第1話(4)
瑠は、適量の水をやかんに注ぐとそれを火にかけた。
数分後…
「ピ・・・・・」
やかんが微かに音をたてる。
瑠は、大きな音が響く前に素早く火を止めた。そして、二つのマグカップにカフェオレの粉をいれる。次に、やかんのお湯を注げば、カフェオレはほぼ完成だ。
「・・・・よし」
瑠はスプーンでそれをかき混ぜた後、そう呟いた。
・・・瑠がその言葉を発したのは、カフェオレが完成したからではない。
本当の理由は・・・・・
(これでやっと仕事ができる・・・)
「トイロ・・・鎌は使えるよな。そろそろやるぞ」
瑠は前を見たまま、後ろに立っているトイロに出来るだけ小声でそう言った。
「・・・・うん」
トイロの声が聞こえた次の瞬間に、彼女の気配は消えた。
瑠はゆっくりと後に振り返る。
すでに、ソファに座っている朝菜の目の前に、トイロの姿があった。
朝菜はトイロのことに気づく様子もなく(当たり前だが)、暇を潰すため自分の指をいじくっている。
その時、トイロの手の中に白く輝く大きな鎌が現れた。
(トイロっ・・・やれ!)
トイロは、瑠のことを一瞥し頷くと、鎌を大きく振り上げた。そして、大きく朝菜の体を切り裂いた。
それと同時に、朝菜の体からたくさんの光の粒があふれ出す。
(・・・・よしっ!)
その光の粒は、次々とトイロの体の中へと消えていく。
トイロは満足げに微笑んだ。
「朝菜ちゃんの“気”ってすごく美味しいんだね」
トイロは朝菜の隣に腰を下ろしてそう言ったが、彼女からは何の反応もない。
朝菜の手の動きは既に止まっており、彼女のまぶたはゆっくりと閉じていった。
「・・・また朝菜ちゃんの気もらっていいかなぁ」
トイロはそう呟く。
「トイロ。また、なんて無いかもしれないぞ」
「!・・・・」
瑠は、トイロの隣で小さな寝息をたてている朝菜にゆっくりと近づいた。そして、ソファの背もたれに手を置く。
「俺が我慢できずに・・・朝菜の記憶をすべて夢に変えたら・・・・この朝菜は“朝菜”じゃなくなるからな・・」
瑠は朝菜を見下ろすと、口元に不気味な笑みを浮かべた。
♪ピロピロピン~ピロロ~♪
とその時、朝菜の携帯が鳴った。
朝菜のバッグの中から聞こえる。
「トイロ。もっと朝菜の気をとるんだ」
瑠はトイロに早口でそう言うと、朝菜のバッグを何の躊躇いもなく開けた。
トイロは立ち上がると、手に持っていた鎌で朝菜の体を切り裂く。
そこからまた、光の粒が溢れだした。
朝菜は「・・・んー・・」と声を漏らしただけで、起きるということはしなかった。
瑠は、朝菜のバッグから鳴りっぱなしの携帯を取り出すと、それをひらく。
「!・・・」
ディスプレイには《着信中―― 兄 ――》という文字が映っていた。
「――・・・」
瑠はそれを見ると、鼻で笑い、携帯の着信を切る。
「朝菜の夢は俺がもらいますよ・・・」
瑠はそう呟くと、携帯を朝菜のバッグに戻した。
「何ででないんだよ・・・」
翼は眉間にしわを寄せ、携帯を閉じる。
いつもならとっくに帰ってる時間なのに、朝菜はまだ学校から帰っていなかった。
また本屋にでも寄っているのだろうか。
翼は、あいつのこともあり、朝菜に出来るだけ早く帰ってきてほしかった。
それに、明も既に家に帰ってきている(今日は、早めに仕事が終わったらしい)。
翼は、携帯をポーンとベッドの上に投げると、仰向けでベッドに倒れる。
もう外は夜に近づき始めている。
空の大半は闇色に染まり、翼の部屋も薄暗かった。
《早く契約しないと死にますよ。平野センパイ》
「!・・・」
ふと、西園寺の言葉が頭に浮かんだ。
・・・そう。俺たち“スイマ”は人間の“気”を生きる源としている。
しかし、人間の気をとることは決してよいことではない。むしろ“悪いこと”だ。・・・たとえそのことが、生きる源だとしても。
人間の気をとることは、その人間の行動を制限することになってしまう。つまり一時的にでも、その人間の行動を操れるということだ。
しかし“ムマ”と契約することで、それは許される。
ムマは、気をとられた人間の中にしか侵入できない。
そして、ムマの力は人間にとっては必要不可欠な力だ。・・・ムマが仕事をしないと人間は、破れる。
つまり、スイマはムマに協力することによって、その行動が許されている、ということだ。
(でも・・・俺は・・・)
そう、自分はまだ、パートナーのムマを見つけていない。
いや・・・見つけたくない。と言うほうが、今の自分には合っているかもしれない。
自分は完全なスイマになることを恐れている。
もし、契約したムマが西園寺みたいなやつだったらどうする?
一回契約すれば、そのムマが死ぬまでその契約は解くことができない。つまり、そのムマが好き勝手やってまた、大切な誰かを失うようなことになっても、そのムマに協力し続けなければならないのだ。
それは裏切りになってしまう気がする。
記憶を失った母への、そしてそのことによって苦しんでいる父への。
朝菜はもちろん、そのことを知らない。いや、知ってはいけない。
こっちの世界のことを知ってしまったら朝菜は“ある運命”から逃げられなくなってしまう。・・・何も知らないほうが幸せだ。
翼は大きなため息をつくと、ゆっくりとベッドから体を起こした。そして、洋服のそでを捲くる。
そこの腕にはツタに似た模様が、肩から手首にかけて刻み込まれている。
これはスイマだという証。
逃げられない証。
そして・・・自分にとってこの印は、呪いの印でしかなかった。
「翼。朝菜はまだ帰ってこないのか?」
「!」
驚いて声の方を見ると、部屋の入り口の前に明の姿があった。
「・・・あぁ。本屋にでも寄ってるんじゃねぇーの」
「・・・そうか。夕食の用意ができたんだが・・・」
「・・・」
少しの間のあと、また明が重々しく口を開いた。
「翼・・・。夜はムマとスイマが支配する時間だ。もうすぐ夜はやってくる。・・・・本当に朝菜は無事なのか・・・?」
「!・・・・・・」
(もしかしたら・・・・!)
翼の心臓の鼓動が一気に早くなる。そして、最悪な考えが頭を過ぎった。
・・・朝菜は西園寺と同じクラスだ。
西園寺は朝菜の夢を狙っている。
もし西園寺が「漫画貸すから」などと言えば、漫画好きの朝菜は「やったー」などと言って、何の疑いもなく西園寺の家にでも行ってしまうだろう。
そう。翼たちの手の届きにくいところへ朝菜は誘い込まれてしまう。
翼は勢い良くベッドから立ち上がり、歪んだ瞳で明を見た。
「朝菜が危ないかもしれないっ・・・」
「さてと・・・」
瑠がそう呟くのと同時に、彼の髪がみるみるうちに銀色に染まり、そしてその瞳も銀に染まっていった。
瑠は“ムマ”の姿になったのだ。
「じゃ・・・行ってくるからな」
瑠は後ろに立っているトイロにそう言うと、ソファで眠っている朝菜に目線を落とす。
「・・・うん」
「朝菜が起きそうになったら・・・頼んだぞ」
「・・・分かった」
トイロの声とほぼ同時に、瑠はその姿をかき消した。
朝菜は、長い列の一番後ろに並んでいた。
周りには何もなく、ただ白い空間が支配している。
朝菜の前に並んでいる人々は、大人や子供、いろいろな人がいるようだ。
「・・・・?」
朝菜はおかしな点に気づいた。
この場所にはあるものがなかった。それは・・・・音だ。
こんなに多くの人がいるのに、話し声さえ少しも聞こえない。
まるで、この白い空間が全ての音を吸収してしまったかのようだ。
(・・・皆、何のために並んでるんだろ)
朝菜は“音がない”ということより、そっちのほうが気がかりだった。
朝菜は思い切って、前の人の背中に声をかける。
(あのっ・・・)
しかし、声がだせない。・・・いや。口が開かない。というか・・・・。
(口ってどうやったら開くんだっけ・・・?)
朝菜が口を開こうとしても、その口は軽く閉じられたままだ。
・・・まるでこれでは“口を開く意志”がないみたいではないか。
「・・・・」
朝菜は口を動かすために、わざと笑ってみようと試みた。
(何これ・・・)
口が動かない。動かし方が分からない。
朝菜は恐ろしくなった。
このままずっと、口が開かなかったらどうしよう。
朝菜はどうにかして、口の動かし方を思い出そうとした。
・・・やっぱり動かない。
どうしようもないので、朝菜は他の人々の様子をうかがい見ることにした。
・・・人々に怪しまれないように、列に沿ってゆっくりと歩きながら、後ろにそっと振り返る。
「!!・・・」
朝菜はその光景に凍りついた。
列に並んでる人々は皆、同じ表情を浮かべていた。・・・すべての人々が無表情だった。
そして朝菜は気づいてしまった。自分も無表情だったことに。
いくら驚いても、自分の表情が動いた感じがしない。
・・・まるでこれでは“全く驚いてない”ようにしか見えないではないか。
人々の表情がないと、余計に分からない。・・・この列の先に何があるのか。
「!!」
朝菜は隣に人が立っていることに気づき、驚いてその人の顔を見た(相手から見たら、まったく驚いていないように見えるだろう)。
彼は美しい銀の髪を持っており、そしてその瞳も美しい銀色だ。しかも、彼の右腕にはツタの模様のような印が刻み込まれている。
そして、彼は間違いなく・・・・瑠だった。
瑠は朝菜のことを見て、微笑む。
(・・・瑠?)
そして、瑠は手に持っていたあるものを朝菜に差し出した。それは・・・レバーだった。
四角いコンクリートに、レバーだけがついている。
(・・・何でレバー・・・?)
レバーと言えば、機械などを動かす時に、押したり引いたりするものだ。
こんなコンクリートにレバーだけがついたものが、何の役に立つというのだろう。
「・・・・」
朝菜は疑いの眼差しで、瑠を見た。
瑠は相変わらず微笑んでおり、何を考えているかは分らない。
「はい。これ」
瑠はその怪しげなレバーを、手に取るよう朝菜に促す。
「・・・・」
朝菜は促されるまま、そのレバーを手に取った。
そのレバーは、ずっしりと重かった。
「それ、引いてみてよ」
「・・・・」
朝菜はほとんど迷うことなく、レバーの取っ手に手をかける。
このレバーを引いたらどうなるんだろう・・・。好奇心が止まらなかった。それに、このレバーはただのレバーではない。そんな感じがした。
(きっと・・・何かが起こる・・!)
朝菜はレバーの取っ手を強く握りしめると、思い切り自分の方へ引いた。
ガシャン!!
「!!」
つぎの瞬間、周りの景色が一変した。
朝菜は暗闇の中、一人で立っていた。
いや、正確に言えば、ただの暗闇ではない。朝菜の頭上に広がるのは夜空だ。しかし、月や星はでていなかった。
そして、朝菜の目の前には、大きな背の高い建物がそびえ立っていた。
それは全身、暗い色の木で造られており、何となく全体の作りは学校に似ていた。
その建物の次に朝菜の目にとまったのは、森だ。その建物と、朝菜を取り囲むようにして、夜の色で染められたその森はそこにあった。
「何・・・ここ?」
朝菜は辺りをぐるりと見渡しながら呟いた。
どうやら声はでるらしい。
そして、顔の感覚も普通に戻っていた。しかし、朝菜は怖かった。ここにいることが。
電気の燈っていない建物。そして真っ暗な森。ここには光がなかった。
しかし、光がないはずなのに、朝菜はそれを認識することができる。
さっきの空間といい、ここの空間といい、何かがいつもと違う。
ここは・・・きっと現実ではない。
「朝菜。gameの始まりだよ」
「!!」
気が付くと、建物の入口にある柱に寄り掛かっている瑠が、こちらを見ていた。
朝菜は瑠の銀の髪と瞳を見て、一瞬ドキリとする。
「ここ・・・どこなの?それに・・・瑠は一体・・・」
「話をしている暇はないよ。朝菜。
もうゲームは始まったんだ。楽しい楽しいゲームがね・・・」
「は・・・!?」
朝菜は顔をしかめる。
瑠は不気味な笑みを浮かべて、朝菜に近づいてきた。
「これは俺と朝菜のゲームだよ。
朝菜はさっきと同じレバーを“ここ”で見つければいい。たったそれだけ。
でも、できるだけ早くね。早くしないと、俺が朝菜の大切なものを全部奪っちゃうから。
全てを奪われる前に、朝菜がそのレバーを見つけ、レバーの取っ手をもとに戻せば朝菜の勝ちだよ」
瑠は朝菜の前で歩みを止めた。
「じゃ・・・ゲームを始めようか」
瑠はその言葉を残して、瞬時に姿をかき消した。
「・・・消えちゃったし・・・」
朝菜は茫然と立ち尽くしてした。
(大切なものって・・・いったい何?)
命?家族?友だち?
朝菜には、大切なものが確かにある。
瑠は、朝菜の大切なものを本当に奪うつもりなのだろうか?
「・・・・」
朝菜は、それが本当になってしまう気がしてならなかった。
あの銀の瞳を歪ませて、不気味に笑う瑠の姿を見てしまったのだから。
・・・それなら早く、“レバー”を見つけるべきではないだろうか。
しかしそれは、難しいことになりそうだ。
・・・なにしろ、この空間は不気味だ。
うっそうと茂る森。光のない空。そして・・・明かりが燈っていない木の建物。
(怖いっ・・・)
朝菜はその場で固まってしまった。
目の前にある建物の中へと続く入口を見るのでさえ、恐怖を覚える。
木々の葉が風に揺られる。
真っ黒な木々たちが喋り出す。
ザワザワザワ・・・・・
「っ・・・」
朝菜は耳をふさぎたくなった。
まるで、多くの人間たちが囁いているみたいだ。
「これから怖くて恐ろしいことが待ってるよ」と。
(誰かっ・・・助けてっ・・・!)
「らーらー・・・らー・・・♪」
「!?・・・」
(誰か・・・歌ってる・・?)
朝菜は、鼓動が速くなるのを感じながら、その声に耳を澄ました。
「・・・・らー・・・♪」
耳に届く、その微かな歌声は、建物の中から聞こえるようだ。
「中に誰かいるんだ・・・」
朝菜は、呟くようにそう言うと、恐る恐るその扉の前まで歩み寄る。そして、ゆっくりとドアノブに手をかけた。
ギギー・・・
朝菜は丁寧にその扉を押した。
その木の扉は、古めかしい音を出しながら開いていく。
建物の中は、やっぱり暗かった。
まっすぐに続く暗い廊下と、その両側には幾つもの扉が並ぶ。そして、その扉は皆、きっちりと閉まっていた。
朝菜は、廊下の突き当たりに、階段があることに気づいた。まっすぐに続く階段。
しかし、ここからでは二階が見えなかった。
・・・やっぱり不気味だ。
「誰かいないのー!?」
朝菜は怖さを紛らわすためにも、大声で叫んだ。
・・・さっきの歌声は、聞き間違いだったのだろうか。
「わ!!」
「!!!!」
突然、視界の下から女の子が顔をだした。
朝菜は声が出せないほど、驚いた。
「ははっ♪驚いた?」
「!・・・・」
朝菜はその女の子のことを凝視していた。いや、正確には、彼女の髪を凝視していた。
彼女の耳の上で二つに結わえた髪は、自分と同じ金色だった。
この空間では、瑠の銀色以外、明るい色は見たことがなかったのに。
「ねぇ。私の歌が聞こえたから、ここに入ってきたんだよね」
女の子は得意そうに、その瞳を見開いて微笑んだ。
「うん・・・」
朝菜は、戸惑い気味にそう言う。
女の子は朝菜の言葉に、ニッコリと笑った。そして、くるりと身を翻すと軽い足取りで、つき辺りの階段まで足を運ぶ。そして朝菜に振り返った。
離れた場所に立っている女の子の優しい声は、しっかりと朝菜まで届いた。
「楽しい楽しいゲームが始まった。
でも心配御無用。
朝菜は特別。
私も特別。
だって、金の髪と金の瞳の持ち主。
この空間は私たちのもの♪」
「・・・・は?」
女の子は歌うようにそう言うと、その階段を素早く駆け上がった。
そして、彼女の姿はあっという間に見えなくなってしまった。
女の子の言葉は謎めいていた。自分は、金の瞳なんて持っていないのに。
しかし、これだけは分かった。
“心配御無用”
朝菜はゲームに勝つことができる。・・・そういう意味なのだろうか。
(・・・何であの子・・・私の名前、知ってるんだろ・・・)
しかし朝菜はそのことにかんして、あまり気にしないことにした。
だったここは、現実ではない。
・・・現実界の常識で、考えてはいけないんだ。