58
王都へ戻った翌日、私は謁見の間へ向かった。
高い天井。色硝子から差す光。玉座の上には王――父が座している。
その傍らには、第一王子である兄の姿もあった。
私は進み出て膝を折る。
「只今、帰りました」
静かな声が、広間に落ちた。
王はしばし私を見つめ、それからゆっくり頷いた。
「よく戻った。顔を上げよ、レオンハルト」
私は立ち上がる。
「学院設立の協議の次第を申し上げます」
謁見の間は静まり返っていた。
王は腕を組み、しばらく思案するように目を細めた。
「戦役も無事に終えたか」
「はい」
「良し」
それだけ言って、王は頷いた。
隣で兄が小さく息を吐いたのが見えた。
それは笑みなのか、安堵なのか、私には分からなかった。
やがて王は言う。
「ところで」
視線が私の背後へ向けられる。
「マルクといったか。負傷した側近は」
私は答えた。
「は。現在は順調に回復しております」
王は軽く顎を引いた。
「マルク、前へ」
名を呼ばれ、マルクが一歩進み出る。
そして静かに膝をついた。
「此度の任務において、お前はレオンハルトに忠義を尽くしたと聞く」
「過分にございます」
王は側近へ視線を向ける。
「金貨を与えよ。そして王室書記官の位を授ける」
宮廷に小さなどよめきが走った。
兄が口を開く。
「身体で、守ったとか」
「はい」
「良い家臣だな」
私は静かに頷いた。
続いて王は言う。
「随行した者たちにも褒賞を出せ。働きと外交の功、いずれも小さくない」
「御意。あと一つ、お願いがございます」
私は言った。
「此度に随行した者たちは、長く国を離れて務めを果たしました。数日の休暇を賜れれば、彼らも家へ戻ることができます」
王は眉を上げた。そして静かに頷く。
「よかろう。働いた者は休むべきだ」
王の言葉に、私は深く頭を下げる。
「ありがとうございます」
静かな声で礼を述べた。
王はさらに、重々しく言葉を付け加えた。
「なお、レオンハルト。お前はすでに大国より名誉宮廷伯の爵位を授けられておる。この城でもその爵位を承認し、周知として認める」
宮廷の空気が少しだけ、ざわめいた。
王はそれ以上何も言わず、ただ軽く手を振った。
謁見は終わり、という合図だった。
私は一歩退き、もう一度頭を下げる。
背後でマルクは膝を折り、礼をしていた。
やがて私は身を翻し、謁見の間を後にする。
マルクも静かにその後ろへ続いた。
大広間の扉が閉じると、張り詰めていた空気が、わずかに緩んだ気がした。
謁見の間を出た。背後では、まだ小さな囁きが残っていた。
私は歩き出した。一歩遅れて、マルクが後ろに続いた。数歩進んだところで、不意に後ろで衣擦れの音がした。
次の瞬間、小さく息を呑む気配がする。
「何故、腕を動かそうとするのだ?」
私は振り返らずに聞いた。
「いえ……」
マルクは少し間を置き、言った。
「夢かと」
「現実だ」
短く答えると、後ろで大きく息を吐く気配がした。
私は立ち止まって振り返った。
「殿下」
「何だ」
「その手は、何ですか」
私の手は、マルクに伸びようとしていた。
「……もう少し痛みがあった方が、良いかと」
マルクは呆れたように言う。
「十分です」
私は手を戻す。
「そうか」
マルクは小さく笑った。
「ええ」
そのまま二人で歩き出す。
廊下の向こうでは、宮廷の人々がすれ違うたびにこちらを見ていた。
噂は、もう城の中を巡り始めているらしい。
私はそれを気にすることなく歩いた。
マルクもまた、黙って後に続いた。
私は今回起きた出来事を、報告書としてまとめていた。
机の上には書き終えた羊皮紙が重なり、書記の手を借りながら清書が進められていく。
これを王の書記局へ提出すれば、今回の任務はひとまず終わる。
そして、それに従った者たちには休息が必要だった。
もちろん――私にも。
私は羽根ペンを置き、軽く肩をほぐす。
行き先は、もう決めていた。温泉地だ。
古い療養地で、貴族や騎士が療養や戦傷の回復に訪れる場所でもある。
私は視線を向けた。
「マルク」
部屋の隅で書類を整理していた側近が顔を上げる。
「何でしょう」
「報告書を提出したら、しばらく王都を離れる」
マルクはすぐに察したようだった。
「温泉ですか」
「そうだ」
私は短く答える。
「お前の腕も、まだ完全ではない」
マルクは軽く苦笑した。
「殿下の療養ではなく、私の方ですか」
「両方だ」
私は書きかけの報告書へ視線を戻す。
「すべき事は終わった。今は、休む時だ」
マルクは少しだけ黙り、それから頷いた。
「では、準備を整えておきます」
マルクはそう言って、静かに頭を下げた。
温泉、か。
長い任務の後だ。湯に浸かり、骨の芯まで休むのも悪くない。




