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異世界和菓子職人の甘味無双~家畜の餌と呼ばれる赤い豆を「あんこ」にしたら、お貴族様も大絶賛で大繁盛商会になりました~  作者: 黒崎 隼人


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第12話「四季を告げる練り込みと職人の約束」

 それから季節が一巡りし、寒風が石畳を凍えさせる初冬が再び巡ってきた。

 店には火にあたる労働者から貴族までが出入りし、あんこ商会はその名実ともに街を代表する顔の一つとして確固たる基盤を築き上げた。

 大きくなったがゆえの内部整備や素材の開拓など、忙しさは減るどころか別の形となって毎日二人に降り掛かっていた。

 それでも、厨房の一番奥の神聖な場所に出入りできるのは、創設者たるタクミただ一人であることは全く変わっていない。


 粉雪がちらつき始めたある深い夜。

 今日の営業と仕込みをすべて終えた店舗の中央で、タクミは誰もいなくなったかまどの余熱だけを使って、小さな器の中に何かを練りあげ始めていた。

 どら焼きのための大量生産ラインに必要な大きな柄杓の動きではなく、指先だけを使った精密で緻密な動きだ。

 木のヘラは置かれ、水気を帯びた彼自身の二本の指先だけがひとつまみの真っ白な生地の形を整えていく。

 ガタントン。

 すでに帳場での計算を終えて店を閉める準備に取り掛かっていたルミナが、僅かな音に気がつき帳簿棚の奥から彼へ近づいてきた。

 彼女は外套の分厚い襟元をかき合わせながら、不思議そうに手元をのぞき込む。


「タクミ?もう明日の仕込みなら指示してあるはずよ。そんな手のひらに収まるほどの僅かな小豆で何を作っているの?」


 三角べらを持つタクミの指先は、まるで息をするのも忘れたかのように微細な震えすら排除されていた。

 白餡の柔らかな肌に、極小の刃が吸い込まれていく。

 その所作のあまりの静謐さに、ルミナは問いかける声さえ喉の奥へ飲み込んだ。

 タクミは静かに顔を上げる。


「どら焼きでもパンでもありません。日本の職人が一番最初に習い、一番最後に答えを出す純粋な造形の菓子です」


 指先が最後の一息を加える。

 彼の掌の上に収まったもの。

 それは白い砂糖の結晶に極上の柔らかいこしあんを微かに練り込んだ生地だ。

 外側の若草の緑から薄紅色の蕾へと、まるで春の訪れそのものを絵の具で溶かし込んだかのような、境目のない美しい色合いの移ろいを繊細に染めつけて造形した、山茶花の形を見事に模した生菓子であった。

 数枚の花びらが完全に自然の花の立体感を持ち、中心には黄色で作られた小さな雄しべすら精緻に再現されている。


「お花……?食べ物に、どうしてこれほどまでのお庭の花を描いているの?」


「菓子というのは、腹を満たすためだけの甘い泥じゃないからです」


 タクミは静かに立ち上がり、完成したその花を一つきりの黒塗りの皿に乗せた。

 それは数万個も焼いてきた量産のどら焼きとは異なり、たった一つの瞬間にしか存在しない命のような輝きと脆さを持っていた。


「和菓子は季節と歩調を合わせるために造形をします。寒い冬が来たら、真っ先に咲く花を指先で作る。それを目から食べて、そして最後に口で雪解けを感じるための世界です。俺がここにいることへの証明として……これは他の誰にも売るつもりのないものだ」


 静寂の中でそう言い切ると、彼はそのただ一つだけの貴重な練り切りを、じっと息を潜めて見ているルミナの目の前へとそっと差し出した。

 ランプの光を吸い込んで透き通るような茶褐色の瞳は、掌サイズの宝石にでも出会ったかのように驚嘆と畏敬で釘付けになっていた。


「それを、ルミナさんが食べてください。ずっと俺の隣で、すべてを見てきてくれたお礼としての最初の一つです」


 微かな躊躇。

 美しすぎるそれを壊してしまう罪悪感と、それをたった一人だけのためにもらったという喜びがないまぜになる。

 やがてルミナは口元へのせて指先で花に触れ、音を出さないようにほんの少しの欠片を口に入れた。


 熱い蒸気の充満する麦の食感ではない。

 その花は舌の上に乗った途端、自らの意志を持たないようにしてほろりと冷たい雪のように崩れ去った。

 次に訪れるのは、これまでの蜜とは次元が違う、純度を高め抜いた無音の中にのみ響くような静謐で清らかな透明感のある甘みだった。

 どら焼きが生きる気力を湧かせる炎なら、これは荒れた心を優しく平坦に撫で下ろす静かな細波だ。


 彼女の顔の動きが止まる。

 そして今度は自身の内に起きた衝撃を押し隠すのではなく、深く長い感謝を込めるように目を閉じながら、本当に静かに口の中で全てを飲み下したのだった。


「……世界を変えるような美味しい菓子を、本当にたくさん作ってきた。でも、これだけは違う。すごく温かくて、あなた自身の記憶の匂いがしたわ」


 声は微かに潤み、しかし確かな強さを持っている。

 タクミは手元にある空引きの器を少しだけ手でなぞりながら、彼女自身を見つめ返した。


「これを作るための時間を、ルミナさんがこの店を立ち上げてくれたからこそ取り戻せたんです」


「私たちは商売人になったけれど、あなたのその職人の手だけはこれからも絶対に守っていくわ」


 寒風吹く外の喧騒は完全に断絶され、新しい冷え込みの中の石造りの部屋の中。

 だが二人の間に積もりゆく関係性の炎は、どのような暴風を前にしても揺らぐことのない一つきりの不動のものへ昇華していた。

 ここから始まる新たな和菓子の文化への歩みを、二人の間を隔てるもののない言葉を使わぬ無言の盟約としての視線が強く縫い合わせていたのである。

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