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エリシア王女視点
エリシア王女は、朝から城中を歩き回り、次々と指示を出していた。
予定では、今日、レオンハルト殿下が王都から帰還する。
だが、予定はあくまで予定だ。街道の状況や天候次第で、到着は前後する。
そのため、最終確認のため街道へ待機させていた兵士からの急報を待っていた。
「物見を増やしてください。殿下の一行を確認したら、すぐ知らせなさい」
「はっ」
エリシア王女は、次の侍女へ視線を向ける。
「城門前の衛兵は正装で。槍や旗も整えておきなさい。領民に不安を与えてはなりません」
「承知いたしました」
冷害が続く今、豪勢な祝宴を開く予定はない。
「厨房へ。保存してある燻製肉と干し魚、豆の煮込みを多めに。焼きたての黒パンと温かいスープも切らさないようにしてください。酒は祝い程度で構いません。その代わり、温かい飲み物を十分に用意なさい」
使用人たちは慌ただしく持ち場へ散っていく。
さらにエリシア王女は医師へ声を掛けた。
「無事とは限りません。殿下だけではありません。護衛兵も診られるよう、薬草と包帯を準備してください」
「心得ました」
指示は途切れることなく続く。
留守中の帳簿も確認し、衛兵の配置も見直した。
夫が帰還した時、この城は何一つ乱れていない。
それを示すことも、領主夫人の務めだった。
やがて侍女が静かに頭を下げる。
「王女殿下。寝室の支度が整いました」
「……湯は?」
「すでに沸かしております。清潔な衣服も、ご用意いたしました」
エリシア王女は小さく頷いた。
「……この服装で、大丈夫かしら」
侍女は一瞬だけ目を伏せる。
大国から嫁入り道具として送られてくるはずだった豪華な衣装は、冷害や街道の混乱の影響で、いまだ領地へ届いていなかった。
そのため今日身に着けているのは、レオンハルト殿下から預けられた予算で、この地の職人たちに仕立ててもらった正装だった。派手さこそないが、上質な生地と丁寧な刺繍で仕上げられた、領主夫人にふさわしい一着である。
「大変お似合いでございます」
侍女は迷いなく答えた。
エリシア王女は、自らの袖口へ視線を落とす。
「……本当に?」
「私は嘘は申しません」
その言葉を聞いてもなお、エリシア王女は胸元を整え、裾を見つめる。
ただ領主夫人として迎えるだけなら、この衣装で十分だった。
それでも、エリシア王女はもう一度だけ袖口を整える。
久しぶりに会うあの方の前では、少しでも美しくありたかった。
侍女はそんな主君の様子に、小さく微笑むだけだった。
湯も、準備できている。
これで、できることはすべて整えた。
あとは、無事に帰ってくることを信じるだけ。
エリシア王女は静かに前を向いた。
第三王子視点
私は、自らの領地へ戻ってきた。
街道を抜けると、見慣れた温泉療養地の町並みが広がる。
湯気が立ち上る湯屋。巡礼者や湯治客を迎える宿。冷害の影響は色濃く残っていたが、人々はそれでも懸命に日々を営んでいた。
やがて城門が見える。
門前には、家臣たちが整然と並び、その先頭には、ひときわ華やかな姿があった。
エリシア王女だった。
格式ある衣装に身を包み、髪も美しく結い上げている。
私と目が合っても駆け寄ることはない。
領主夫人として、一歩前へ進むと、静かに優雅な礼を取った。
「レオンハルト殿下。ご無事のお帰りを、お待ちしておりました」
その声が響くと、家臣たちも一斉に頭を垂れる。
私は軽く頷いた。
「留守をよく守ってくれた」
「光栄にございます」
エリシア王女は微笑み、私を礼拝堂へと導いた。
祭壇の前に並んで膝をつく。
全てを終え、この地へ戻れたことを神へ感謝する。
司祭の祝福を受けると、エリシア王女は静かに立ち上がった。
続いて謁見の間へ向かう。
そこには、留守中に用いられていた城の印章と、城門や宝物庫を管理する鍵が用意されていた。
エリシア王女は両手でそれらを捧げ持つ。
「殿下よりお預かりしておりました権限を、お返しいたします。城内、領内とも、大きな異変なくお守りいたしました」
私は印章と鍵を受け取った。
「ご苦労だった」
その一言に、エリシア王女は安堵したように微笑む。
ようやく、公の務めは終わった。
私は改めてエリシア王女へ視線を向けた。今日の装いは華美ではない。それでも、仕立ての良い衣装は彼女によく映えていた。
「……よく似合っている」
エリシア王女はわずかに目を伏せる。 「……ありがとうございます」
エリシア王女の口元に、そっと笑みが浮かぶ。そして、静かに言葉を続けた。
「お湯の支度が整っております」
その言葉に導かれ、私は私室へ向かう。
鎧を外し、旅装を解いた。
立ち上る湯気の向こうには、この温泉療養地自慢の湯が満たされていた。
ゆっくりと湯へ身を沈める。
身体から、少しずつ力が抜けていった。
湯は澄み、かつての匂いも濁りはない。
私が整えさせた温泉の管理は、留守の間も変わることなく守られていた。
傍らには薬草湯まで用意されている。長旅の疲れを見越した、エリシア王女の心遣いだろう。
初めてこの場に来た時の湯であったなら、私は激怒するだけでは済まなかったはずだ。
そうならなかったことに、小さく息をつく。
……ようやく、戻ってきた。
その一言が、湯気とともに静かに胸へ落ちていった。




