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3 特別なお嬢様

「リヴィアお嬢様!」


 怒気を孕んだ年配の女性の声が上から降ってきた。

 廊下の柱の影でうずくまっていた金色の髪の少女——リヴィアが顔を上げると、怒りに満ちた乳母の顔が目に入る。


「まったく! 私は今日一日中お嬢様のことを探し回ったんですよ! 一体どこにいたんですか!?」

「……ごめんなさい」

「明日は大事な儀式があるというのに……。あぁっ! 髪飾りがないじゃありませんか!?」

「……気づいたら失くしてた」

「まったくもう、ダメじゃないですか! あれは大切なものなのに! お嬢様にはこんなお転婆でいられては困ります! あなたは貴い身分のお方なのですから、もっと落ち着いてもらわなくては!」

「……うん。ごめんなさい」

「ほら、一旦お部屋に戻りますよ。お昼から何も食べていないでしょうし、お腹が空いたでしょう? 夕食を食べて、湯浴みをしていただいたあとにお説教です!」

「うん」


 さあさあ、早く立って、と言いながら乳母はリヴィアの手を引いて、立ち上がらせる。乳母はリヴィアが立ったことを確認すると、そのままスタスタと先を行き、リヴィアはその後をノロノロとついていった。


 日は完全に落ちて、窓の外は真っ暗。城の中は時間になると勝手に灯る魔法石のランタンがあるから明るい。

 下の方に見える通路には巡回の兵士が灯りを持って回っている。


 それを見て、リヴィアはふと思った。

 レイは大丈夫だっただろうか。


 乳母はレイについて何も言及しなかった。だったら、きっとリヴィアが城から出ていたことも、レイが彼女を連れ出したことにも気づいていないだろう。乳母はリヴィアが明日の儀式を嫌がって逃げ回っていたと思っているに違いない。


 それならきっと大丈夫だ。レイにこれ以上迷惑はかからない。


 それがわかって安心できるはずなのに、なぜかリヴィアの足取りは重かった。


「お嬢様、お疲れですか?」


 気づけば、ずっと先まで行っていた乳母がリヴィアを心配して戻ってきていた。

 どう答えるのが正解かわからず、とりあえずリヴィアはこくりと頷く。


「まったく……。わかりました。お説教は明日以降に後回しです。そのかわり、明日の儀式についてちゃんと聞いてくださいね」

「うん」


 そう言われてリヴィアは乳母に手を引かれて部屋まで戻った。



   ♢♦♢♦♢♦



 夕食を食べ終え、湯浴みを終えて、リヴィアは寝室にある鏡の前に座った。もちろん、彼女の後ろには乳母であるマーサがぴったりと付き添っている。

 マーサはリヴィアの金色の髪を梳かし、ヘアオイルで手入れしながらぶつくさと呟いた。


「まったく! 本当なら今日は儀式で着る衣装とベールを選ぶはずだったのに。お嬢様が逃げ出したせいで何も選べなかったじゃありませんか!」


 そんな乳母の言葉を聞きながら、リヴィアは軽く苦笑した。

 お説教は明日以降で、という話だったはずなのに、あれからもマーサのお小言は止まらず、結局お説教じみた話にまで戻ってきてしまった。


 ただ、なんとなくこうなるだろうな、とリヴィアはわかっていた。彼女は思ったことは言わないと気が済まない性分なのだ。リヴィアが物心つく頃からずっと、マーサはこんな感じの人だった。


「衣装もベールもなんでもいいよ。色は両方とも白って決まってるし、明日の儀式、私は座ってるだけでしょ? 誰も私なんて気にしないよ」

「ダ・メ・で・す! お嬢様は『浄化の乙女』の力を持った唯一の王女——巫女姫なんですよ! そんな方が明日の儀式で適当な恰好ができるわけないじゃないですか! 明日は『異界の乙女』降臨の儀なのに!」


 マーサの言葉を聞いて、リヴィアはわずかに顔を曇らせた。


 この世界には瘴気と呼ばれるものがある。瘴気は空気を澱ませ、土地を穢し、時に魔物と呼ばれるものを生み出す。

 そんな瘴気を払う者こそが『浄化の乙女』。汚れた空気や地面を浄化し、魔物を打ち払う者。彼女たちは瘴気が溢れる土地を浄化して回る。


 リヴィアにはその『浄化の乙女』の力がある。——あるだけ。


「誰も、気にしないよ。だって私、瘴気を浄化したことなんてないし、誰かの役に立ったこともないもの」

「そんなことありません! お嬢様はこの国で一番特別な方です。お嬢様のような方は他には存在しません!」


 リヴィアの暗い表情を晴そうとしているのか、それともその卑屈さに怒っているのか、マーサは目を吊り上げてリヴィアの言葉を否定した。


 『特別』。

 乳母の言葉にリヴィアは曖昧に笑った。


 マーサが褒め言葉としてそれを使っていることくらいわかっている。けれども、リヴィアにはどうしても褒められているようには思えなかった。


 リヴィアにとっては、血筋も能力も生まれ持ったものでしかない。それを使って何かを成したこともなければ、何かの役に立っているという実感を得たこともない。

 それを特別だと言われても、いいように受け取ることの方が難しかった。


「ねぇ、婆や」

「どうしたんです? お嬢様」

「もしも、明日の『異界の乙女』の降臨の儀が成功したら、私、外に出られるかな?」


 リヴィアは常日頃から思っていた疑問を口にした。


 『異界の乙女』は『浄化の乙女』よりもずっと強い力を持つと言われている、別世界に存在する娘。彼女を喚び出すことができれば、この国の瘴気は一気に払われ、人々は安寧を得ることができると言われている。


 この儀式は三年に一度。リヴィアの記憶が正しければ、ここ百年の間、儀式は失敗しており、『異界の乙女』が現れたためしがない。だから、今回の儀式も失敗する可能性の方が高いだろう。


 それでも、リヴィアは『異界の乙女』が現れることを望んでいた。

 何故なら、『異界の乙女』は『特別』だから。『浄化の乙女』の力を持つ、巫女姫と呼ばれるリヴィアよりもずっと、特別な存在だから。


 そんな新しい『特別』が現れればきっと、誰もリヴィアのことを気にしなくなる。誰も、彼女を特別扱いしなくなる。

 そうなれば、きっと——。


 リヴィアのほんの少しの希望を打ち砕くように、マーサは言った。


「なりません! いくら『異界の乙女』が現れたとしても、お嬢様が特別な方である事に変わりはないのです。何度でも言いますが、お嬢様は『浄化の乙女』の力を持つ唯一の王女。穢れた外の世界に触れて、神聖な御身に傷がついたらどうなさるのです! きっと兄王様だってそうおっしゃるはずですよ!」

「……そう、だね」


 ほんの少し夢を見た。ほんの少し希望を抱いた。たったそれだけで輝いた青い瞳が、すぐに陰る。

 乳母はそんな主人の小さな表情の変化にまったく気が付かないまま、リヴィアの髪の手入れを終えた。


「さあさあ、もうおやすみなさいませ。今日は一日中歩きまわってお疲れでしょう。儀式の間、お嬢様は座っているだけですが、その後は聖堂に入ってお祈りするんです。早めにお休みになって、明日の儀式に備えるんですよ」

「うん、わかってる。おやすみなさい、婆や」


 部屋を出て行く乳母の背中を見送って、リヴィアは窓辺にある椅子に腰掛けた。

 壁にもたれかかるようにして窓の外を見れば、城壁に囲まれた城の中の様子とその向こうに広がる城下町の灯りが見える。


 ぼーっと町の灯りを眺めて、リヴィアは今日の出来事に思いを馳せた。


 まだ日が上っていたころ、初めて会った人に連れられて、初めて町に——城の外に出た。


 初めて触れる外の人々。初めて食べた外の食べ物。初めて感じた人の賑わい。

 騒がしくて、大雑把で、いろんなものが無秩序に並んでいて、とても楽しかった。


 それを乳母は『穢れている』という。


「……どこが、穢れてるんだろう?」


 遠くから見る町の灯りはとても綺麗だ。だから、乳母の言う事がいつも信じられなかった。

 近くから見れば、真実がわかると思った。

 初めて触れた外の世界は、埃っぽくて、変わった匂いがして、温かかった。


 それが何故、穢れているといわれるのだろうか。


 コテン、と窓枠に頭を寄せれば、人の話し声が聞こえる。そちらに目をやれば、護衛を連れた少女たちが城の通路を渡っていくところが見えた。

 色とりどりのドレス、複雑に編み込まれた髪、通路の灯りを反射する宝石。美しく装った少女たちは会話をしながら歩いていく。


「ねえ、お姉様。この前つけていた緑色の宝石がついた髪飾り、貸してくださらない? それに合いそうなぴったりのドレスがあるのよ」

「ダメに決まってるでしょう。あれは明日のパーティーで私がつけるんだから。髪飾りなんていくらでもあるんだから、自分のをつけなさい」

「えー」

「お姉様ったら意地悪ね。髪飾りくらい貸してあげればいいのに」

「嫌よ。そんなに言うんだったら、あなたのを貸してあげればいいじゃない」

「あら、残念。私の髪飾りは友人とお揃いのものなの。妹に貸した、なんて言ったらあの子の機嫌を損ねちゃうわ」


 一瞬、喧嘩をしているように見えて、実はそうではないとわかる会話。あれを気心の知れた仲と言うのをリヴィアは知っている。


 ツン、としながらも何だかんだ妹に優しい姉、友人も他の兄弟姉妹も大切にしている子、ワガママを言うものの誰よりも愛されている末の妹。三人とも皆、色合いや雰囲気はわずかに違えど、金色の髪と青い瞳を持っている。


 そんな三人の様子を見ていると、ワガママを言いながら二人の姉の間をウロチョロとしていた妹と目が合った。

 彼女は一瞬気まずそうな顔をして、すぐに姉二人の手を引いて通路を駆ける。姉二人も一瞬確認するようにリヴィアの方を見ると、すぐに顔を逸らして、手を引く妹と共に駆けていった。


 パタパタと通路を駆ける足音が消える前に、リヴィアは窓の外を眺めるのを止めた。

 あの三人とリヴィアは姉妹である。同じ父親の血を引いていて、同じ髪色と瞳の色を持っている。


 なのに、どうしてこうも境遇が違う?


 リヴィアは『浄化の乙女』の力を持っている。それを知った現在の国王である長兄は、リヴィアを城の中に閉じ込めた。


 服の色は白しか認めず、人と会う時は常にベールを被るように言いつけた。他の兄弟姉妹と関わることを禁じて、側仕えは乳母だけ。パーティーにもお茶会にも参加させないから、友人などできるわけがない。普段は聖堂で祈るか、本を渡されて独学での勉強。時々参加させられる儀式を除けば、リヴィアの一日はそれだけで終わる。


 『浄化の乙女』の力を持っていても、他の乙女たちと関わらせてもらえるわけではない。彼女たちは今も各地を回って瘴気を浄化しているというのに、リヴィアには外に出ることさえ許されない。


 これもそれも、リヴィアが『特別』だから。

 『浄化の乙女』であるが故に王女としての扱いは受けられず、王女であるが故に『浄化の乙女』として働くことはできない、息苦しいだけの『特別』。


 本当に息が詰まるような感じがして、リヴィアは椅子から降りて自分のベッドに寝転がった。

 夜着のポケットを探って取り出したのは、空色の髪飾り。それを胸に抱きしめて、リヴィアは縮こまるように体を丸めた。


「……またね、ってちゃんと言えたらよかったのにな」


 レイが最後に言った『またな』の言葉が忘れられない。

 また、次の機会に。それを思うたびにギュッと胸が締め付けられる。


 それは一体いつになるだろう。

 次のチャンスが来るのは三年後。その時は乳母もきっと警戒しているだろうから、逃げ出すのが難しくなる。もしうまく抜け出せたとしても、レイに出会えるかどうかはわからないし、会えてもまた、同じように町に連れ出してくれるかはわからない。


 レイは部下がいると言っていた。騎士の制服を着ていて、上着には勲章もついていた。今の時点でそれだけの地位があるのなら、三年後、彼はもっと偉くなっているに違いない。


 そうなった彼に、リヴィアを連れ出すだけの余裕があるだろうか。


 その答えはリヴィアが一番わかっている。だから、あの時『バイバイ』と返したのだ。

 でも、それでも。


「また、会いたいなぁ……」


 夢現の中で、叶うかどうかもわからない願いをリヴィアは呟いた。

 またの機会はもしかしたらもう来ないかもしれない。もう二度と会えないかもしれない。むしろ、今のままではそっちの可能性の方が高い。


 だからリヴィアは明日の儀式の成功を祈った。新しい『特別』が来れば、リヴィアはもう少し自由になれるかもしれないから。

 『浄化の乙女』として各地を回れるかもしれないから。王女として夜会やパーティーに参加できるかもしれないから。


 そうなれば、きっと。


 リヴィアは夢を見る。『浄化の乙女』として働いて、姉妹たちとお揃いの綺麗なドレスを着て、友人たちと他愛ないおしゃべりをして、パーティーでいろんな人と踊る。

 その人たちの中にレイもいればいいのに、とリヴィアは願った。


 空色の髪飾りを抱きしめて、リヴィアは眠りについた。たった半日の小さな願いが叶った時間を思い返しながら。



   ♢♦︎♢♦︎♢♦︎



 そんな少女の祈りが届いたのかどうか。

 明くる日の儀式の最中、『異界の乙女』は降臨した。

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