呆れた目を向けてきていた。
「うぅ……結局あたしが来た意味なかったかも」
「最初から戦力として期待してないわよ」
「…………」
わかっていたけど、面と向かって言われると辛い。
しかし、ランは市長室を出て行く際ユウの耳元に、
「カロンのことは頼んだわよ」
そう囁きを残し、そのまま何事もなかったかのように去っていった。
「では、私達も……」
「ああ。学園の警備は守備隊に手を回して厳重にしてある。ハルメンがいれば問題はないだろうが、一応気をつけてくれ」
「はい。それでは失礼します、市長」
ミリアさんを先頭に、カロン、ユウの順番に出て行く。重い木製の扉が閉ざされた瞬間、目前のカロンの体がぐらりと揺らぎ、そのまま壁に寄りかかり、ずりずりと倒れこむ。
「カロンっ!?」
触れてみて気がついた。体は熱く、そして僅かにだが震えている。
「やはり無理していたんですね」
「この、程度。なんでも……ない」
「そんなわけはないよ! 辛いなら辛いって言えばいいじゃんッ!」
思わずユウは叫んでいた。確かに、弱音を吐いたことを見たことがなかった。弱ったところを見たことすらなかった。それは今までの生活でそういう機会がなかっただけではないだろう。彼はきっと弱音を吐こうとしないだろう。弱ったところなど見せたくないと思っているだろう。
それは信頼していないのと同じだ。
「…………」
カロンは顔を背けた。前髪の下に目を隠し、表情までわからなくしてしまう。だけど、ユウはそんなこと関係なく、いや、隠したからこそ、彼の襟首を掴み、自分の方を向かせた。
「あたしはまだ子供で無力だけど、カロンみたいになんでも出来るわけじゃないけど、でも、あたしにも出来ることぐらいはあたしにやらせてよ。そうじゃないと……」
ユウはカロンの胸に顔を埋め、呟く。
「そうじゃないと、あたしはあなたの何者でもないってことじゃない……そんなの嫌だよ」
静寂。ここは市庁舎の中だが、市長の執務室に程近いため人はほとんどいない。だが、それにも増して静かに感じられる。それはきっと、カロンが黙り込んでいることや、ミリアも口を挟めないからだろう。
「ユウ」
カロンが短く、しかしはっきりとユウの名を呼ぶ。
「アリスや楓と一緒に入れずの森へ行ってくれ」
それはどういう、そう言おうとしたが、それよりも早く彼は、
「フィニスの家に忘れ物がある。それを取って来てくれ」
逡巡はなかった。ユウはしっかりと頷き、
「わかった。それが今あたしに出来ることならやる。でも今は……」
自分よりは背の高いカロンを脇に体を入れることで支えて立たせる。
「家に、帰ろ」
反対側を小柄なミリアさんが支えてくれているが如何せん、バランスが悪い。カロンも無理な姿勢に表情をしかめていたが、文句は言わなかった。
学校よりは旧魔法街にある雑貨屋の方が近い。幸い、ベッドなどの大きな家具は置きっぱなしにしてある。
通常よりは時間がかかったが、彼を工房の奥に設えてあった簡易ベッドに寝かせ、ユウは学園へと走る。ミリア先生がいないと入れないのはわかったいたので、彼女も一緒にだ。
駆け込んだ学園の特別寮にはアリス、カエデ、リック、ツキノ教官が揃っていた。彼らは飛び込んできたユウに何事かを問うような視線を向けたが、彼女にはそれに応えている余裕はなく、アリスとカエデの腕を引っ張る。
「どうしたのですか、ユウちゃん?」
「そうじゃ。理由も言わずに腕を引っ張るでない」
寮の外まで連れ出し、そこでユウは落ち着いた。
「どうかなさったのですか? 慌ただしいのはいつも通りかもしれませんが、今日は少しなんだか様子が異なりますし」
「その……カロンが倒れた」
意外なことに二人の表情に驚愕はなかった。
「あれは無茶以外の何物でもなかったからな。互いに死にかけた訳じゃし」
ことアリスに至ってはケロリとした表情でそんなことまで言う始末。だが、彼女も表情を改め、
「わざわざわしら二人だけを外に連れ出したんじゃ。おおかたあやつからの言伝でもあるのじゃろ? さっさと言うてみ」
「うん。カロンが入れずの森のフィニスさんの家に忘れ物をしたって。だから、それを取って来てほしい。そう言ってた」
「なるほどの。事情はわかった」
「忘れ物、ですか? それはいったい何を?」
それはなんとなく思っていたが、アリスが知っているだろうと思って聞いてない。ユウが精霊の少女に視線を向けると、彼女は神妙な顔で、
「ここで話す必要はない。どの道、着けばわかることじゃ。だが、その前にあやつに応急処置をしておく必要があるな」
アリスはユウとカエデの顔を交互に見やり、やがて、
「やはりお前の方がいいかの……ユウ、お前の持ち物の中で、特に思い入れの深い装身具はあるか?」
「思い入れの深い装身具? うーん、それならこの精霊石の首飾りが一番思い入れが深いかもだけど……」
それはカロンに作ってもらった品だ。先端のペンダントヘッドには精霊石が収められている。だが、アリスは首を横に振り、
「できればもう少し古いものがいい。そう、例えば生まれてこのかた、その身に着け続けたものとか」
「そういえば……」
一つある。お母さんの形見の腕輪。
「それは、他人に、カロンに渡してしまっても構わないものか?」
そう言われると、少し逡巡してしまう。幼い頃に亡くした母の形見の品として、一番手元に置いておきたかったからグランベルへの旅にも持ってきたのだ。おいそれと誰かに渡せるものではない。
だけど、
「カロンのため、なんだよね?」
「そうじゃ」
「……うん、ならいいよ」
ユウは寮の自室に引き返し、引き出しの奥にしまってあったそれを持ち出す。
アリスはそれを受け取り、耳を澄ますようにすると、淡く微笑んだ。
「これなら申し分ない」
入れずの森に入れための準備はひとまず後回しにする方がいいとアリスとカエデの意見が揃い、カロンの応急処置をするために魔法街へと舞い戻った。出入りにはやはりミリアさんがいなくてはならなかったため、付いてきてもらうことになったが、彼女は嫌な顔一つしなかった。
「では、始めようかの」
アリスは真剣な顔付きになり、ユウとカエデにカロンの手を握るように指示する。そして、ユウから預かった形見の腕輪を彼の胸の上に置き、さらにその上に自身の手を重ねる。
彼女の背中に今まで隠していた枝のような翅が広がる。赤く、稲妻のようなものをまとった彼女が精霊であることの証。
それは音か歌か、はたまた祈りか。アリスの口から発されたのはこの世ならざる“音”だった。一流の楽士が奏でる妙なる調べのようでいて、歌姫による心震わす美声のようでもあり、そして生きとし生けるもの全てに捧げる祈りのようでもあった。
染み渡るようなその“音”はやがて腕輪とカロンに収束し、両者を強く結びつける糸のようなものになる。やがて、その糸を伝い、カロンの中から虹色に光る何かが腕輪へと流れ込んでいく。
最後の一音を高らかに発し終えると、周囲の光もカロンと腕輪を結ぶ糸も消え、静寂が覆った。
「終了、じゃな……」
膝から力が抜けたのか、アリスは崩れ落ちて尻餅をつく。
「アリス?」
先ほどカロンが倒れたのを目にしたばかりだったので慌てたが、彼女はすぐに立ち上がり、
「少し疲れただけじゃ。すぐに回復する。それよりも……」
「ああ」
カロンはアリスの姿を視界に捉え、頷く。
「アレを取ってくればいいのじゃな?」
「そうだ。頼めるか?」
「頼まれてやろう。わしもあそこには少しばかり用があるからな」
「そうか」
二人はそう言葉を交わしたきり、互いを見もしなかった。
「ユウ、行くぞ。これ以上の長居は不要だ」
「え、あ、うん。わかった。カロン、じゃあね。絶対に取って来るから」
「ああ」
カロンは浅く頷き、そのまま瞳を閉ざした。
カエデも一礼してからユウたちに続いて雑貨屋を出る。
「では、これから森へ行くための準備をするわけじゃが……正直わしは身一つでも行ける。じゃが、お主たちはそういうわけにも行かぬだろう」
「まあ、そうだね」
「そこで、カエデ。お前の方がこういうことには詳しそうだからユウと一緒に準備してこい。その間にわしも済ませておきたいことを済ませておく。待ち合わせは明日の早朝、市の東門だ。いいな?」
「うん、わかった」
「かしこまりました」
ユウとカエデはアリスと分かれ、旅の準備を始める。そっと振り向いた場所にはすでにアリスの姿はなかった。
「では、まずは――」
カエデの言うことに頷きながら、ユウは思う。もしかしたら、カロンは自分を遠ざけたのかもしれない。それでも、何かを任せてもらえた。今はただ、その事実を受け止めておこうと、そう決めた。




