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右眼の紅色  作者:
11/21

異形の蒼雨

〝あかりちゃんは、にんげんになりたいの?ようかいになりたいの?〟

その問いに、彼女は何と答えたのだったか。

〝うーん・・・わかんないよ。アカルのことはだいすきだけど、でもあかりはにんげんだから・・・〟

そう、確かそう言ったのだ。

村の外れにある灰巌。妖怪と出会えるというその巌に偶然蒼雨(そう)は出向いた。

今までそんな場所に興味など湧かなかったのに、その日は導かれるようにそこを遊び場所として選んだのだ。

妖怪と呼ばれる森の主を、隣の葵村の人々は敵視することも神聖視することもなかった。住処へと足を踏み入れることもしない。彼らには彼らの生活があるのだからと深く干渉することはなかった。

その中で育ったわけではないのに蒼雨にも同じ考えは根付いていて、灰巌へ向かったときも妖怪に会いたいなどとは全く思っていなかった。


巌の向こうに気配を感じた。

「だれか、いるの?」

『・・・・・・だれ?』

声が、聞こえた。居るのだ、この向こうに森の主が。

「やっぱりだれかいるんだ。ぼくは、〝ソウ〟だよ。・・・きみは?」

見えるはずはないのに、向こう側にいるその人に蒼雨は微笑みかけた。瞬間、熱を持つ岩肌。

『・・・あかり』

「あかりちゃんか。・・・ねえ、どうやったらそっちにいける?」

別に向こう側に興味があった訳じゃなかった。そのときはただ段々と熱くなる岩肌に驚いていて、どのような仕組みでそうなっているのかを見てみたいと思っただけだったのだ。

『わかんない。はじめてきたところだから・・・』

〝あかり〟がそう言うので仕方なく諦めて、彼女とそのまま話をした。

葵村に住んでいる人間だと話すと、緋里も自分が人間であると言い、しかし今は妖怪と暮らしていることを話した。

蒼雨は幼い頃から母親に言われていたことを不意に思い出した。

「〝ようかい〟を見つけたらそっとしておいてあげなさいっておかあさんがいったんだ。ねえ、あかりちゃんはほんとににんげんなの?」

もし妖怪ならそっとしておかないといけないな、などと思いながら蒼雨はそう尋ねた。〝あかり〟が首を傾げたのを感じて、蒼雨はもう一度彼女に問うことにした。

「あかりちゃんは、〝にんげん〟なんだよね」

彼女は頷く。

「でも、〝ようかい〟といっしょにすんでるんだよね」

また頷く。

「じゃあ、あかりちゃんはようかいになりたいの?にんげんになりたいの?」

彼女は、答えなかった。

別にその時はそこまで気になっていたわけではなかった。ただあかりが妖怪なのかそうでないのか分からないと、そっとしておくのが正しいのか判断できないと思って訊いただけだったのだ。

しかし村を出て別の暮らしを始めても、その疑問は片時も蒼雨の頭から離れずに残っていた。年を追うごとにそれが強くなっている気さえして、そこで初めて、蒼雨はその異常さに気が付いた。


蒼雨は執着心の薄い性格だった。

幼い頃から何かを好きだと思ったことがなく、また嫌だと思ったこともない。ただ必要以上に他人から干渉されることをどこか避けていて、億劫だと思っていた。放っておいて欲しいと常に思っていた。

蒼雨の両親は転勤が多い。一年と同じところに居たことはなかったが、蒼雨は無理やり転校させられることに対しても特に頓着していなかった。友達なんて作ったことはなかったし、好きだと思う教師にも出会わなかったからだ。ただやはり、〝あかり〟のことだけがずっと頭にあった。

何度目かの転校があって一ヶ月ほど経った頃だっただろうか。うっかり教科書を忘れてしまい、隣の女子に見せてもらったことがあった。「貸してくれ」と言った瞬間の、その女子のひどく驚いた様子が印象的だった。

「――おい鳴海(なるみ)

放課後小学生にしては背の高い、見るからにクラスのリーダー格だと思わしき男子が高圧的に声をかけてきた。名前は思い出せないし、おそらくはあの頃も覚えようとすらしていなかっただろう。

「お前〝花子〟に教科書借りただろ」

「花子?誰だ、それ」

「知らねーの?花子は花子だよ。トイレにばっか籠もってんから、〝花子〟」

そいつは小馬鹿にしたような口調でそう言った。なんとなく面倒臭そうな匂いがしたが、取り巻きの男子たちによって退路は塞がれている。

〝花子〟というのはどうやら隣の女子のあだ名らしい。本名を言われたところできっと分からないけれど。

「あいつに触るとトイレの菌が感染るぜ。なあ?」

リーダー格の男子が後ろを振り返ると、取り巻きの男子共がげらげらと笑った。

このクラスの事情をなんとなく察し、蒼雨はつくづく暇な奴らだ、とどこか遠くからこの状況を俯瞰していた。転校は散々したが、どこへ行っても程度の差はあれどこういう奴らはいる。くだらないと鼻で笑うことさえせずに、蒼雨はただ黙っていた。

「・・・おい、なんか言えよ」

肩を押されたが、蒼雨はただ溜息をついてみせた。

「なんだてめえ?」

リーダー格はからかい調子の薄ら笑いをすっと消す。蒼雨は気にせずランドセルを背負った。

「・・・もう帰っていいか?別に何も用ないんだろ」

淡々と言う蒼雨に彼は怒りのためかぶるぶると肩を震わせ、搾り出すような声で叫んだ。

「・・・あいつに関わんなって言ってんだよ!分かれよこのカス!」

・・・これはまたありがちな罵倒を使ったものだ、と蒼雨は内心鼻で笑った。

どうして人間というのは、どこへ行っても同じような奴ばかりなのだろう?考えることすら面倒だった。

「っていうか」

「なんだよ?」

男子は敵意の籠もった眼で睨みつけてくる。

「どうでもいい」

その場に居る全員が固まる。

「お前も、後ろの奴らも、あの女子も別にどうでもいい。俺にはみんな同じだ」

蒼雨は男子たちの間をすり抜けて教室を出た。

翌日からいじめはぱったりと止んだが、その男子たち、いやクラスの生徒全員が蒼雨に話しかけなくなった。隣のあの女子でさえ怯えるように彼を避けた。いじめの標的が蒼雨に変わったかのように見えなくもなかったので気を遣って担任が話しかけてきたが蒼雨は同じように突き放し、それから再び転校するまでの数ヶ月、彼に関わろうとする者はなかった。

彼がいじめられていたのではない。クラスが彼に怯えていたのだ。


何にも執着せずどうでもいいと切り捨てる、それはあまりに残酷で且つ異常なことだった。

鳴海蒼雨もまた、〝異形〟というべき存在だったのである。


それから何年か過ぎて、蒼雨が十五歳になったときのことだった。

いつものように父親の転勤が決まり、自分たちについて来るか親戚にしばらく厄介になるか選ぶように言われた。受験期に振り回すのを避けてのことだろうが、しかし両親自体が蒼雨と接することに疲れてきていたこともあっただろう。蒼雨は両親でさえも切り捨てていた。

考えるのが面倒だからと普段通りついて行くと言いかけて、気まぐれで親戚の家の住所を尋ねた。

父親が口にした住所は、葵村だった。ここの学区にギリギリ通える距離にあるので志望校も変えずに済む、と言われたが蒼雨はもはやそんなことを聞いてはいなかった。

葵村。あのとき住んでいた村。あれからすぐに引っ越してしまったが、〝あかり〟はまだあの森に居るのだろうか。

会いたい、と思った。十年も経ってしまったけれど、〝あかり〟がまだあのときのことを覚えていて、そして答をちゃんと考えてくれていたなら、それを聞きたい。

こんなにも何かに執着するのは初めてのことで、そしてきっとこれが最後だろうと思った。この人生の中で自分が執着できるのはきっと、〝あかり〟という存在に対してだけだ。

そう思うのが何故なのか、それを確かめなくてはならない。


蒼雨は父方の伯父の家へ厄介になることにした。

相変わらず冷めた態度のままだったが、伯父はそれを全く気にしない大雑把な人間だった。干渉されすぎない絶妙な距離感が居心地良かったが、それで伯父に特別な感情を抱くことはやはりない。

頭の中にはずっと〝あかり〟のことがあって、それしか考えていなかった。夏休みになるのを待って、蒼雨はあの場所へ赴く。

「・・・これは」

あれほど大きく見えていた灰巌はこうしてみると一番上に手が届くくらいの大きさだった。一七0センチある蒼雨から見てそうだということは、およそ2メートルくらいだろうか。

「冷たいよな、やっぱり」

あのとき感じた熱。あれは一時的なものなのだろうか。あるいは気のせいだったのかもしれない。

蒼雨は〝あかり〟の顔を思い浮かべてみる。少し曖昧ではあったが問題なく思い描けた。しかしこれはおかしいのだ。

蒼雨と〝あかり〟は巌越しに会話をしただけであって、顔を突き合わせたわけではない。顔が分かっていたり、仕草が感じ取れたりするはずがない。

「やっぱり何かあるのか・・・この巌」

灰巌、というネーミングが少し気になっていた。

灰、つまりグレー。要するにこの巌はある種のグレーゾーンであり、人間と妖怪との境界となっているのではないか、という仮説を蒼雨は立てていた。

境界、というのは二つのものを隔てると同時に、結びつける役割も果たす。つまりこの巌には人間と妖怪とを結びつける力が働いているのではないだろうか。

「・・・と、いうことは」

それがもし正しいのならば、蒼雨が求める答えは容易く見つかってしまうことになる。

〝あかり〟は、妖怪だ。自分が人間である以上、それと結びついた時点で〝あかり〟が人間であるはずがない。

しかし〝あかり〟は確かに自分が人間だと言った。しかし妖怪と暮らしていると。それを信じるなら肉体的には人間であるはずなのだ。

「嘘・・・だったのか?」

いや、この仮説が正しいとは限らない。そもそも蒼雨が求める答えはもっと深いところにあったはずだった。

肉体的には人間だが、妖怪の中で育った“あかり”。彼女の精神はどちらに傾いているのかを蒼雨は知りたいのだ。

人間で在りたいと願うのか、それとも妖怪で在りたいと願うのか、それこそ蒼雨が十年間執着し続けてきた問いだった。

自分自身でその答を聞かなくては、意味がない。

〝あかり〟に、会いたい。

「どうにかして、入れないか・・・」

そう呟いて巌に触れた瞬間岩肌が熱を持ち、

「・・・なんだ、これ」

気がつくと蒼雨は、知らない場所に立っていた。しかし目の前には変わらず巌が鎮座している。

「ここは・・・巌の、裏側・・・・・・?」

そのとき、茂みがガサガサと音を立てた。慌てて身を隠す。

「こんなところに人間・・・いや、あれは・・・・・・」

妖怪の住まうこの森で人影が見られるとすれば、思い当たるのは一人しかいない。

ふと見えた横顔は少し大人びてはいたが、それは紛れもなく十年間蒼雨の頭の中に描かれていたものだった。

蒼雨は見つかるのも構わず立ち上がった。

「・・・〝あかり〟、なのか・・・・・・?」

そして、運命は動き出す。


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