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楽園戦争  作者: 如月十五
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第三十話 咎人の記憶②

 小牧が走り去っていってから十分経つか経たないかというとき、唐突に残酷な現実を突きつけられた。


 そのときの雪乃は文化祭の練習準備に向けて奔走していたところ。教室前で図書委員長を見つけて体育館へと戻り、さあ後は小牧が帰ってくれば皆で練習が始められる。そんな矢先のことだった。


「み、皆!!」


 突如、男子生徒のすっとんきょうな声が体育館内に響き渡った。雪乃を含めた皆は声のした方──出入口前に何気なく目を向けたが、すぐにその異様な様子に気がついた。

 青ざめた表情に、途絶え途絶えの乱れた呼吸。館外から駆けつけた一人の男子生徒が、取り乱した様子で何かを訴えかけようとしていたのだ。


 不測の事態、それも自分たちにとって不都合な何かが起こったらしいことは明白だった。深刻な状況を察した一同は、息を呑んで彼の言葉に耳を傾けた。


「こ、小牧が、小牧が……!!」


 そしてそれから告げられたのが、小牧が死んでいるという知らせだった。ろくに覚悟もできないまま一方的に話される内容に、館内の面々は戸惑いを覚えるとともに、戦慄していた。

 当然、雪乃もその一人だった。訳が分からなかった。小牧はつい先ほどまで何事もなく雪乃の側にいたのだ。そんな彼が死んだなどと聞かされて、信じられるはずもなかった。


「嘘、だよね……? そんなの嘘に決まってる……!」


 気がつけば雪乃は、一人体育館を飛び出していた。小牧の死体が見つかったという体育館裏の倉庫を目指して全力で走った。


 距離にすればせいぜい、数十メートルだ。その距離を走れば十秒かかるかかからないかという程度のはずなのだが、雪乃にはその時間がずいぶんと長く感じられた。

 その間雪乃の頭のなかにあったのは、小牧のことだけだった。つい血にまみれた小牧の姿を想像してしまうたび必死でそれを掻き消しながら、そして聞かされたことが何かの間違いであることを祈りながら、雪乃は倉庫の扉の前までやって来た。しかし──。


「ああ、だめだ」


 目の前に広がる光景を前にして、雪乃はぼそりと呟いた。そう言うしかないほど、凄惨な状況だった。


 まず最初に、何かを揺さぶり続ける蓮の姿が見えた。同時に叫び声を上げる彼の様子が、かつて見たことのないほどの悲しみと怒りに満ち溢れていたことはすぐに感じとれた。

 扉の向こうは薄暗くはっきりと見えたわけではなかったが、小牧の死という事実を理解するにはそれだけで十分だった。雪乃は思わず目を逸らしかけ、しかしそれでもまだ一縷の望みを捨てきれずにいた。そして次に再び扉の向こうへと視線を戻したとき、それを瞬時に打ち砕かれた。暗闇に慣れた雪乃の目に、突如として血の惨状が浮かび上がってきたのだ。


 こんな経験をすれば誰だって、同じような言葉を発したに違いない。とてつもない喪失感に襲われたとき、諦め以外の感情など抱けるはずもなかったのだ。

 そうして雪乃は全てを放り出し、ただの傍観者と成り果てた。


 血の匂いが鼻についた。まだそれほど時間はたっていなかったようで、倉庫内では不気味なほどに鮮やかな赤が暴虐の限りを尽くし、壁一面、床一面を支配していた。

 正常な精神を持ち合わせていれば、恐怖を抱くなり絶望を感じるなり、彼女にも何かしらの反応があっただろう。だがとうにその心を破壊された彼女は茫然とするだけで、ただ眺めることしかできなかった。嘆き悲しむ蓮の姿を。揺さぶられ続ける血肉の塊──小牧の姿を。


「──それが、私があの朝経験したこと。私は健くんの死を前にして何もできなかったんだ」


 思い出したくもない記憶のありのままをさらけ出し、雪乃は全身に疲労感を覚えていた。その様子が他の皆にも伝わったのか、今この場には重苦しい空気が充満している。


「で、ですが、今の話には別段おかしな点はなかったように思います。裏切り者については、どうなったのでしょうか」


 そんななか口を開いたのは、藤咲だ。恐る恐る話す彼女に、今度は皆瀬が遠慮も知らぬ様子で続く。


「柊はついさっき、自分には知っていることがあると認めたはずだ。ここで話さないというのなら、それは十分に俺たちへの裏切りとなるが?」


 逃れる隙を一切与えない鋭い目が、雪乃に突き刺さった。


 皆瀬の表情には怒りの色が含まれている。それは単に、一向に知っていることを話そうとしない雪乃に対するものかもしれないし、あるいは死が巣食うこの世界の残酷さ、理不尽さに対するものでもあるのかもしれない。

 もしそうだとすれば、彼の怒りを取り除くことは極めて困難なものとなる。しかしそれでも雪乃は、そんな彼の──人類の怒りに対して正面から向き合わなければならない。それが雪乃にできる贖罪なのだ。


「私の罪。それは何もできなかったこと。ううん、何も……しなかったこと」

「何もしなかったこと、ですか……?」


 藤咲が首を傾げている。一方の皆瀬は、ただ黙ってこちらを向いている。


「言ったでしょ、藤咲会長。健くんは体育館裏の倉庫に用があるからって走って行っちゃったの。それで死体が見つかった場所は──」

「まさか、それはつまり……」

「そう。あのとき健くんを電話で呼び出した何者かが、彼を殺した犯人じゃないかってこと。そして今この学校には私たちしかいない以上、その犯人は、私たちのなかにいるんじゃないかってこと」


 そう口にした瞬間、館内は雪乃の予想に反して静まり返っていた。

 皆瀬によって既に裏切り者の存在は言及されていたとはいえ、これでその可能性はより濃厚なものとなったのだ。もう少しどよめきが走ってもいいものだが、一同の様子は違った。誰一人として、吐息すら漏らさない。

 なぜだろう、という疑問が浮かび、しかしその理由はすぐに判明した。皆、それができない状態にある。つまり、怯えきって硬直してしまっているわけだ。


 たしかに自分たちのなかに裏切り者がいるだなんて、考えたくもない話だ。さらにその可能性が現実味を帯びてくれば、皆の反応にも納得がいく。これほど恐ろしいことはない。

 それはこれまでの、死に対する漠然とした恐怖ではない。もっと明確で全く種類の異なる恐怖──誰かに殺されることに対する恐怖だ。新たに生まれた恐怖は皆にますます死を実感させ、そして互いに疑心暗鬼になりながら監視し合うことを運命づけたのだ。


 ──皆……。


 雪乃は、押し黙る皆の顔を一通り見渡した。ほとんどが、震えて下を向いている。

 ひょっとして彼らが恐怖に囚われている今なら、自分の罪を知ってもそれどころではないのではないか。自分に降り注ぐであろう批難の嵐も、少しはましになるのではないか。そう思った途端、信じられないほど冷静に、話を再開することができていた。


「私はあの日すぐに、そのことに気がついた。最後まで健くんの側にいたんだから、当然だよね。でも私はこのことを皆に話せなかった。私たちのなかに裏切り者がいるなんて、信じたくはなかったから」


 もう一度、皆を見渡し顔色を窺う。大丈夫、今なら話し尽くせる。


「私は現実から目を背けた。健くんの携帯電話の着信履歴を見ればそこに証拠があるはずなのに、私はそれをしなかった。それどころか……。裏切り者なんていない、全部なかったことにしよう。そう思った私は気がついたら、健くんの携帯をこっそり抜き取って、破壊していたの」


 さすがにこのときばかりは、皆驚いた様子でこちらに顔を向けた。軽蔑の色も含まれているように見えるが、罵詈雑言を浴びせられなかっただけ、まだよかった方だ。


「破壊だなんて、そんなこと……」

「さっき何もしなかったって言ったけど、それも少し違うかもしれない。人類の未来の為のことは何もしなかった代わりに、私は裏切り者の証拠隠滅に勤しんだ。犯行に、加担してしまったも同然だよね」

「……」

「自分でも、愚かなことをしたと思ってる。どうかしてた。自分の願望だけで、やっていいことじゃなかった。でもどうしても、健くんを殺した犯人が私たちのなかにいるなんて、認めたくなかったし、信じたくなかった」

「だから、携帯を壊したと……?」

「うん。結果的に裏切り者の手助けをしてしまったことには変わりない。だから私を犯人の協力者だって思ってくれても構わないし、或いは今の話が全部嘘で、私が犯人なんだって思ってくれても構わない。でもこれだけは言わせてください……。本当に、ごめんなさい……」


 雪乃はその場にひれ伏した。地に頭を擦り付け、惨めな姿を皆に曝している状態だ。

 決して、許しを求めているわけではない。許してもらえるとも思っていない。ただ、そうしないと気がすまないからこうして土下座しているだけだ。


 ──土下座してる自分に、酔いしれてるだけじゃん。


 ふと、そんな囁きが聴こえた気がした。抑揚がなく、一切の感情も感じられないような冷たい声。間もなく、その声が自分の脳内で再生されたものであることを理解した。少し雰囲気は違えど、その声は紛れもなく雪乃自身のものだったからだ。


 事実その通りである。要するに、自分のことは自分が一番よく分かっているということだ。

 罪悪感から逃れたい。哀れな自分を慰めたい。結局のところ土下座という行為の根底にあるのはそういった邪な感情であり、考えているのは自分のことだけだった。それを理解しながらも行動を変えない自分と、そんな自分に嫌気が差しながらもただ眺めるだけの自分がいた。


「本当に、ごめんなさい……」


 雪乃はそれから何度も、同じ言葉を繰り返した。皆からは何の反応もなく、たしなめる者すらいない。

 ひょっとすると自分以外の全て──世界の時間が止まってしまったのではないか。そんな錯覚を覚えた雪乃だったが、顔を上げて確認することはできなかった。顔を上げ、冷たい視線を送っているであろう皆と目を合わせることが、恐かった。


 気まずい時間は体感時間にしておよそ、二、三分だった。やがて藤咲が口を開き、自分に集まっていた視線が外されていくのを感じた。恐る恐る顔を上げ、雪乃も藤咲の方へと目をやる。


「たしかに、柊さんのとった行動は理解しがたいものです。ですが私にはもうひとつ気になることがあります」

「気になること、だと……?」

「ええ、皆瀬くん。あなたについてです。あなたは何故、柊さんに知っていることがあると、分かったのでしょうか」


 その瞬間、目まぐるしく移ろう皆の視線の流れが、今度は皆瀬の方へと向いた。

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