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開墾の進み具合は、日ごとに変わった。
石の量。起こせた深さ。水路の流量。
芽の出るまでの日数。枯れた苗の数。
それらを、リディアは一つひとつ書き留めた。
夜、燭台の明かりの下で、指先に残る土の感触を思い出しながら、数字と所見を並べていく。
その役目は、本来であれば家宰か書記が担うものだった。だが彼女は、伯爵に願い出た。
「この開墾の記録を、私に任せてください」
伯爵はしばらく娘を見つめ、やがて頷いた。
「最後まで書き通せるのなら、やってみよ」
挫折も、書いた。
水が足りず、苗が倒れた日のこと。農民の間に諦めの声が出たこと。
苦労も、書いた。
石の多さ。水路補強に費やした人手。隣国の道具への反発。
成功も、書いた。
新しい鋤が想定より深く土を返したこと。乾きに強い種が根を張ったこと。半分だけ試した畝が、最後まで立っていたこと。
時には、筆が止まる夜もあった。
――無理なのかもしれない。
そう思う日もあった。そのたびに、机の引き出しから一通の手紙を取り出す。
第三王子からのものだった。飾り気のない文面。短い言葉。
時間を味方につけなさい。
何度も読み返したため、紙は柔らかくなっている。リディアは、そっと息を吐いた。
「私は、まだ、できる」
そう呟き、再び筆を取る。記録は、やがて一冊の報告書となった。
経過。失敗。改良点。費用。収穫量。
感情ではなく、事実として整えられた書面。
それは、領地の宝となった。
その後、他の領地が同じように高台を開こうとしたとき、その報告書が写され、回された。
あの高台の成功は、偶然ではなく、積み重ねであったと示す証。
開墾の実りと、リディアの精密な記録は、やがて他の領地でも役立つことになる。
時間は、確かに味方になっていた。
やがて、その噂は風に乗って広がった。
クロウフォード家の領地の高台で、作物が実った、と。
はじめは誰も信じなかった。あの水の乏しい土地で育つはずがない、と。隣国の技術など、当てになるものか、と。
遊水池を築く話も、水路の補強も、これまでは「余計な手間」と笑われてきた。
長年続いてきたやり方がある。それを守ることこそが、領地を保つ術だと。
だが――実りは、言い訳を許さない。実際に穂を揺らす畑を見れば、疑いは、言葉より先に崩れる。
次の年、隣の領地で遊水池の工事が始まった。そのまた隣では、水路の石積みが組まれ、見慣れぬ種が蒔かれた。人々は、ようやく気づいたのだ。
守ることは、悪くない。だが、それだけでは、前へは進まない。それは保全ではあるが、向上ではなかったのだと。
クロウフォード家の高台の畑は、いつしか一つの証となっていた。
変わることは、失うことではない。
選び直すことは、裏切りではない。
実りは、静かに、だが確かに、周囲の領地の心を動かしていった。
やがて、その名もまた囁かれるようになった。
第三王子。
はじめは、若さゆえの思いつきだと笑う者もいた。隣国と手を結ぶなど、弱みを見せることだと眉をひそめる者もいた。
だが、クロウフォード家の高台に実った穂は、その声を少しずつ静めていった。
「結果を出した」
それ以上に強い言葉はない。
宮廷でも、風向きが変わった。
派手な戦功もない。華やかな武勲もない。
だが、穀物は増えた。飢えの不安が、わずかに遠のいた。
誰もが、ようやく理解し始める。国を強くするとは、剣を振るうことだけではないのだと。
第三王子の名は、いつしか「無能」ではなくなった。
目立たぬが、確実に積み上げる者。
声高に誇らぬが、形にしてみせる者。
クロウフォード家の高台の穂は、王子の評価をも、静かに押し上げていた。




