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数日後、一時停戦成立を祝う宴が王宮大広間で開かれた。高位聖職者が招かれ、王国は久方ぶりの祝宴に包まれていた。
高い天井から吊るされた燭台が、無数の炎を揺らしている。
石壁には王国の旗が並び、長卓には諸侯と将軍たちが座っていた。
広間の最奥には、王族の卓が設けられていた。
中央には王。その右には王妃、左には王太子たる第一王子。そしてその下座に、第一王女エリシアが座っている。
――その真正面。客人の席に、私は通された。
私は小国の第三王子に過ぎない。本来ならば、この席は大貴族のものだ。
だが今夜だけは違う。視線が集まる。
諸侯たちが、静かにこちらを見ている。
それは客人を見る目ではない。結果を出した者を見る目だった。
森の戦は止まり、境界は動かなかった。交易地は、双方の共同管理となった。剣ではなく、条約で終わった戦。
やがて王が立ち上がった。
楽が止み、広間は静まり返る。
「諸侯よ」
王の低い声が響いた。
「今回の停戦は、我が国のみで成されたものではない」
王の視線が、私へ向けられる。
「友好国より来たる客人、レオンハルト殿下の献策によるところが大きい」
ざわめきが広がった。大国の王が、外国の王子の功を公の場で認める。それだけでも異例だった。
だが王は続ける。
「ゆえに我は、この功を記すこととする」
侍従が進み出て、銀盆の上の文書を差し出した。
王は宣言する。
「外国の王族、レオンハルト殿下に名誉宮廷伯の爵位を授ける。」
広間がどよめいた。それはこの国の歴史で、前例のない決定だった。
王は杯を掲げた。
「停戦に」
諸侯が続く。
「停戦に!」
杯が鳴り、楽が再び始まる。私は静かに杯を上げた。
その席から、王女エリシアがこちらを見ていることに――その時の私は、まだ気づいていなかった。
王の言葉が落ちたあと、広間にはまだざわめきが残っていた。
名誉宮廷伯、という名誉爵位。それは領地を伴うものではない。城も、税も、兵も与えられない。
だが、その名は王国の貴族名簿に刻まれる。
宮廷では爵位の敬称で呼ばれ、王の賓客として遇される。
功績を、国の歴史として残すための称号。
私は杯を手にしたまま、しばらく言葉を失っていた。
それは土地よりも重い意味を持つ。この国が、私の働きを公の歴史として認めた証だった。
私は静かに息を吐く。
そして、その言葉を噛み締めた。
祝宴の席。
杯が触れ合い、楽士の音が広間を満たしている。だが、柱の影では別の声が交わされていた。
「聞いたか」
「何をだ」
「先ほどの授爵だ」
一人が低く言った。
「名誉宮廷伯だと」
杯を持つ手が止まる。
「……それは、あの小国の第三王子にか」
「そうだ」
しばし沈黙が落ちた。やがて別の貴族が、ゆっくり息を吐く。
「名誉爵位とはいえ、宮廷伯だ」
「しかも、和平の立役者として」
「これはただの褒賞ではない」
視線が、遠くの席へ向く。
一人の若者。小国の第三王子。
「我が国が認めた、ということだ」
誰かが小さく言った。
「外交の顔としてな」
「小国にしては、大きすぎる名だ」
別の男が眉をひそめる。
「だが考えてみろ。あの交易地」
「森の戦を止め、通商を開いた」
「兵を動かさず、金を生む」
杯がゆっくり回される。
「……軍より厄介だな」
誰かが苦く笑った。
「知恵で戦う男か」
別の貴族が続ける。
「しかも、我が王が爵位を授けた」
「つまり、あの男は――」
言葉が止まる。やがて、静かな声が落ちた。
「大国の宮廷に顔を持つ小国の王子だ」
誰も否定しない。
広間の向こうでは笑い声が上がり、祝宴は続いている。
そして、柱の影では、他の結論も生まれていた。
「……小国を侮ることは、もう出来ぬな」
「それも、あるが」
「……他に何か?」
誰かが小さく笑った。
「政治だ」
「小国を引き込むには、最も強い紐がある」
「婚姻か」
沈黙が落ちる。
一人が低く言った。
「だが、あの王女だぞ」
「簡単に許すと思うか?」
別の男が肩をすくめる。
「許すも何も、あの軍議の噂を聞いただろう」
「王女自ら支持した」
「……ああ」
視線が広間の奥へ向く。誰かがぽつりと言った。
「なるほど」
別の男が杯を掲げる。
「あれは王の意思、婿候補か」
杯が触れた。
エリシア視点
祝宴は、夜更けへと進んでいた。
楽の音と笑い声が広間に満ち、杯が絶えず満たされる。
その喧騒の中で、第一王女エリシアの侍女が静かに戻ってきた。銀の杯を差し出しながら、ほんのわずかに身を屈める。
「殿下」
声は囁きほどに低い。
「今しがた、貴族方の間で……」
私は杯を受け取りながら、視線だけを向けた。
「申してみなさい」
侍女は周囲を一度確かめる。
「レオンハルト殿下の“名誉宮廷伯”の件でございます」
「……それが?」
「エリシア殿下の婚約者候補ではないか、と」
杯の縁が、わずかに止まった。
だが、私はすぐにそれを口元へ運ぶ。
「……なるほど」
小さく息を吐く。そして、ゆっくりと視線を上げた。第三王子レオンハルト。
その姿を見て、すぐ理解した。
――これが、父の狙いだ。
以前、父は内密に婚姻の話を彼に出した。
そのときは、はっきりと断わられた。
だから今度は、別の手を打ったのだ。
名誉宮廷伯、という爵位。
外堀から囲い込むつもりなのだろう。
「……困った王だわ」
呆れたように、私は小さく呟いた。
だが。その口元は、抑えようとしても、なお上がり続けていた。
――父は囲い込むつもりなのだろう。
だが、それが誰を囲うことになるのか。
まだ、誰にも分からない。




