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二日後、私は戦場へと向かった。
王都の城門前には、出立を告げる鐘が静かに鳴っていた。
顔ぶれは、国を出た時と同じだ。だが、あの時とは違う。あの時は“学院設立に臨席する”だった。
門前で王が短く告げる。
「合流は街道、丘陵手前だ。現地軍はすでに展開している」
私は頷く。
私に許された兵は、多くはなかった。近衛騎士二十騎。いずれも精鋭である。
その背後に、従士と軽騎兵あわせて五十。
偵察と伝令を担う、機動を重んじた編成だ。
王族が出陣するにしては小規模。
だが、これは本隊ではない。
前線手前の丘陵地で、現地の騎士団および徴集兵と合流する手筈であった。
兵を一度に動かせば補給が滞る。分進合流は、戦の常道である。
私はその小さな隊の先頭に立った。
大軍を率いるのではない。機を見て動くための刃。兵は静かに整列し、城門の下で出立の号令を待っている。
馬上で手綱を握り直す。
私は口角を上げた。
こういう時こそ、気持ちだ。恐れは判断を鈍らせる。だが、昂ぶりは刃を研ぐ。
「出立」
号令が響く。鉄の音が連なり、旗が翻る。
私は前を向いた。
戦場は、もう遠くない。
エリシア視点
第一王女エリシアは、内郭門の石段の上に立っていた。王家の外套が、風にわずかに揺れる。
城門前には、すでに隊列が整っていた。
第三王子は隊列の先頭、門まで十歩ほどの位置で馬を止めた。副団長がわずかに手綱を引き、距離を整える。
私との間は、およそ十メートル。
それ以上近づけば私的に見える。それ以上離れれば声が届かない。
王子が馬上で一礼する。
「参ります」
声は張られているが、叫ぶほどではない。
私は顎をわずかに引いた。
「武運を」
それ以上は言わない。門兵、騎士、侍従、誰の耳にも入る場所だ。門番が号令をかける。
鎖が巻き上げられ、鉄扉が軋みながら開く。
革と鉄の音が重なり、軍勢がゆっくりと動き出す。
私は、動かない。公の場では、最後まで立ち続けるのが王家の務めだからだ。
――第三王子は、先を読む。
本来なら難しいはずの学院の話を、いつの間にか面白いと思っていた。
戦いを、思考で解く。それが戦場でどう出るのか――正直、見てみたいと思う自分がいた。
だが同時に、胸の奥に小さな棘が刺さる。
なぜだろう。彼が正しい判断を下すと信じている。それでも、もどかしさが消えない。
……自分は、ここに残る。
城壁の内側から見送る。あの場に立てぬ立場であることが、妙に重い。
門が閉じる。視界から彼の姿が消えた。私は、ゆっくりと息を吐く。
「……必ず、戻りなさい」
それきり、私は目を閉じた。
二日を要した。
私の隊は、丘陵を越えた先の陣営で現地軍と合流した。草地には数百の天幕が並び、旗が低くはためいている。
我が到着はすでに伝令によって知らされていた。陣中央の広場に、諸将が集められる。
槍が立てられ、旗が掲げられた。即席ながら、そこは公の場となる。
副騎士団長が一歩進み、王の紋章が刻まれた書状を差し出した。赤い蝋封には、王家の印。
この戦線を預かる辺境伯がそれを受け取り、封を確かめる。
周囲の視線が一斉に集まる。
書状が読み上げられた。
「レオンハルト殿下に対し、本戦において戦術助言および限定指揮権を委ねる」
ざわめきはない。
だが、空気が一段、張り詰める。
周囲の騎士たちは無言のまま、私を観察している。若く、整った顔立ち。戦場の泥とは、まだ縁が薄いように見えるのだろう。
辺境伯は書状を閉じ、わずかに視線を伏せた。そして片膝をつく。それに倣い、諸将も続いた。
「王命、確かに承りました。殿下の助言を受け、本戦に臨みます」
声は低く、よく通る。
だが、その背は完全には屈していない。
膝はついても、主導権は渡さぬという姿勢。
後列の騎士の一人が、短く鼻を鳴らす。
隣の者が肘で制した。歓迎はしている。
王家の名は戦意を高める。だが同時に、測っている。
私が、戦場の重みを知っているかどうか。
私は剣の柄に手を置いた。
「本戦の主導は貴殿にある。私は盤を共に見る者だ」
その言葉に、辺境伯の視線がわずかに上がる。ほんの一瞬、空気が緩んだ。辺境伯は立ち上がる。
「ならば、まずは戦況をご覧いただきましょう」
形式は整った。
これが、初めての戦争。
地形も、補給も、戦術理論も、頭には入っている。だが。風の匂いも、兵の呼吸も、この張りつめた沈黙も――初めてだ。
今まで味わったことのない、緊張。胸の奥が、ひどく静かに鳴る。
私は息を整えた。
ここからは、盤ではない。
戦場だ。




