第3話(5)
「おい!待てよ!」
「・・・!」
朝菜は隣の部屋から聞こえてくる、翼の声で目を覚ました。
そして、次に朝菜の耳に入ったのは、階段を勢いよく駆け降りる足音だ。
朝菜は、何事かとベッドから体を起こす。
既に部屋全体は明るくなっており、どうやら早朝というわけではないらしい。
朝菜は寒いと思いながらも、ベッドからおりて部屋の外の様子を伺った。
「!」
すると、少しいったところにある階段の前に、制服を着た翼の姿があった。
「どうしたの?」
朝菜はそう言いながら、翼に近づく。
翼は困りきった表情を朝菜に向けた。
「おっ・・・朝菜。今、起きたのか・・・。・・・さっき西園寺に“契約しないか”って聞いてみたんだよ・・・そしたら・・・」
翼はより一層、その顔を悔しそうに歪める。
「そしたら?」
朝菜は、だいたい予想がつく答えを思い浮かべる。
「逃げられた」
「・・・・」
思った通りの結果だ。今思えば、あの瑠が簡単に翼の話を真剣にきくはずがない。
瑠の場合、落ちこんでいてもそうでなくても、翼に気を許すつもりはないらしい。
・・・やはり、翼と瑠の関係は最悪のようだ。
「はぁー・・・瑠の様子はどうだったの?」
「まぁ・・・昨日よりはましかもな。俺に反発するぐらいだから。つーか、溜息つくな!」
朝菜は、翼の言葉に少し安心した。
昨日の瑠は、自分が見ていられないほど落ち込んでいた・・・と感じたからだ。
「お兄ちゃん、瑠と契約してね!絶対に!」
そう、まごまごしてると、翼の19歳の誕生日がきてしまう。
「・・・分かってるって」
翼は、朝菜の唐突な言葉に少しばかり表情を引き締める。
朝菜は翼の言葉を聞くと彼の横を通り過ぎて、階段を下り始めた。
「朝菜っ!それじゃ、西園寺に言っておいてくれよ!」
「え?何んて?」
朝菜は階段の途中で立ち止まり、肩越しに振り返って翼を見上げた。
「“俺の話を最後まで真剣に聞け”って」
翼はみけんにしわを寄せ、むすっとした表情を浮かべている。
「え・・・・」
朝菜は正直、とても言いづらいと思った。
それに、自分がそう言ったところで、瑠が翼の話を真剣に聞くとは思えない。
・・・でも、自分が、翼と瑠が速く契約をしてほしいと思っていることは事実だ。
「できたら言っておくね・・・。でも、私が言ってもあんまり意味ないと思うけど」
「それでも、言わないよりはましだろ」
「うん。まぁ・・・」
朝菜は翼の安心した表情を目に入れたあと、前に向き直りまた階段の続きを降り始めた。
「!・・・」
とある疑問が朝菜の頭に浮かぶ。そして、また肩越しに振り返ると翼を見た。
「お兄ちゃん、何で制服きてるの?今日、土曜日だし、学校休みだよー?」
「!!」
今、まさに朝菜に続いて階段を降りようとしていた翼は、ピタリとその動きを止めた。
そして叫んだ。
「そうだ!補習に遅れる!!」
翼は朝菜の横のスペースを無理やり通り抜け、階段を一気に駆け降りる。
「・・・」
(学校はあったんだ・・・受験生は大変だ)
朝菜はそんなことを思いながら、ゆっくりと階段を降りはじめた。
朝菜は一通りの用事を終えると、居間のこたつにもぐり込んだ。
居間は静寂に包まれており、人の気配はない。
(そうだ・・・今って家にいるの私だけじゃん)
そう、翼は学校へ行き、明は仕事に行っている。
しかし、今日は土曜日なのでそう遅くなることはないだろうと朝菜は思った。
朝菜はテレビのリモコンを手に取ると、テレビの電源ボタンをポチリと押す。
ボォンと低い音をだして、テレビの映像が流れ始めた。
「・・・」
テレビに映ったのは、たいして興味のないアニメだ。
朝菜はその映像をボーッと眺めた。
「・・・」
しかし、なかなか落ち着かない。なぜだか心の隅がそわそわする。
「・・・」
朝菜はテレビアニメの愉快すぎる会話に、だんだんイライラしてきた。
(うるさいっ)
朝菜はすばやくテレビの電源を切る。
・・・そしてまた、辺りは静寂に包まれた。
暇になった朝菜は、漫画を読む気にもなれず、こたつの台にゴツンと額をつけた。
(瑠・・・大丈夫かな)
そう、朝菜は瑠のことが心配だった。
自分でも変だと思うくらいに。
瑠のことを理解して元気づけられる人は、本当に少ない。そう思うと、自分はこんなことしていていいのか・・・と思ってしまうのだ。
「・・・よし」
朝菜はこたつから抜け出した。
まだ温かいこたつでぬくぬくしていたいというのが本音だが、そうもしていられない。
(瑠んちに行ってみるか・・・)
正直、瑠のことを心配して彼の家まで行くなんて自分らしくないと思う。・・・それに、照れくさい。
しかし、このそわそわ感を取り除くには、この方法が一番なのだ。
朝菜はケータイをポケットに入れ、上着をきてから外へでた。
はく息は白く、庭にもうっすらと霜がおりているのが見える。
(はやく冬休みになればいいのに・・・)
朝菜はそんなことを思いながら、玄関の扉を閉めた。
(でも来週には冬休みだし・・・まぁ・・・いっか)
朝菜は鍵穴に鍵を押しこみ、ガチャリと玄関の戸を閉める。
「あっ・・・」
朝菜はある重大なことに気づいた。
瑠のアパートに行く手段・・・がない。
自分の自転車は、彼のアパートに置きっぱなしだったのだ。
(どうしよ・・・)
・・・仕方ない。歩きで行くか。
どっちにしろ、時間はあるし。それに自転車がないと、月曜日、学校に行くとき困るではないか。
朝菜は浅く溜息をつくと、歩道へつながる戸を押し開けた。
日曜日の午前中であるためか、大通りをはしっている車も平日よりは少ないようだ。
(たしか・・・瑠んちは・・・)
朝菜は、左に曲がって道なりに進む。
たしか、このまま行けばコンビニがあり、そこをまた左に曲がってまっすぐ行くと・・・あるはずだ。瑠のアパートが。
「行くかぁ」
そして朝菜は歩きだす。
空は綺麗な青色だ。しかし12月の頬を打つ風は、ピリピリと痛い。
・・・しばらく歩くと、例のコンビニが見えてきた。
ここまで来れば、あと少しで瑠のアパートへ到着する。
(そうだ・・・)
何も持たずに瑠の部屋に行ったら、まず始めに訪ねた理由を聞かれるだろう。
そのときにお土産?の品でもあれば、会話がスムーズになるかもしれない。
「何か買ってくか・・・」
朝菜は目の前の信号が青になったのを確認してから、横断歩道を渡る。
そのとき、朝菜はあることに気付いた。
(って言うか・・・財布、持ってきてなかった)
朝菜は自分の物忘れに呆れ、深い溜息をつく。そして、お土産のことは諦めて、瑠のアパートに向かおうとしたその時・・・
「朝菜ー!」
聞き覚えのある声が朝菜の耳に届いた。
「あっ・・・」
今まさにコンビニから出てきた人物は、朝菜の友だち─遥香だったのだ。
遥香はコンビニ袋を片手に、小走りで朝菜の目の前までやってきた。
「遥香ー・・・!久しぶり~」
朝菜が奇遇の出会いにわくわくしていると、遥香は少しばかり眉をよせる。
「久しぶりって・・・金曜に会ったばっかじゃん」
「!・・・あはは・・・そうだね」
遥香は朝菜の言葉に苦笑いを浮かべると、口を開いた。
「朝菜はこんなところで何やってんの?私はこれから部活に行くんだけど・・・」
朝菜は遥香の言葉にドキリとする。
ここは何と言うべきか。・・・ぜったいに正直にはいいたくないし。
「えっと・・・─友だちの・・・」
「あれ・・・」
遥香は朝菜の答えは聞かずに、突然、まじまじと朝菜の顔を見つめてきた。
「朝菜、何か雰囲気変わった?」
「えっ!?・・・何も変わってないと・・・」
(本当は変わったけど・・・)
そう、自分でも信じられないくらい、自分は変わった。
今ではこの金髪も大切なものに感じることができる。
「どうしたの?その目の色・・・」
「!」
そうだ。ムマになった自分は髪の色だけではなく、瞳の色も金なのだ。
(って言うか・・・目の色、変えておくの忘れてたっ)
いくら遥香でも、この変わった目の色をみれば、朝菜のことを気味悪がり今までのように一緒にいてくれないかもしれない。
朝菜は自分の心臓の音が今までになく、早くなるのを感じた。
「朝菜ぁ、金髪なのに、目の色も金色にしたのー?染めるのは髪だけでいいんじゃない?」
遥香は、はははっと笑ってそう言った。
「あっ・・・そうかな!」
朝菜もできるだけ平常心を装って、とっさにそう口にする。
「学校行くときには“カラーコンタクト”外しておきなよー」
そして遥香は、腕時計を確認すると「じゃ、また明日!」と言って、近くに置いておる自転車にまたがる。
「じゃぁねー」
朝菜そう言うと、遥香は自転車のペダルをこぎだして朝菜の前から去って行った。
(よかった・・・髪は染めたんじゃないけどねー・・・)
だんだんと遠ざかる遥香の背中を見ながら、朝菜は安堵の溜息をつく。
そして、気を取り直して瑠のアパートへむかった。
瑠のアパートに到着した。
(やっとついた・・・)
朝菜の心臓は、いつの間にか早鐘のようになりつつあった。
次に瑠の顔をみたとき、何と言えばいいのだろう。
上手く言わなければ、余計に瑠のことを傷つけてしまうかもしれない。
(やばい・・・緊張するっ)
朝菜はそう思いながらも、ゆっくりと瑠の部屋へ近づいていく。
駐輪場の横を通り過ぎたとき、ちゃんとそこに自分の自転車があるのが見えた。
朝菜は心の隅で「よかった・・・」と思うと、アパートの廊下に足を踏み入れる。
・・・もう、瑠の部屋は目の前だ。
「・・・よし」
朝菜は瑠の前に立つと、じっと部屋のドアを見つめた。
(このなかに瑠がいるんだ・・・)
このドアは黙りこくっているが、そのことは間違いなく事実だ。
・・・よし。まず、瑠がでてきたら、自転車をとりにきたことを伝えて・・・その後は・・・
「!・・・」
朝菜は考えがまとまらないまま、チャイムを押していた。
こんな落ち着かないなかで考えても、どうせいい考えなんか浮かびやしない。
そして、瑠が・・・でてこなかった。
いくらドアの前に立って待っていても、瑠がでてくる気配はない。
「─・・・」
朝菜の心臓は一気に高鳴る。
そして、すぐさまドアノブに手をかけ、開かないかどうか確認した。
(・・・開かないし)
ガチャガチャとドアノブを回しても、それが開く気配は微塵もなかった。
念のため、もう一度チャイムを押す。
「・・・」
やはり、反応はない。
(留守か・・・か)
朝菜はドアノブから手を離し、浅く溜息をついた。
それは・・・安堵の溜息なのか、落胆での溜息なのか自分でもよく分からない。
それにしても、瑠はどこに行ってしまったのだろう。
翼の話では、昨日よりはましになったと言っていたし・・・気晴らしにどこかに出かけているのだろうか。
(・・・明日、学校で会ったとき、声かけてみるか)
朝菜はそう、心に決めた。
次の日・・・
朝菜はいつものように席について、朝食をとっていた。
今日の朝ごはんは、メロンパンにカフェオレ。
どうやら朝菜は夢のなかで、カフェオレを飲んでから、その味にハマってしまったらしい。
いつもは明が飲むために、キッチンにカフェオレの粉がおいてあるのだが、今日はそれを朝菜も飲んでいる。
朝菜はメロンパンをかじっては、カフェオレを飲み、そして学校に遅れないよう、時々時刻を確認した。
今の時刻は・・。午前7:34。
(そろそろ行かないと・・・)
朝菜はカフェオレを飲みほすと、メロンパンの入っていた袋をグシャグシャと丸め、席から立ち上がった。
と、その時、居間の扉がパッと開く。
そして、そこから顔を覗かせたのは制服姿の翼だ。彼は、指で自分の目を指さしながら言った。
「その色!ちゃんと変えておけよ!」
「あー・・・分かった」
そう、分かっている。自分でもこんな派手な色、クラスメイトたちに見られるは御免だ。
そして翼はすぐに顔を引っ込め、急いだ様子で玄関へ向かったようだ。
(って言うか、お兄ちゃん・・・学校行く必要なんてあるのかなー・・・お兄ちゃん、スイマだし・・・)
とその時、翼がまた居間の扉を開け、そこから顔を覗かせた。
朝菜は思わずドキリとして、翼の顔を凝視する。
「朝菜―。西園寺にあのこと、ちゃんと言っておいてくれよっ」
「・・・──」
(あの事って何だっけ・・・確か・・・)
すると翼は微かに眉間にしわを寄せ、言った。
「・・・俺の話をちゃんと聞けってこと!」
「・・・あー、分かった!」
翼は朝菜の返事を聞くと、すぐさま顔を引っ込めた。そして、すぐに玄関を開ける音が朝菜の耳に届く。
(って言うか、瑠って・・・私の話もあまり聞いてくれない気が・・・)
朝菜は浅く溜息をつくと、パン袋をゴミ箱に押し込んだ。
(よし。学校行くかぁ!)
朝菜はチャイムがなる、約五分前に教室に入った。
やはり教室内は、生徒たちの話し声で騒がしい。そしてそれらは、朝菜を一気に現実へ引き戻す。
(そうだ・・・あと一週間でテストだった)
今までいろいろなことがありすぎてすっかり忘れていたが、それも朝菜が認めるべき現実だ。
「はぁー・・」
朝菜は深い溜息とともに、鞄をドサッと机の上に置く。
「平野・・・ちゃん!」
「!」
突然、後ろから誰かに抱きつかれた。
驚いて振り返ると、そこにはニコニコした千絵の顔がある。
「おはよー千絵」
朝菜も笑顔でそう言う。
「おはよ。ねぇねぇ!朝菜ってカラコンしてんだ」
千絵はまじまじと朝菜の顔を見つめてくる。
朝菜は千絵と目が合い、思わずドキリとした。
「あれ~。してないじゃん!」
「学校にしていけるわけないよー」
そう、あの瞳の色で学校なんかに行けるわけない。
すると千絵は「え~」と声をあげながら、朝菜の机の上に腰を下ろす。
「遥香からきいたんだ?」
朝菜はそう千絵に問いかけながら、椅子を引き、そこに腰かけた。
「うん、そうそう・・・って言うか平野ちゃん!漫画貸して?授業中に読みたいからさー」
「うん、いいよー」
朝菜は机の中に置きっぱなしの漫画に手をのばす。
教科書と一緒に、漫画数冊も朝菜の机の中に入っているのだ。
とその時、瑠が前の扉から入ってきた(朝菜の席は、前の扉のすぐ横にある)。
「おはよー西園寺君!」
千絵はそう元気に挨拶したが、朝菜は瑠の表情を窺うべく、彼の顔を凝視していた。
瑠は千絵のことを冷めた目で見て「おはよ」と呟いただけで、すぐさま朝菜と千絵の前から去って行った。
(・・・やっぱり、元気ない?・・・のかな)
すると千絵は、机から降り言う。
「ねー、いいと思わない?」
「は?」
朝菜が千絵を見ると、彼女は席についた瑠のことを見てニヤニヤしている。
すると千絵は、今度は朝菜の方に振り返った。
「西園寺君!ほらっ・・・さっきみたくクールなところがまたいいんだよねー」
「え``・・・そうかな~・・・」
朝菜はそうは思わなかった。
あの性格だし・・・。それに間違いなく、クールなキャラではない。
千絵は本当の瑠を知らないから、そんなことが言えるんだ。
とその時、担任の先生が教室に入ってきた。
教室の時計を見ると、あと一分でチャイムが鳴る時間だ。
千絵は「きちゃった~」と呟くと、掌を朝菜に差し出す。
朝菜はその意味に気付いて、机の中の適当な漫画数冊を千絵の手の上に乗せた。
「ありがと!」
千絵は、先生に見つからないように漫画を持つと、急いだ様子で自分の席へ戻って行った。
「今日の欠席者は誰だー?」
先生のやる気のなさそな声が、教室に響く。
(今日は普通の学校生活だよね・・・)
一番後ろの席に座っている瑠を、ちらちら観察しながら朝菜はそう思った。
「お前っ!!ふざけてんのか!?」
移動教室から教室へ帰る途中、その怒鳴り声が廊下に響いた。
「何かあったのかなー?」
朝菜の隣を歩いていた遥香は、驚いたようにそう口にした。
「・・・なんだろ?」
朝菜も遥香と同様、驚きを隠せなかった。
見ると、教室の前の廊下を通る生徒の視線は、丁度、ここから視界に入らない曲がり角の場所に注がれているようだ。
(誰か喧嘩でもしてんのかなー。何か面白そう)
朝菜は、絶対に口にだして言えないことを内心で思いながら、早足でその場所へ向かう。
「!」
そして朝菜は見た。
緊迫感が漂う二人を。
一人は確か、隣のクラスの男子だ(名前はよくわからない)。そして、もう一人は・・・瑠だった。
(うそっ・・・何で瑠がっ・・・)
瑠は淡々とした表情で、相手の男子のことを見ている。
一方、その男子は今にも殴りかかってきそうな表情を浮かべている。
「あれ・・・西園寺君じゃない?」
朝菜の隣にきた遥香も、喧嘩をしている生徒が瑠だったということに驚いているようだ。
「おいっ!シカトしてんじゃねーよ!!」
男子は、廊下に響き渡るほどの大声でそう叫ぶ。そして彼は、瑠の襟首を勢い良く掴み、瑠の頬を拳で殴り飛ばした。
「!!」
瑠はドサリと床に倒れる。
「ちょ・・・やばいよ!」
そう口走った遥香も含め、今、その現場を見た全ての生徒が、その男子の思いがけない行動に動揺している。そして、朝菜もそのうちの一人だった。
(一体・・・なにやってんのっ・・・)
「・・・」
朝菜はどうにかできないものかと、生徒たちの間をすり抜け、瑠の方へ近づいた。
「朝菜!待って」
遥香も朝菜の後ろへ続く。
その間にも、瑠はよろよろと立ち上がり、その男子のことを刺すような目つきで睨んだ。
朝菜はゾクリとした。
(瑠でもあんな表情するんだ・・・)
「・・・!!」
朝菜は次の瞬間、自分の目を疑った。
・・・瑠の髪がみるみるうちに銀色に染められていく。
「っ・・・!!」
朝菜は反射的に手に持っていた、教科書と筆記用具を遥香に押しつけた。そして、ブランケット(冬の時季は寒いので、移動教室のときも持ち歩いているのだ)を広げそれを瑠の頭へ勢いよく被せる。
(やばいっ!瑠のこの髪色を見られちゃ・・・)
「何やってんの??」
遥香の戸惑いの入り混じった声が、背後から聞こえた。
そして朝菜は気づいた。今の自分の行動は、明らかにおかしい。
すると瑠は、ブランケットを乱暴にはぎとった。
・・・ハラリとブランケットが床へと落ちる。
次の瞬間、目が合ったのは銀の瞳と銀の瞳を持った瑠だ。
彼は不審な目つきで、朝菜のことを見ている。
(もう駄目だ・・・)
朝菜の努力は水の泡と消えた。
ムマとしての瑠の姿を同級生たちの間の前で、さらすことになってしまったのだ。
「何やってんだよ!西園寺」
「!」
弾かれたように振り返ると、そこには白い鎌を持った翼の姿があった。
「お兄ちゃん・・・!?」
次から次へと数えきれないほどの光の粒が、翼の体へと流れていくのを朝菜は見た。
そして、今までにいた生徒たちはみな、床に倒れ眠っている。
・・・その中に遥香の姿もあるのを、朝菜は確認した。
「うそっ・・・!?お兄ちゃん、それ・・・学校で振り回したの!?」
翼は朝菜の困惑した声色も気にする様子なく、平然として口を開いた。
「大丈夫だって!この鎌、持ったときは誰にも姿なんて見えねーし」
「・・・」
(──それはそうなんだけど・・・)
朝菜は床に眠っている、生徒たちに目線を落とした。
・・・何と言うか、この光景は・・・まるで現実感がない。
「それにこうしなかったら、もっとめんどいことになってただろー?」
翼の視線は、朝菜の隣の隣に立っている瑠に注がれていた。
「もう・・・限界・・・かもな」
翼は溜息混じりにそう呟き、その手から鎌を搔き消す。
「え?限界って・・・」
朝菜は翼の言葉に、思わずそう口走った。
「・・・」
翼は朝菜を一瞥した後、瑠へと目を移す。そして言った。
「いい加減、俺の話を聴け!!」
「・・・うるさいな」
翼は瑠がそう呟いたにも関わらず、彼の腕を勢いよく掴み、引っ張った。そしてそのまま、すぐ近くにある階段へ大股で向かう。
「お兄ちゃん!どこ行くの!?」
朝菜は翼の背中を見ながら、そう叫んだ。
─あの姿の瑠を、校内で引っぱりまわされてはこちらまで気が気でない。
「こいつと話をつけてくる!!」
翼は朝菜の方は振り返らず、大声でそう言うと、階段を上って上の階へ行ってしまった。
「・・・」
(大丈夫だよね・・・?)
結局、何処へ行くかは分からなかったが、いくら翼でもあの姿の瑠を引きつれたまま、校内をうろつくことはしないだろう。
「あっ・・・そうだ」
翼に伝言を頼まれたんだった。
瑠に“ちゃんと話を聞け”と。
(別に大丈夫だよねー・・・)
自分が瑠にそう伝えたとしても、結局は変わらなかったと思うし。
それに、翼に腕を掴まれても瑠は反発することをしなかった。もしかしたら、瑠は翼の話をちゃんと聞こうと思ったかもしれない。
翼の話を聞いて、瑠は少しでも元気になってくれるだろうか・・・?
朝菜は心の片隅でそんなことを思った。
翼は屋上に続く扉の前まで、瑠のことを引っ張ってくると、そこで彼の腕を離した。
遠くから人のざわめきが聞こえるだけで、周りに人の姿はない。
「─・・・なんでセンパイは、そんなに俺のことを気にかけるの?契約なら、朝菜とすればいいことだろ」
西園寺は視線を翼から外して、そう呟いた。
「──・・・」
翼はひとまず口を閉ざした。
・・・あのスイマのことを話すには、今しかない。彼女のことを口にすれば、西園寺の心は少しぐらい動いてくれるだろうか。
「・・・お前のパートナーだったやつに頼まれたんだよ・・・お前と契約しろって・・・」
翼には西園寺の目の前で、トイロという名前を口にだす勇気がなかった。
もしかしたら西園寺は、彼女の名前を聞くことなさえ辛いかもしれない。
すると、西園寺の表情がみるみるうちに変化した。
・・・こんな表情のある西園寺を目にしたのは、かなり久しぶりだ。
「・・・トイロが?」
「そう・・・だよ」
「・・・」
「・・・」
「何で?」
西園寺はその銀の瞳を細め、こちらを見た。
翼は即座に口を開く。
「・・・トイロはお前のことが大切だったんだよ。だからお前のこれからを心配して、俺に・・・頼んだんだ」
西園寺の瞳が微かに揺らいだ気がした。
翼は沈黙を守り、西園寺の反応を窺う。
西園寺は特別な反応を示さないまま、長い沈黙の後、口を開いた。
「──・・・センパイは、俺のことを恨んでるんだろ!?何で俺とパートナーになることを引き受けたっ・・・!?トイロはセンパイにとって、他人も同然なのに──・・・」
俯いている西園寺の声は、意外にも力強い。
「もう、あの日のことは忘れてやるよ!母さんの記憶も戻ったことだし・・・。それに、今、一番辛い思いをしてんのは・・・お前じゃねーのかよっ・・・」
翼は吐き捨てるように、そう口にした。
「っ・・・」
西園寺は踵を返し、何も言わずに階段を下りて行く。
「・・・西園寺!その色、ちゃんと変えておけよ!」
翼は西園寺の背中に向かい、そう叫ぶ。
西園寺はこちらに振り向くことはせず、ただスタスタと階段を下りる。そして彼の髪は、瞬く間に普通の色に染められた。
「・・・」
翼は確信していた。
かたくなだった西園寺の心を、少しだけ動かすことができたということを・・・。