2 城下町へ
ガタ、ガタ、と床下の扉が揺れる。やがて、ガタン、と大きな音がして、その扉が開いた。
まず、中から出てきたのは黒髪の青年。それに続くのは金髪の少女。
二人は左右を見渡して、誰もいないことを確認した後、疲れたようにその場に座り込んだ。
「あのおばさん、足が速ぇ。しかもなんであんな神出鬼没なんだ?」
「やっぱり、レイでもそう思うんだ。婆やはあの城のこと、知り尽くしてるから」
「でも、この抜け道の事は知らないんだな」
「うん」
レイは座ったまま、後ろの床下扉を振り返る。城と繋がる抜け道。それも城下町につながるようなもの。
それ自体は別に物珍しいものではない。抜け道がある城はいくらでもあるし、何も王城に限った話ではない。が、その抜け道がどこにあるかを知っているのは、通常、ごく少数の城の主に連なる者だけ。
レイは目の前の少女に視線を戻した。少女はビクッとしながら、気まずそうに目を逸らす。
「ヴィー、お前……」
「あの、できれば、何も聞かないでほしい」
名前を言いたくない、と言っていた時から、なんとなく思っていた。
乳母に追いかけられているという事から察するにヴィーはいいところのお嬢さんで、しかも王城の抜け道を知っている。このことから彼女の本当の身分を推測するのはたやすい。
が、ヴィーはそれを隠したいのだろう。なら、レイの方も指摘するつもりはない。その可能性込みで連れ出すと決めたのだから、今更とやかく言うのは野暮だろう。
「あの抜け穴、俺に教えてよかったのか?」
「……えっと、内緒にしてて」
「まあ、悪用するつもりはないけどな」
とは言え、誰も知らないはずの王城につながる抜け穴。それを知ってしまったのだから、そこだけは釘を刺さずにはいられない。
ふぅ、と溜息をついて、レイは立ち上がり、服に付いた埃を払った。レイに続くようにヴィーも立ち上がる。
「で、ここはどこなんだ?」
「えっと、城下町にあるお屋敷の一つ。今はもう誰も住んでないの」
「へぇ、だからこんなに埃だらけなんだな」
「……レイ、黒いから目立つね」
「そうだな」
脱いだ上着をバサバサと振って埃を落とすレイを横目に、ヴィーは部屋の扉を開けた。
ここはまだ地下。階段を上って玄関を開ければ、そこはもう外だ。
少女はタッと駆け出した。それを見て、レイも慌てて追いかける。
少女は階段を駆け上がり、埃と蜘蛛の巣だらけのリビングを通り抜けて、バッと玄関の扉に飛びついた。
ガチャン、と扉が開く。その途端、ブワリ、と風が屋敷の中に入り込み、一歩外に出れば暖かな陽の光が全身に降り注ぐ。
「バカッ! 勝手に出るな!」
ゴンッと追いついてきたレイがヴィーの頭を軽く小突く。ヴィーは惚けたような表情でレイを見上げた。
「……レイ」
「どうした?」
「外だよ! 外、外なんだ!」
「……っ、おい!」
ヴィーは再びタッと駆け出すと、そのまま玄関前の芝の上に転がり込んだ。陽の光を浴びて金の髪は更に煌めき、青い瞳は感動で輝いている。上気した頬に満面の笑み。いいところのお嬢さん、とは言い難い、普通の少女がそこに居た。
レイはすぐに追いかけるのを止めて、ゆっくりと彼女の傍まで歩いていき、陽の光の暖かさと草の匂い、風の感触を楽しむ少女の顔をのぞき込んだ。
「外に出るのは初めてか? お嬢さん」
「うん、初めて!」
今までにない元気のいい声に、レイは少々面食らう。それはヴィーも同じだったようで、自分が失言したと思ったのか、慌ててパッと起き上がった。
「あ、えっと、今のは……」
何とか誤魔化そうとするヴィーに、レイは笑いかける。
「いいよ。俺は何も聞かなかった、だろ?」
「……うん」
レイの言葉に乗っかって、ヴィーはこくりと頷く。そのままヴィーはレイが差し出す手を取って立ち上がった。
「……ところで、どうしてレイは上着を脱いでるの?」
「ああ、埃が付いたから脱いだ。ついでにマントも剣もここに置いていく。街中じゃ目立つからな」
「……そっか」
マントと上着、剣と剣帯を外して、屋敷の中に置いてくるレイについていきながら、ヴィーはぽつりと呟いた。
「……あの、レイ」
「ん?」
「私って、目立つ?」
くい、とシャツの裾を引いてきたヴィーをレイは見下ろした。
金色の髪はレイが今まで見てきた誰よりも綺麗な髪で、柔らかな青い瞳は誰よりも澄んでいる。人形のように整った顔立ちと、よく手入れされた肌。儚げな雰囲気と、所作から漂う気品。身に着けているワンピースや髪飾りは一見シンプルなものだが、よくよく見れば高価そうで、それがどことなく少女の雰囲気にあっていた。
「……あー、うん。目立つな」
「えっ! ……えっと、どうすればいい? 何か、えっと」
そう言ってパタパタと自分の体を探るヴィーに、レイは苦笑する。
「何にもしなくていい。お前はそのままで」
「えっ」
「どうせ服装を変えても、すぐにいいとこのお嬢さんだってバレる。世間知らずで、動きが綺麗だからな」
「……で、でも、」
「だから、俺がついてきたんだろ?」
二ッと笑うレイに、意図がわからずヴィーは首を傾げる。
「ヴィーみたいな女の子が一人で街に出たって、すぐに捕まるだけだ。違うのはヴィーを捕まえたのがいい人間か悪い人間かだけ。だから、俺が護衛代わりについてきた。近くに大人の男がいるだけで大分違うからな」
「……え、えっと、でも」
「ヴィー。こういう時はな、素直に『ありがとう』って言っておけばいいんだよ。そもそも俺が好き勝手やってついてきたんだ。お前が気にすることじゃない」
ヴィーはレイの黒い目をじっと見つめた。その視線を覆い隠すようにポス、と彼の大きな手のひらがヴィーの頭に下りてくる。そのままポンポンと跳ねるように手が頭を撫でた後、すっと彼の手のひらが離れた。
「あ、あの、レイ」
「ん?」
「ありがとう」
「うん」
そう頷いてレイが笑った顔をヴィーは見ていた。
「さて、じゃあ、一つだけ約束」
「何?」
「俺の手を離さないこと」
彼が手を差し出す。ヴィーが触れたことのある大きな手を。
「お前はすぐに駆け出すからな。人の多い市でそんなことをされたら絶対にはぐれる。だから、絶対に手を離さない事。約束できるか?」
ヴィーはじっとその手を見つめた。その大きな手に自分の華奢な手を重ねれば、ギュッと強い力で握り返された。
「うん。約束する。……絶対に離さない!」
そう言って満面の笑みを浮かべた少女は青年の腕に飛びついた。
♢♦♢♦♢♦
空は晴天。時刻は昼下がり。城下町で開かれている市の最終日は人で賑わっている。
そこに繰り出すのは一組の男女。シンプルなワンピースを着た金色の髪の少女と、白いシャツと黒のズボンを身に着けた黒髪の青年。
二人は手を繋ぎ、時折、腕を組んだりしながら、あっちへこっちへと市に出ている屋台を巡る。
「レイ、本当にいいの? 私のためにお金、使っちゃって」
「ああ。別に大した額でもないし。それよりも腹減ってたんだろ? こっちのクレープも食べるか?」
「食べる!」
「レイ、あれ何?」
「大道芸だな。もっと近くで見てみるか?」
「見る!」
「ねぇ、ねぇ! レイ! あそこは!? 皆踊ってるところ!」
「あそこは勝手に踊っていいところ。飛び入り参加もできるらしいし、行ってみるか」
「えっ、でも、私、躍ったことない」
「……いいんだよ、そういうのは! 二人でクルクル回ってればいいんだから!」
一つ、二つ、市の屋台や見世物を見て回るたびに、少女の笑顔が増え、ぎこちなさが減る。初めて会った時の儚げで陰鬱な雰囲気はどこへやら。少女はいま自ら輝きを放つような雰囲気を纏い、周囲の人間の目を惹き、笑顔を引き出している。
「あんまり目立ちたくなさそうだったのにな」
ポツリと呟いたレイの言葉は、興奮しているヴィーには届かない。ただ色んなものに目を輝かせて、あれやこれやと興味の惹かれるままに屋台に立ち寄り、そこにいる人と言葉を交わす。最初はおどおどとしながら、だんだんと流暢に。色んな人と関わるのが楽しくて仕方ないというように。
出会ったころの暗い雰囲気から、ヴィーは人と関わるのが苦手な少女なのだとレイは思っていた。だが、人と話す今の彼女の笑顔を見て、レイはその考えを改める。
あの薄暗い雰囲気はきっと生まれ育った環境のせいだ。彼女の本質はきっと正反対。彼女はもっと輝いていて、人の輪の中にいるのが似合うような少女だ。
外に出るのが初めて、とヴィーは言っていた。ほんの半日、町に出るために、誰かに攫われてもいいと思えるような覚悟を持っていた。
外に出ることが大きな望みになるような、そんな環境はどんな環境だろう。
人と関わりたいと望んでも、それが叶わないのはどんな生活だろう。
レイ、と少女は笑う。おまけしてもらったの、とクッキーの包みを少女は掲げた。
レイがその包みを受け取る直前、カラーン、と教会の鐘が鳴り響く。
ポカンと辺りを見渡すヴィーに、レイは告げる。
「ヴィー。帰る時間だ」
先程まで輝いていた顔がスッと曇る。まるで太陽が沈むみたいに。
ヴィーの顔は少しずつ俯いていき、やがてすぐに顔を上げた。
「じゃあ、帰らなきゃ、だね」
何かを堪えるような笑顔。先程とは違う、輝きを潜めた瞳。それを見ていたくなくて、レイはポス、とヴィーの頭を撫でた。ポンポンと弾ませるように頭を撫でてやれば、わ、わ、と困惑したような声が聞こえた。
と、そこで何かに気づいたように、あ、とヴィーが声をあげた。どうした、とレイが声をかける前に、ヴィーは自分の頭に手をやり、パチン、と髪飾りを外した。
「あの、これ、もらって」
そのままヴィーは髪飾りをレイに差し出す。宝石などがついているわけではないが、細かい細工がなされた高級そうなもの。鈍く輝く金属は銀か、それとも。
一目でおよその価値がわかるものを差し出されて、レイは慌てる。
「いや、こんなもの貰っても……」
「いいの。レイは私のこと連れ出してくれて、お金まで使ってくれたから。これ売ったら多分、結構なお金になると思う」
「……まあ、それはそうだろうな」
レイは髪飾りをクルクルと回して改めてその価値を確認し、やがてヴィーに視線を戻した。彼女の強情さは知っている。いらないと返そうとしても、押し問答が始まるだけだろう。
なら。
「ヴィー。こっちにおいで」
レイが髪飾りを受け取って、ヴィーの手を引けば、彼女は困惑したようについてくる。そうやってレイが連れてきたのはアクセサリーの屋台だった。
「髪飾りをくれたろ? 好きなのを選ぶといい」
ポカンと口を開けて、ヴィーはレイの顔とアクセサリーの屋台を交互に見た。
「え、え、でも」
「何か一つくらい、記念に買って帰ってもいいだろ。見つかって怒られないように、内緒にしておけばいいんだから」
「……いいの?」
「ああ」
ヴィーが目を丸くして問えば、レイは軽く頷く。途端に、ヴィーの青い目はパッと屋台に並ぶアクセサリーに向いた。
指輪、腕輪、首飾り。素材は金属から、紐や布、木製の物まで様々。遠くの海で採れる貝で作られたものもある。
もちろん、これらの価値はヴィーがくれたものには到底及ばない。質も値段も段違いに落ちる。
だが、ヴィーはきっとそんなことは少しも気にしないだろう、とレイは思った。
ヴィーの視線は屋台の隅から隅まで巡り、やがて、一つのアクセサリーの前で止まった。
「……あ、あの」
「ん? どれだ?」
「……えと、あそこの奥の、あれ」
そう言ってヴィーが指さしたのは、空色の花の細工がほどこされた髪飾りだった。白い小鳥が花を啄むようにチョンと座っている。
「おっ! お嬢さん、お目が高いね。これはよく出来てるし、使い勝手もいいよ。……ちょっと値は張るけど」
最後にぼそっと呟かれた店主の言葉の通り、ヴィーが指さした髪飾りは他のものよりも値段が高い。ヴィーもそれに気付いたのか、慌ててレイの袖を引く。
「あ、あの、レイ……」
「じゃあ、それで」
ヴィーの制止の声も聞かず、レイはお金を払って髪飾りを受け取った。レイが渡した金額は今日一日で使った金額の合計よりもずっと多い。だからこそ、こんなにいい出来のものが市場の最終日まで売れ残っていたのだろう。
「あ、あの、あの、あの……」
「いいんだよ」
顔を青くして言葉を詰まらせるヴィーに、レイは髪飾りをポンと渡して笑う。
「このぐらい大した額じゃないし、俺が好きでやったことだから。そもそも、ヴィーからお礼は貰ってるしな」
レイの言葉を聞いて、ヴィーは手の中の髪飾りを見つめる。
「……あの、レイ」
「うん」
「ありがとう」
「どういたしまして」
ポツポツと言葉を交わして、ヴィーは貰った髪飾りをさっきまで付けていたところに留めた。
まっすぐな金色の髪に添えられた空色の髪飾り。儚げな雰囲気の少女に、可憐な髪飾りはよく釣り合っていて。
「……似合う?」
「よく似合う」
すぐに返ってきたレイの言葉に、ヴィーの顔に再び笑顔が戻る。
「じゃあ、帰ろうか」
「うん」
レイが手を差し出せば、小さくて華奢な手がそこに重なる。
時刻は日暮れ時。もうすぐ完全に日が沈む。それまでに城に戻れれば、大した騒ぎにはならないだろう。
パタパタと店じまいを始める市の屋台を横目に、二人は城につながる屋敷に帰っていった。
♢♦♢♦♢♦
「結局、埃落ちなかったね」
レイの黒いマントを見つめながら、ヴィーはぽつりと呟いた。
ヴィーの着ているワンピースは白いので特に目立たないが、レイの黒いマントや上着にはまだ埃がついている。
「ま、大丈夫だろ。明日までに何とかなってればいいんだし、今日の夜にでも部下にやらせる」
「……そっか」
レイはそう言いながらも目についた埃を払って落としている。
コツコツと二人が歩くのは、出会ったところからほど近い通路。もう少し進んだら、二人は別れることになっている。
窓から差し込む夕日は完全に傾いていて、通路に長く二人の影が伸びる。
二人が出会った時、太陽は空の天辺にあった。今、太陽は地平線に沈みかけている。
たった半日。一緒に街に出かけただけ。
それだけの仲の人の隣を、ヴィーは歩いている。
「それにしても意外だったな」
「何が?」
レイの言葉にヴィーは首を傾げる。そんなヴィーの様子に、レイは笑いをこらえるような顔をして言った。
「帰りたくないとか言って、もっと駄々をこねるかと思ってた」
「……私が?」
「ああ」
結局クツクツと笑いだしたレイを見て、ヴィーはムッと口を尖らせた。
「そんなことしないよ」
「どうだかな」
「だって、レイが困るでしょ」
「そうだな。……そうかもな」
カツン、と人気のない通路に二人分の足音が響く。レイの歩幅とヴィーの歩幅はかなり違っていて、それでもヴィーが疲れないで済むのは、レイが歩くペースを合わせてくれているからだとわかっていた。
もしも、ここで足を止めたら、と一瞬ヴィーの頭に邪な考えがよぎる。
レイはどうするだろうか。驚くだろうか、怒るだろうか、それとも城を出たときみたいにヴィーの体を担ぎあげるだろうか。もしかしたら、疲れたか、と言って心配してくれるかもしれない。
ほんの少し。レイと出会う前よりも、もう一歩先に出た願い。
それを口に出せない理由は、ヴィー自身がよくわかっていた。
「そろそろだな」
レイの言葉にヴィーははっと顔を上げる。いつの間にか、二人はすでに出会ったところのすぐそばまでたどり着いていた。
ヴィーがレイを見上げれば、彼の黒い瞳と目が合う。これでお別れなんだということがヴィーにはよくわかっていた。
「……あ、そういえばこれ、外さないと」
頭に手をやって、ヴィーは空色の髪飾りを外した。これは誰にも見られてはいけない。誰にも見つかってはいけない。
だから、次につけられる日はいつになるか、わからない。
「レイ、あのね」
髪飾りをギュッと握り締めて、ヴィーは青い目をレイに向けた。
「私のこと、外に連れ出してくれてありがとう。今日、すごく楽しかった」
「別に大したことじゃない。……が、そうだな。俺も楽しかった」
「うん。……本当にありがとう、レイ」
そう言って、ヴィーはトン、と曲がり角へ一歩踏み出した。ヴィーはここで曲がり、レイはこの道をまっすぐ進む。そうやって別れる約束。
「じゃあ、またな。ヴィー」
そう言って軽く手を挙げるレイに、少女は最後に振り返った。
「バイバイ、レイ」
涙をこらえるような笑顔を残して。




