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第30話 大きな一歩

レオニスは煙の消えた先を、しばらく見ていた。


それから、ゆっくりと盾を下ろす。


誰も、追おうとはしなかった。


追えなかった。


バンは脇腹を押さえたまま、奥歯を噛んでいる。


カイルも弓を下ろさず、林の奥を睨んでいた。


ミレイは肩を押さえ、浅く息を吐く。


逃がした。


その事実だけが、林の中に重く残っている。


「……逃がした魚は大きいね」


カイルがぽつりと言った。


いつもの軽さはない。


視線は、敵が消えた林の奥へ向いたままだった。


「だが、無駄ではありません」


レオニスが静かに言った。


カイルが横目でレオニスを見る。


「アッシュオーガは、自然に石橋へ現れたわけではない」


レオニスは抉れた地面へ視線を落とした。


拘束魔法の跡。


焼けた土。


折れた細剣。


血の線。


そこに残っているのは、戦闘の跡だけだった。


「何者かが拘束し、運び、解き放った。そして、その痕跡を追った私たちを、人間が襲ってきた」


バンは黙ったまま、林の奥を睨んでいる。


ミレイも、肩を押さえたまま目を細めた。


「これで、人の手が入っていることはほぼ確定しました」


レオニスは俺たちを見る。


「敵を逃がしたことは痛い。ですが、そこまで分かっただけでも、大きな一歩です」


大きな一歩。


そう言われても、胸の奥に残った重さは消えなかった。


勝ったわけじゃない。


捕まえたわけでもない。


ただ、見えなかったものの輪郭が、少しだけ見えた。


今は、それだけだ。


「……戻りましょう」


レオニスが言った。


「ここに長く留まるべきではありません」


誰も反対しなかった。


バンは立ち上がろうとして、わずかに顔を歪める。


「ちっ……」


「バンさん」


アリシアがすぐに膝をついた。


杖の先に淡い光が灯る。


「少しだけ、傷を見せてください」


「平気だ」


「平気じゃありません」


珍しく、アリシアの声が強かった。


バンは一瞬だけ目を丸くし、それから短く息を吐いた。


「……分かったよ」


淡い光が、バンの脇腹を包む。


裂けた傷口から流れていた血が、少しずつ弱まっていく。


完全には塞がらない。


だが、歩くには十分な程度まで、出血は落ち着いた。


「すみません。これ以上は、戻ってからじゃないと」


「十分だ」


バンは腹を押さえながら立ち上がった。


「助かった」


アリシアは小さく頷き、次にミレイの肩へ杖を向ける。


ミレイは苦笑した。


「私もお願い」


「はい」


淡い光が、破れたローブの下に走った傷を包む。


ミレイの呼吸が、少しだけ楽になる。


「ありがと。痛み、だいぶ引いた」


「よかったです」


アリシアはそう言ったが、その顔にも疲れが出ていた。


さっきの《スパーク》。


そして回復魔法。


短い時間で、何度も魔力を使っている。


俺はその横に立った。


「アリシア」


「はい」


「さっきの魔法、助かった」


アリシアは一瞬、言葉を失ったように俺を見た。


「……でも、倒せたわけじゃ」


「止めた」


俺は言った。


「あの一瞬がなかったら、レオニスかバンがもっと深くやられてた」


アリシアは杖を握り直す。


少しだけ、指の震えが弱まった。


「……はい」


カイルが周囲に視線を走らせる。


「話すなら支部だね。ここ、長居したくない」


いつもの軽さに戻そうとしている。


だが、弓を持つ手はまだ下がっていなかった。


レオニスが頷く。


「隊列を組みます。カイルは後方警戒。バンは中央へ。ミレイとアリシアも中央。怜さんは私と前を」


「分かった」


俺は鎌を背に戻す。


最後に、もう一度だけ林の奥を見た。


細剣の男の姿はない。


声もない。


残っているのは、戦闘の跡だけだった。


俺たちは林を後にした。


ベルク支部へ戻る道は、来た時よりもずっと長く感じた。

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