39 写し鏡の少女
「入って大丈夫ですよ」
修道女は一瞬リヴィアのことを伺い、それから一呼吸おいて扉の向こう側へ声をかける。修道女の許可を得て部屋に入ってきたのは、茶色の髪を三つ編みにした少女だった。
「先生。ウォルター様がもう少し時間がかかるかもしれないって」
「あら、どうして?」
「物置にネコが入り込んでたの。今、皆で捕まえようと必死」
少女は落ち着いた様子で淡々と話す。修道女は少女の報告を聞いて、ゆっくりと立ち上がった。
「なら、少し様子を見てこようかしら。リヴィアさんはどうします?」
「私、ここにいる」
リヴィアに代わって答えたのは三つ編みの少女だった。少女は修道女と入れ替わるようにリヴィアの前の席に座る。そのまま机にうつぶせになって梃子でも動かない姿勢を見せる少女を、リヴィアはただ呆然と見つめていた。
この少女はいつもこうなのかと修道女を見れば、彼女もまた、珍しいものを見たかのようにポカンと口を開けている。
「サナ、どうしたの? いつもはこんなことしないじゃない」
「今日はそういう気分」
心配する修道女にそっけない対応を返した彼女はどこかヒューロットに似ていて。どうしましょうか、とオロオロとしている修道女をよそに、サナと呼ばれた少女は机に突っ伏したまま琥珀色の瞳をリヴィアに向けた。
その目を見て、なんとなくわかった。何か話があるのだな、と。
「あの……、院長先生は皆のところに向かってください。私は彼女とここで待っていますから」
「あら、そう?」
リヴィアに促されて、修道女はサナの様子を伺った。サナはリヴィアの言葉を否定も肯定もせずに、ふい、と顔を逸らす。
修道女はリヴィアとサナの二人を交互に見つめた後、少し不安そうにしながらも、それじゃあ少し待っていてくださいね、と言い残して出ていった。
修道女の足音がパタパタパタと遠ざかっていくのと同時に、サナは机に張り付けていた体を起こした。
「えっと……、こんにちは。サナ、さん?」
顔を上げてまっすぐにこちらを見るサナに、少し緊張しながらもリヴィアは声をかけた。
子供と話したことなどほとんどない。せいぜいヒューロットが関の山で、それよりも若い子なんて顔を合わせるのも今回が初めてだ。
だから、どんな会話をしていいのか、リヴィアには全くわからない。
全くわからないが、一つだけ幸運なのはサナの雰囲気がヒューロットと似ていること。二人が同じ環境で育っているからか、あの気まぐれな彼に近しいものを感じるたびに少しずつリヴィアの緊張がほぐれていく。
「お姉さん、ずいぶんと真面目なんだね。私、騎士の人ってもっとおちゃらけてるんだと思ってた」
サナ『さん』と呼んだことが原因だろうか。それだけで真面目と取られるとは思ってもいなかったが、以前、ヒューロットから似たようなことを言われたのを思い出した。
「……そう、かな?」
「うん。だからさ、お姉さんって騎士じゃないんでしょ? 本当は『お姫様』なんじゃないの?」
ピタリと言い当てられた事実に、リヴィアの体はびくりと固まる。それを意にも介さず、サナは言葉を続けた。
「だって、この国の王族は金色の髪に青い目をしてるって皆が言ってた。前の王様もそうで、その子どもたちも全員そうなんだって。だから、お姉さんも本当はお姫様なんじゃないの?」
ドッ、と心臓が大きく揺れる。秘密にしていることが言い当てられて、動揺していることが自分でもわかる。
けれど、わかる。彼女がヒューロットとよく似ているから。こちらを傷つけようとしているわけでも、悪いことをしようとしているわけでもないことがわかる。
「……金色の髪の人も、青い瞳の人も、この世界にはたくさんいるよ。たまたま私もそう生まれただけ。それに、この国の王族がその色彩をしているだけで、他の国の王族はまた別の色を持っているから。髪と目の色だけで王族かどうかなんて決められないんじゃないかな?」
動揺を悟られないように、声が震えないように、リヴィアは静かに言い返す。
嘘をつくことが正しいことだとは思えないが、自分の正体を伏せることが身の安全につながるとわかっているから。
サナは何かを見極めるようにジーッとリヴィアのことを見つめ、それから大きく身を逸らすように椅子の背もたれに寄りかかった。
「ちぇっ、絶対お姫様だと思ったのにな。ウォルター様だって、昔お姫様に会ったことがあるって言ってたし。金色の髪に青い目の綺麗で可愛い子だったって言ってたから、絶対そうだと思ったのに、残念」
先ほどまでのとっつきにくそうな雰囲気はどこへやら。今のサナは年相応の幼い少女にしか見えない。
「えっと……、サナはお姫様に会いたかったの?」
「うん」
「どうして?」
「助けてほしかったから」
あっけらかんと彼女は答えた。いとも簡単に告げられた、とても重たい願いにリヴィアは思わず黙り込む。
「あーあ。お姉さんがお姫様だったらよかったのに。そしたら、皆、助けてもらえたのに」
サナが宙を仰いだまま、ぼやく。
彼女が体重をかけるので、椅子が後ろに傾く。椅子の前足が浮いて、後ろ足がギッ、ギッ、と音を立てた。
心が軋むような音につられて、先ほどとはまた別の動揺がリヴィアを襲う。
「ねえ、お姉さん。騎士の仕事って大変?」
「……うん。大変、だと思う」
「やっぱりそうだよね。だって、皆帰ってこないしさ。剣持って怖い魔物と戦ったりするんでしょ。なんか嫌だなーって思っちゃう」
カタン、と音を鳴らして、椅子の前足が床を叩いた。サナが頬杖をついて、じっとリヴィアを見ている。
「お姉さんは嫌じゃないの? 騎士のお仕事」
騎士の仕事。その単語からリヴィアが思い出すのは、ウォルターの言葉。
騎士の仕事は守ること。エレナはリヴィアの護衛を務め、ヒューロットやロブストフェルスの騎士たちは民を害する魔物を倒すために日夜交代で森の見回りを行っている。
大変な仕事だということは、彼らの働きを見ていればわかる。
「……嫌じゃないよ。必要なことだから」
サナはじっとリヴィアを見つめている。その返答が嘘じゃないかを確かめるように。
そこからサナは再び机に突っ伏した。崩れ落ちた彼女は駄々をこねるように、グリグリと額を机に擦り付ける。
「そんなのわかってるもん、必要なことだって。中々帰ってこれなくても、大変でも、ケガするようなことでも、誰かがそれをしなきゃダメなんだってわかってるの」
でもさ、とサナは頭を振るのを止め、目の前に落ちた自分の三つ編みに手を伸ばした。
「私、何にもできないのに、守られてるだけなのはキツイよ」
サナが一方的に吐いた言葉は苦しそうで。
わかるよ、と言いかけた言葉をリヴィアは飲み込んだ。
サナの言った『なんか嫌だ』の正体がリヴィアにはわかる。
騎士の仕事は嫌なものではない。必要なものだとわかっている。
本当に嫌なのは、自分が守られる側なこと。何もできない、不甲斐ない自分を守るために誰かが傷つくのが嫌なのだ。
自然とリヴィアの手がサナの頭に伸びた。ぽす、と彼女の丸い頭に触れ、リヴィアのものよりも少し硬い茶色の髪を撫でた。
「大丈夫だよ」
何の根拠もない言葉がリヴィアの口から零れた。
「大丈夫、大丈夫」
自分に守ってもらえるほどの価値があるかなんてわからない。けれど、それと同じくらい、目の前の少女が守られなくてもいいなんて思えない。
目の前で自分を庇って誰かが傷つくのは嫌だ。けれど、自分の後ろにいる誰かに、守ってもらうことが苦痛だなんて思わせるのも嫌なのだ。
なんて我儘なんだろうと自分でも思う。それでも嫌なものは嫌なのだ。
サナはしばらく呆然とリヴィアの手を受け入れたあと、ペッとそれを振り払うように勢いよく顔を上げた。
「別に平気だし。子供じゃないんだから」
少し乱れた前髪を直しながら、サナはそっぽを向く。サナはガタン、と音を立てて椅子から立ち上がると、院長室に置いてある戸棚を開けた。
怒らせただろうか、とリヴィアがサナの背中を見ていると、彼女は戸棚から一冊の本を取り出してきた。
「お姉さん、本、読める?」
「え、えっと……、うん」
サナは先ほどまで座っていた席には戻らずに、リヴィアの隣の席に座る。
「たまに院長先生に字の読み方を教えてもらってたの。でも、先生は最近忙しそうだから。お姉さん、字読めるんだったら教えてよ」
そう言って、サナは肩がくっつくくらいにリヴィアに身を寄せて、持ってきたボロボロの本を開いた。
開かれた本は挿絵が多く、文章が短くて少ない。絵の横に単語が書かれていることも多く、文字を勉強するためのものだとわかった。
「……むかしむかし、あるところに木こりの夫婦がいました」
リヴィアが文字をなぞりながら読み、時折サナが絵と文章を交互に指さして、リヴィアの言葉を繰り返す。
机に指で文字を空書きするサナを見て、自分がしてきた勉強とは何もかもが違うのだとリヴィアは感じた。
リヴィアにはペンとインクとノートが与えられていた。教師はいたが、会話をすることはほとんどなく、リヴィアの出した答えが正しいか正しくないかを判断するのみ。
『リヴィア様は賢い方ですね。本を渡せば大体理解できてしまう』
そんな言葉を言われたのだったか、聞いたのだったか。今となってはよく思い出せない。気が付けばリヴィアは図書室にある本を一人で読み、独学で勉強するようになっていた。
リヴィアに文字を教えてくれたのはマーサだった。今のサナとリヴィアのように、一緒に本を開いて読み、文字を覚えた記憶がうっすらとある。たどたどしく覚えた文章を、マーサが微笑みながら聞いてくれたことを覚えている。
それも、リヴィアがある程度文字を読めるようになってからはやらなくなってしまったが。
「お姉さん。次のところ読んで」
「あ、うん」
パラ、とページをめくって、次の文章を読み、サナが空書きした文字の書き順を訂正する。
のんびりとした時間が流れていた。
「リヴィア、サナ」
「わっ!」
ドンッとサナの頭がリヴィアの肩に勢いよくぶつかった。そのままサナは転がるようにして、リヴィアの背後に隠れる。
サナの突然の行動にリヴィアは目を回す。心を落ち着けてから、声がした扉の方を見れば、ウォルターと修道女が二人並んで立っていた。
「悪い。ちゃんとノックしたんだが、聞こえなかったか?」
「……えっと、うん。集中してたから……」
少し気まずそうなウォルターと、リヴィアの背後に隠れるサナ。どこかピリピリとした二人の空気にリヴィアが困惑していると、その二人の間に修道女が割って入った。
「サナ! あなたはまたウォルター様にそんな態度を取って!」
「……別にいいじゃん」
サナは修道女の叱責を無視して、タッと二人の間をすり抜けて院長室を出ていった。コラ、待ちなさい! と修道女はサナの後を追う。
「えっと……」
リヴィアが困惑している間に色々と状況が移り変わってしまった。そのことに呆然としていると、ウォルターがリヴィアの手元を覗き込んできた。
「本を読んであげてたのか?」
「あ、えっと、読んであげてたんじゃなくて……。文字を教えてほしいって言われたの。最近院長先生が忙しそうだからって」
文字を教えてほしいと言っていた相手は部屋を出ていってしまった。リヴィアは読む必要のなくなったボロボロの本をパタンと閉じる。
「これ、片付けちゃっていいのかな?」
「いいんじゃないか? 多分、しばらくは戻ってこないだろ」
院長室の戸棚に近づいて本を戻そうとしたリヴィアは、『多分』と言いながらも確信めいたウォルターの言葉に彼を見上げる。
ウォルターはサナと修道女が出ていった扉を見ていた。
この部屋に来て『ここにいる』と言ったサナ。彼女はウォルターが来た瞬間、リヴィアの後ろに隠れて部屋から出て行った。そして、修道女の『またそんな態度を取って』という言葉。
「……サナと何かあった?」
リヴィアの問いに、ウォルターが振り返る。ウォルターはリヴィアをじっと見て、それから深々と溜息をついた。
「ずいぶん、サナと仲良くなったみたいだな」
「えっと、うん」
リヴィアが頷くと、ウォルターは、少し場所を変えるか、と言った。




