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もし、社畜が異世界の第三王子に転生したら【連載版】  作者: りな


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ある一人の巡礼者が、その地に足を踏み入れた。

噂は、かねてから聞いていた。痛みのない治療、奇跡の湯、清らかな街。

だが噂というものは、膨らむ。半ば疑いながら、門をくぐり、足を止めた。

「……臭わない」

思わず、口に出る。人が集まる街に特有の、あの空気がない。代わりにあるのは、乾いた土と草の匂い。

疑問に思いつつ、教会を目指した。

「……あれは?」

視線の先に、広がる整然と区画分けされた庭園。薬草園のように見えた。だが――人が多い。

「見物か?」

思わず呟くと、近くにいた老婆が振り向いた。

「初めてかい」

「ああ。あれは……薬草園、か?」

「そうさ。だが、ただの庭じゃない」

老婆は、少し誇らしげに言った。

「“見る場所”でもあるのさ」

近づくにつれ、香りが変わる。

土と草の匂いに混じって、どこか甘く、落ち着く香り。白い花、細い葉、見たことのない植物が丁寧に手入れされている。

巡礼者たちは、それを眺め、時に種を買い求めていた。

「これは眠りを誘う草」

「こっちは痛みを和らげる」

説明する声が聞こえる。

「……薬を、見せているのか」

巡礼者は、小さく呟いた。

「そうじゃよ。ここで育てて、そのまま使う。欲しいモンには分ける」

「……種を、売るのか」

「お守りみたいなもんさ。巡礼の土産としてな」

確かに、人々の顔はどこか穏やかだった。


その奥に見える建物に、巡礼者は気づく。大きく白い石造りで、窓が多い。人の出入りはあるが。

「……静かだな」

病人の集まる場所なら、普通は違う。呻き声、叫び、泣き声、それがあるはずなのに。その時、建物の扉が開き二人連れが出てきた。

一人は頬を押さえ、もう一人はそれを覗き込んでいる。

「……本当に痛みがなかった」

押さえたままの男が、呆然とした声で言う。

「信じられんな」

連れの男が眉をひそめる。

「嘘じゃないぞ。まだ変な感じはするが……」

そう言って、口を少し開ける。

「……見ればわかる」

中を覗き込んだ連れが、思わず息を呑んだ。

「……本当に、抜いてあるな」

「そうだ。気づいた時には終わっていた」

「しかし、綺麗な所だったな」

「ああ」

しばしの沈黙。

抜歯を終えた男は、ゆっくりと息を吐いた。

「痛みが無いのは、確かだ」

その言葉には、実感があった。


巡礼者は、そのやり取りを黙って聞いていた。

「……魔法か」

思わず、漏れる。隣にいた老婆が、小さく首を振った。

「悪魔の業だと疑う者もいるがね」

「だとしても……」

巡礼者は、目を離せなかった。


その瞬間、遠くで鐘が鳴った。

「回復を祝う音、て皆は言うのさ」

老婆は少し笑いつつ言った。

巡礼者は、立ち尽くしていた。

「……これは」

奇跡、という言葉が浮かぶが、それでは足りない。薬草園、静かな処置。

「……ここは、人を救う場所なのか」

ようやく、声にする。

老婆は、静かに頷いた。


巡礼者は、ふと手元を見た。

指先に触れるのは、小さな木札。

粗削りだが、表面には焼き印が押されている。紐で首から下げるようになっていた。

最初に門で渡されたものだ。聞けば、かつては色の違う紐だけだったらしい。けれど。

「偽る者が出てな」

並んでいた男が、苦笑混じりに言った。

「色なんぞ、どうとでもなる」

「だから、これか」

巡礼者は木札を裏返す。

刻まれた印は単純だが、真似るのは容易ではなさそうだった。

「焼き印に変わってからは、少しはマシになったらしいぞ」

男は肩をすくめる。

巡礼者は、門での様子を思い出した。あの時多くの人が列を作り、順に進み、名を聞かれ、行き先を問われる。簡単ではあるが、確かに“見られている”感覚があった。

受付の役人、脇に立つ兵、流れは滞りなく進んでいたが、それでも人の多さは隠せない。

「混むわけだ……」

ぽつりと呟く。しかし、その分街の中は不思議なほど整っていた。

人は多いが、溢れてはいない。宿の前では、主人が木札を確かめている。無言のやり取りだが、そこには明確な線があった。

「それがないと、泊めてもらえんぞ」

先ほどの男が言う。

「宿も責任を負わされてるからな」

「責任……」

「妙な客を入れれば、罰だ」

巡礼者は、もう一度木札を握った。

ただの札ではなく、この街に“入る”ための証。同時に、この街に“属している”証。

「……なるほど」

人の数を把握し、誰がどこにいるかを知る。

それは、食べ物を足らせるためか。薪を切らさぬためか。あるいは、騒ぎを起こさせないためか。

遠くで、荷車が通る。積まれているのはパンと薪、人が増えればそれもまた増える。

「……よく出来ている」

巡礼者は、小さく呟いた。

奇跡だけでは、街は回らない。癒やしだけでも、足りない。その裏で、数え、縛り、整える手がある。

首に下げた木札が、わずかに揺れた。

「……ここは、ただの都市じゃないな」

秩序の中にあるからこそ、あの静寂も、あの奇跡も成り立っている。

そう理解した時、この街の見え方は、また一つ変わっていた。

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