執着
「クロレ、そろそろ着く?」
『着ク。スグ』
「ちょっと感覚がおかしくなってきてるけど、出るとき昼間だったりしたらクロレ大丈夫かな?」
「何かまずいのか?」
蒼雨が怪訝そうな顔をした。
「あ、隠族・・・クロレたちは光を浴びられないんだ。隠都の光だけはちょっと特別でね」
「そうなのか。今は七時前くらいだから、大丈夫だと思うぞ」
蒼雨は右手の甲辺りを見ながらそう言った。
「・・・蒼雨くん、それ・・・・・・」
「ああ、俺左利きなんだ」
「いや、それは知らないけど・・・その腕輪、何?」
何かの革らしい茶色い腕輪には透明な丸い石が付いており、その中で銀の針のようなものがかちかちと回っている。
「・・・もしかしてこっちには時計がないのか?」
「とけい?」
耳慣れない単語に聞き返す。
「これは時間を知るための道具で・・・いや、時間という概念すらあるか分からないな・・・」
何やらぶつぶつと呟いてから、蒼雨は首を振った。
「いや、何でもない。とにかくこれは太陽の位置が分かる道具なんだ。もう日が沈んだ頃だから、多分大丈夫だろ」
「へえ・・・何に使えるか分からないけど、便利な道具だね」
太陽の位置なんて見ればすぐ分かるんじゃないだろうかと思ったけれど、こういう状況下でなら確かに役に立つ。人間というのは普段から地下に住んでいる生き物なのだろうか、と緋里は内心首を傾げた。
『緋里、蒼雨』
そんなことを話している間に黒霊がその場に静止した。
『着ク・シタ』
「・・・何も見えないけど?」
そう言って辺りを見回したとき、不意に上方から光が降り注いだ。
「わ、何?」
「・・・目が慣れていないな。月明かりだけでこんなに眩しい――とりあえず、一度出よう」
手を引かれて穴の外へ出ると、そこは赫森の外れ、銀森に差し掛かる寸前の位置のようだった。蒼雨が言った通り辺りはもう暗く、上空には月が浮かんでいる。
今しがた出てきた穴を見下ろすと、脇に枯葉の山が出来上がっていた。どうやらこれで塞がれていたらしい。
「埋められちゃってなくて良かったね、クロレ」
黒霊の方を振り向くと、彼は微動だにせずじっとそこに静止していた。
「クロレ?」
「・・・おい、本当に大丈夫なのかこれ?」
「え?」
「隠森の木は密集して生えていたからいいが、ここは開けている。例え月明かりでも、隠族にはまずいんじゃないか?」
緋里は周囲を見渡した。自分の棲む森をこうして眺めることさえひどく懐かしく思えたが、今は感傷に浸っている場合ではない。
確かに赫森の木々は全体的に葉の少ないものが多く、月光を遮る役割は果たしていない。そもそも赫族や銀族のような身体であれば、光を浴びられないと逆に不健康になるだろう。
「でも、そんなに光に弱かったら外へ出ることも出来ないよ?現に他の森へ出てる妖も居たみたいだし・・・」
『・・・緋里、蒼雨』
「クロレ!」
弱々しい声で黒霊が語りかけてきた。
「大丈夫なの?」
『・・・緋里。クロレ、隠森・出ル・初メテ。・・・因ッテ・不慣レ』
「不慣れ・・・って、要するに身体が光に慣れてないってこと?」
黒霊はゆっくりと縦に振れた。
『ソウ。・・・慣レル・スレバ、月光・浴ビル・可能。シカシ・日光・不可』
「元々は月光が浴びられる身体だったんだな、多分。地下に潜った所為で余計に光に弱くなったんだ」
蒼雨は黒霊の浮かんでいる高さまで目線を下げた。
「・・・引き返すなら今だぞ。こんな状態でついて来られるとは思えない」
そのあまりにも非情な言葉に緋里は耳を疑った。
「何言ってるの蒼雨くん!戦を止めたいって一番思ってるのは黒霊なんだよ?」
蒼雨は眉根を寄せ、屈んでいた上体を起こす。
「・・・戦か。正直そんなの俺にはどうでもいいし、クロレがそれにどんな思いを持っていようが関係ない」
「そんなッ・・・じゃあどうしてわたしたちと来てくれたの?」
「お前たちについて来たわけじゃない、お前について来たんだ。答が聞けるかもしれないからな」
「・・・それだけのために?」
「それだけだ」
さっきまで自分を落ち着かせてきた淡々とした口調が、今回は妙に勘に障った。
「・・・ふざっけんなよ!そんな覚悟で戦場まで来たってのか!」
「ああ。戦なんて疲れるだけのものやったって仕方ないとは思うが、別に止める必要もないだろ。逆に無駄だ」
「無駄・・・ッ!お前この戦でどれだけの奴が死んだか分かって・・・」
「知らねえよ。――どうでもいいんだ、俺には」
〝・・・俺も、ちゃんと帰るから・・・・・・だから待ってろ・・・約束だ〟
戦で死んだ妖――紅流のことを、どうでもいいだなんて。緋里にとって誰より大切な妖でさえ、あっさり切り捨てるのか。
緋里はその場にへたり込んだ。黒霊がよろよろと近寄ってくる。
泣きたいような気持ちになった。分かっていたはずなのに、こういう人間だと。
緋里を認めてくれるのも、黒霊を気味悪がったりしないのも、全部どうでもいいからなのだ。執着しているのは緋里の答にだけで、それ以外は全て例外なく突き放し、切り捨てる。それが蒼雨という人間だ。
こだわりを持たないというのはそういうことなのだと分かっていたはずなのに、はっきり突きつけられてみると、こんなにも痛い。
口調が戻ってしまっているのには気付いていたが、直す気にもなれなかった。突然口調が変わっても眉一つ動かさないのはやはり、どうでもいいからなのだろう。
「・・・アカルも、戦で死んだんだ」
駄目押しでそう言ってはみたが、蒼雨の返答はやはり淡々としていた。
「そうか。運が無かったな」
じわりと視界が滲んだ。紅流のことをそんな風に言われて悔しかった所為もある。
「・・・何で、分かんねえんだよ・・・?」
けれどそれだけではなく、どうしようもなく悲しいと思ったのだ。蒼雨という人間が。
「大事な奴のことをそんな風に切り捨てられたら、痛ェんだよ・・・!何でお前にはそれが分かんねえんだよ・・・?」
「・・・・・・」
緋里はふらりと立ち上がり蒼雨に詰め寄る。
「なあ!何でお前は全部そうやって切り捨てて・・・切り捨てられた奴の痛みを、理解しようとしねえんだよ!」
「・・・大事な奴なんて、居ないからだよ」
緋里は思わず掴んでいた襟首を離した。
「今まで、何かを大事だと思ったことが無い。親でさえ切り捨ててきたんだ、俺は。周りには怯えられたし、面と向かっておかしいと言った奴だっていたさ。でもやっぱり俺には全部、どうでもいいとしか思えなかった」
そう言って蒼雨は右の掌を見下ろす。
「・・・十年前のあの問いは、俺が執着できる唯一のことなんだ。だからお前に会いたかった」
緋里は朱い眼を揺らした。
自分だってそうだ。蒼雨のことが十年間頭にあったのは、その問いの答をいつも探していたからで。蒼雨と自分とはもともと、あの問いによって繋がっているのだから。
「あのときの答が見つかったら、俺はお前という存在にも執着できる気がするんだ。〝大事な奴〟っていうのを、持てる気がするんだよ。・・・だから、緋里」
蒼雨は漆黒の眼で真っ直ぐこちらを見据える。
「俺に〝痛み〟を教えてくれ。大事なものを傷付けられる痛みを。大事なものがくれる・・・〝温かさ〟ってやつを」
月明かりの下の瞳は、まるで全てを吸い込むかのような暗い色をしていた。彼は既に執着しているのだ、と緋里は思った。だってこんなにも貪欲な眼をしている。
解き放ってやりたい、と思った。きっと彼は自分で枷を付けている。それを外せるのが、自分の答しかないというのなら。
「・・・分かった。絶対見つける、答を」
「・・・ああ、待ってる」
逃げていてはいけない。あのとき出せなかった答を、今度こそ。
『・・・クロレ・行ク。耐エル・可能』
黒霊はふよふよと浮き上がり、月光の下に躍り出た。
「・・・そっか。じゃあ行こう、蒼雨くん」
「・・・ああ」
緋里たちは、決戦への一歩を踏み出した。




