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第31話 人の手

ベルク支部へ戻った頃には、もう日が傾き始めていた。


扉を開けた瞬間、受付にいた職員がこちらを見て固まる。


無理もない。


バンの脇腹には血の滲んだ布。


ミレイのローブも肩口が裂けている。


俺たちも、朝ここを出た時とは明らかに違う姿になっていた。


「治療室を空けてください!」


受付の声が飛ぶ。


「あと支部長にも連絡を! 《銀爪》が戻りました!」


すぐに職員たちが動き出した。


「いやぁ……毎回こういう帰り方は勘弁してほしいね」


カイルが苦笑する。


「お前はほとんど怪我してねぇだろ」


バンが睨む。


「後ろから撃つのが仕事だからね」


「その割には敵に近づかれてたな」


「うるさいな」


いつもの調子が少し戻っている。


それを見て、俺もようやく少しだけ肩の力を抜いた。


全員、生きて帰った。


敵は逃がした。


だが――得たものはある。


俺は受付へ向かうレオニスの背中を見た。


「先に治療を」


レオニスが振り返る。


「報告はその後にしましょう」


誰も反対しなかった。




治療を終えた頃には、外は完全に暗くなっていた。


俺たちはベルク支部の二階にある小さな会議室へ集まっていた。


中央に長机。


その上には、今日持ち帰った物が並べられている。


折れた細剣。


地面に落ちていた拘束具の破片。


術者が使っていたと思われる、小さな魔石。


そして、カイルが回収していた布切れ。


俺とアリシアの向かい側に《銀爪》の四人。


机の端にはベルク支部の支部長が座っていた。


五十歳くらいの男だ。


禿げ上がった頭を何度も撫でながら、俺たちの報告書を読んでいる。


やがて紙を机へ置いた。


「……確認するぞ」


低い声だった。


「お前たちはアッシュオーガの目撃地点を調査し、その途中で拘束された痕跡を発見した」


レオニスが頷く。


「はい」


「さらに、その痕跡を調査中――三人組の人間に襲われた」


「その通りです」


支部長の眉間に皺が寄る。


「しかも、そいつらは痕跡を消しに来ていた可能性が高い」


「断定はできません。ただ」


レオニスが机の上の破片へ目を向けた。


「私たちが拘束跡を調べているところへ現れ、こちらを確認した直後に攻撃してきました」


「盗賊なら、普通は先に金品を要求する」


カイルが椅子の背にもたれた。


「しかも俺たちの荷物なんか一度も見てない。最初から殺しに来てたよ」


支部長が唸る。


俺は机の上に置かれた拘束具の破片を見る。


鉄製。


内側には細かな傷が大量に残っている。


アッシュオーガが暴れた痕だ。


森の中で見た時は、ただ捕まえられていたという事実しか考えていなかった。


だが今まで見つけた痕跡を並べれば、別のものが見えてくる。


「……一回整理していいか」


俺が言うと、全員の視線が集まった。


「もちろんです」


レオニスが答える。


俺は机の上に広げられたベルク周辺の地図を引き寄せた。


ベルク。


山。


石橋。


そしてレーベン。


指で山側を示す。


「最初にアッシュオーガが目撃されたのは、この辺りだった」


支部長が頷いた。


「山の麓だ。三度ほど目撃報告が出ている」


「その時、被害は?」


「ない」


やはり。


俺は次に、山からベルクへ続く道を指でなぞった。


「普通に山から降りてきたなら、この辺にも足跡か目撃情報が残るはずだ」


カイルが頷く。


「俺もそこが引っかかってた。アッシュオーガの足跡は分かりやすい。あの足なら、完全に消して歩くのは無理だ」


「でも」


アリシアが地図を覗き込む。


「途中から、急に目撃されなくなったんですよね?」


支部長が紙束を確認する。


「ああ。最後の報告から十日ほど何もない」


俺は石橋を指した。


「そして次に現れたのがここだ」


ベルクから離れた石橋。


しかも、そこへ至る途中には目撃情報がない。


アリシアが小さく息を呑んだ。


「……歩いて移動してない?」


「その可能性が高い」


レオニスが言った。


「一度捕らえられた」


俺は今日見つけた拘束跡を思い出す。


木。


杭。


縄。


鉄具。


大きな魔物を長期間留めていた痕跡。


「捕獲して、別の場所へ運んだ」


ミレイが腕を組む。


「でも、何のために?」


誰もすぐには答えなかった。


俺は石橋で見た光景を思い出す。


壊された荷車。


死んだ護衛。


そして――


奪われていた食料。


「石橋であいつが何を狙ってたか覚えてるか?」


アリシアが答えた。


「食べ物……」


「そうだ」


俺は頷く。


「布も金属も道具も残ってた。持っていかれたのは食料が中心だった」


「アッシュオーガが腹を空かせてただけじゃないの?」


ミレイが言う。


「俺も最初はそう思った」


だが。


ベルク付近では人を襲っていない。


そこから突然姿を消す。


何者かに拘束された痕跡がある。


その後、食料を運ぶ荷車が頻繁に通る石橋で現れた。


偶然にしては、出来すぎている。


俺がそう説明すると、部屋が静かになった。


バンが眉を寄せる。


「……待てよ」


太い指で石橋を指す。


「つまり何だ?」


「可能性の話だ」


俺は答えた。


「アッシュオーガが石橋を選んだんじゃない」


一拍置く。


「誰かが、石橋で人を襲うように仕向けた」


空気が変わった。


支部長が椅子に座り直す。


「仕向けた……」


「山から降りてきた時点では人を襲わなかった」


レオニスが続きを引き取った。


「だから捕獲した。そして――」


彼の視線が拘束具へ落ちる。


「餌を与えなかった?」


アリシアが呟いた。


誰も答えなかった。


だが、一番自然だった。


強い魔物を捕らえる。


飢えさせる。


そして食料を積んだ荷車が多く通る場所へ放つ。


そうすれば。


「……勝手に襲う」


ミレイが険しい顔になる。


「そんなことする?」


「今日、した奴らに襲われましたからね」


カイルが軽い口調で言った。


だが、目は笑っていなかった。


支部長は腕を組み、しばらく地図を睨んでいた。


「問題は目的だな」


「目的?」


アリシアが聞く。


「魔物を使って人を殺すだけなら、もっと簡単な方法がある」


支部長が石橋を指で叩く。


「わざわざ捕まえて、運んで、街道へ放つ。そんな面倒なことをする理由だ」


俺もそこが分からない。


怨恨。


無差別殺人。


実験。


いくらでも考えられる。


その時。


レオニスが言った。


「狙いが人ではないとしたら?」


俺はレオニスを見る。


「どういう意味だ」


「石橋です」


レオニスが地図を指す。


「ここはベルクとレーベンを結ぶ主要街道の一つです」


支部長が頷いた。


「特に食料はよく通る。ベルク周辺の村から集めた作物も、この道を通ってレーベンへ運ばれる」


そこまで聞いて、分かった。


「物流か」


「はい」


レオニスが頷く。


「街道で強力な魔物が暴れれば、荷馬車は通れなくなる」


支部長が続ける。


「護衛も増やさなきゃならん。当然、運送費も上がる」


「食料の値段も上がる?」


アリシアが聞く。


「ああ」


支部長の顔が険しくなる。


「長引けばな」


部屋が静かになった。


ただ魔物を暴れさせるだけ。


それだけで。


街道が止まる。


商人が動かなくなる。


食料が届かなくなる。


値段が上がる。


討伐依頼が出る。


金が動く。


そこまで考えて、俺は一つ疑問を口にする。


「……それで誰が得する?」


「そこですよねぇ」


カイルが椅子を揺らす。


「食料を買い占めてる商人? 別の街道を持ってる商会? 討伐依頼を受ける冒険者?」


「候補は多すぎます」


レオニスが言った。


「ですが一つ確かなのは、今日の三人です」


俺は細剣を見る。


男が使っていた武器。


俺が折った。


そして逃げる直前、確かに傷も負わせた。


「三人が何者か分かれば早い」


「そう簡単なら苦労しないんだけどね」


ミレイが言った。


「顔、見た?」


「細剣の男は見た」


俺が答える。


「二十代後半くらい。黒髪。右肩を切った」


「かなり深くね」


ミレイが補足した。


「放っておける傷じゃないと思う」


カイルの椅子が止まった。


「……あ」


全員がカイルを見る。


「何です?」


アリシアが聞く。


「怪我だよ」


カイルが身を起こす。


「深い傷なら治療しないといけない」


「回復魔法を使える仲間がいる可能性もあります」


レオニスが言う。


「もちろん」


カイルは頷く。


「でも、いなかったら?」


少し考える。


「薬」


俺が言った。


カイルが指を鳴らした。


「それ」


ベルクみたいな街なら、薬屋の数は限られる。


出血を止める薬。


傷口を塞ぐ薬草。


痛み止め。


もし今日の男がこの周辺を拠点にしているなら。


「今日か明日、怪我人用の薬を買う可能性がある」


カイルが笑った。


今度は少しだけ、いつもの顔だった。


「しかも三人組。戦闘慣れしてる。細剣持ち。右肩を負傷」


「探せるか?」


俺が聞く。


「探す」


即答だった。


「むしろ俺の仕事」


レオニスが少し考える。


「ただし、一人では動かないでください」


「分かってますって」


「あなたの“分かってます”は信用していません」


「酷くない?」


バンが鼻で笑った。


そのやり取りを聞きながら、俺は再び地図を見る。


まだ全部は繋がっていない。


アッシュオーガを捕らえた理由。


石橋へ放った理由。


今日の三人。


そして、その後ろにいる誰か。


ただ。


最初に石橋へ向かった時とは違う。


あの時は、何がいるのかすら分からなかった。


今は違う。


敵はいる。


それも魔物じゃない。


人間だ。


支部長がゆっくり立ち上がった。


「この件は、もう通常の魔物調査として扱えん」


全員を見る。


「ベルク支部として、正式に上へ報告する」


「レーベンにも?」


アリシアが聞く。


「ああ。ジークのところにも飛ばす」


その名前に俺は少しだけ顔を上げた。


「それから――」


支部長が言葉を切る。


「まだ断定はできんが、似たようなやり口を使う連中に心当たりがないわけじゃない」


レオニスの表情が変わった。


「……まさか」


「知ってるのか?」


俺が聞く。


レオニスはすぐには答えなかった。


代わりに、支部長を見る。


支部長は深く息を吐いた。


「冒険者ギルドが表で扱えない仕事を請け負う連中がいる」


低い声。


「密輸、人攫い、違法な魔物取引、暗殺」


アリシアの顔が強張る。


「そんな……」


「組織は一つじゃない。呼び名も色々だ」


支部長は机の上に置かれた拘束具へ目を落とした。


「だが俺たちはまとめて、こう呼ぶ」


一拍。


「――闇ギルドだ」


その言葉を、俺は頭の中で繰り返した。


闇ギルド。


今日戦った三人。


アッシュオーガ。


石橋。


まだ繋がったわけじゃない。


だが。


ようやく敵の形が見え始めた。


「カイル」


レオニスが言う。


「明日の朝から薬屋を回ります。私も同行します」


「了解」


「バンとミレイは休んでください」


「俺も行けるぞ」


「その脇腹で?」


「……行ける」


「休んでください」


「ちっ」


レオニスが次に俺を見る。


「怜さんとアリシアさんは――」


「俺も行く」


即答した。


レオニスが少し黙る。


「これは《銀爪》の依頼です」


「俺たちも襲われた」


「ですが」


「それに」


俺は折れた細剣へ視線を落とす。


「俺があいつを斬った」


傷の深さも。


刃が入った位置も。


覚えている。


「見つけた時、一番確実に本人だと判断できるのは俺だ」


レオニスは数秒、俺を見た。


それから息を吐く。


「……分かりました」


隣を見る。


アリシアがこちらを見ていた。


「私は?」


「来るだろ」


「はい」


迷いのない返事だった。


俺は少しだけ笑った。


以前なら。


俺一人で行くと言っていたかもしれない。


だが今は。


それが一番速い方法とは限らないと知っている。


俺はもう一度、机の上に広がった地図を見る。


山から始まり。


ベルクを通り。


石橋へ繋がった線。


その途中に。


誰かの手がある。


なら。


次は、その手を掴む。


今度こそ。


逃がさない。

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