5
2階層へと続く階段を降りきる瞬間、僕は無意識のうちに歩幅を落としながら周囲へ視線を巡らせた。
どのダンジョンも階層ごとに異なる環境になっているのは有名な話だが、このダンジョン「ブロスメイリ」では1階層も2階層も大した違いはない。出現するモンスターの種類が多少増えるくらいだ。
だが、ここから先のモンスターは知能がある。徒党を組んで連携を駆使し、探索者の命を刈り取ろうとしてくるのだ。決して油断は出来ない。
そんなことを考えていると、背後でリリアが小さく息を吐いた。
「……ふう。ようやく2階層ね」
「そうだね。あれから意外とモンスターの数が多くて時間かかっちゃったから」
言いながら剣の柄を握り直す。視界だけではなく、音と気配を拾うよう意識を広げると、静寂の中に不自然な間があることに気づいた。何もいない静けさではなく、何かが息を潜めている静けさだ。
その違和感を確信へ変えたのは、通路奥で転がった小石の音だった。
反射的に手を上げて制止を示すと、リリアは言葉を発するより早く足を止め、すでに魔力を練り始めている気配を背中越しに伝えてくる。
次の瞬間、暗闇が弾けた。
低い体躯、犬の頭部、粗末な槍。
コボルトが一体――そして間を置かず左右の通路からさらに三体が滑り出るように現れ、正面を塞ぐ形で半円を描いた。
囲む配置。
最初から連携前提の動きだった。
「来るわよ」
「わかってる」
だが僕は下がらなかった。
むしろ一歩、前へ出る。
コボルトたちは一瞬だけ動きを鈍らせた。囲む側にとって最も都合がいいのは、獲物が中央に留まることだ。だからこそ、その前提そのものを崩す。
最初に突き出された槍を剣で弾いた瞬間、僕は防御ではなく踏み込みを選び、相手との距離を強引に詰めて肩口へ体当たりに近い斬撃を叩き込んだ。
短い悲鳴。
隊列が崩れる。
本来なら左右から挟撃が成立する間合いだったはずだが、前線が押し込まれたことで角度が狂い、後続の個体同士が進路を塞ぎ合う形になった。
(連携は“距離”で成立する)
なら、その距離を与えなければいい。
左から回り込もうとした個体の足運びを視界の端で捉え、あえて背を見せるように半歩だけ位置をずらすと、狙い通りコボルトは好機と判断して踏み込んできたが、その瞬間にはすでに僕の軸足が回転していて、振り返りざまの横薙ぎが無防備な胴を断ち切った。
血が飛ぶ。
残り二体が同時に動こうとして――止まる。
判断が遅れたのではない。互いの動きを待っているのだ。
つまり、連携を再構築しようとしている。
「リリア、撃たなくていい」
「え?」
「まだ崩せる」
そう言いながら、僕はわざと後退した。
逃げた、と判断させるために。
案の定、コボルトたちは同時に前へ出たが、狭い通路では横並びになりきれず、わずかな前後差が生まれる。その瞬間こそが、群れが群れでなくなる一瞬だった。
先頭の槍を逸らしながら身体を内側へ滑り込ませ、死角へ入り込み、次の一撃を振るう前に相手の視線を完全に外す。
一体、崩れる。
残った一体が吠え、距離を取ろうとするが、すでに遅い。
追いすがるように踏み込み、刃を振り下ろすと、戦闘はあっけないほど静かに終わった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
戦闘が終わり、通路に静けさが戻ると、アレンはまるで日課でもこなすかのような自然さで剣に付着した血を払い、呼吸の乱れを整えるでもなく周囲への警戒を続けていた。
――普通じゃない。
そう思ったのは、リリア自身が魔物との戦闘経験をそれなりに積んできたからだった。
前衛というのは、本来もっと荒れるものだ。囲まれれば焦りが出るし、複数を相手取れば視線は散り、判断は遅れ、どこかで必ず“対応している”動きになる。だが、さっきのアレンにはそれが一切なかった。
対応ではない。
最初から、結果が決まっている動きだった。
コボルトたちは確かに連携していた。タイミングも悪くなかったし、数も十分で、普通の探索者なら一度は後手に回らされていたはずなのに、彼は囲まれる前に立ち位置をずらし、連携が成立する角度そのものを潰し、敵同士が互いの動線を阻害する状況を作り出していた。
しかも、それを考えてやっている様子がない。
まるで、そう動くのが当然であるかのように。
(……あれ、計算してない)
リリアは気づいた。
計算して動く戦士はいる。経験豊富な冒険者も知っている。だが彼らは必ず“読む時間”が生まれる。視線が止まり、判断の間が生じる。
けれどアレンにはそれがなかった。
見た瞬間に最適な位置へ移動し、次の危険が発生する前に潰している。
思考が速いのではない。
もっと別の何か。
(……これ、反射?)
違う、とすぐに否定する。
反射なら荒れる。動きに無駄が出る。
彼の剣は静かすぎた。
必要な分しか動かず、必要な場所にしか踏み込まない。その軌道は洗練というより、“削り落とされた結果だけが残っている”ような不自然さすらあった。
どれだけ戦えば、ああなるのか。
どれだけ死にかければ、あの距離感が身体に染み込むのか。
まだ10代の成人したばかりの少年がそのような熟練した探索者の技術を備えていることに驚き、そこまで考えて、リリアは小さく息を呑む。
ただ単純に強いとは違う、生き残り方を身体の前提として覚えているといったほうがしっくりくるか。
「……リリア?」
不意に声をかけられ、思考が途切れる。
顔を上げると、アレンはいつも通りの落ち着いた表情でこちらを見ていた。自分がどんな戦い方をしていたのかなど、まったく意識していない顔だった。
「どうかした?」
「……ううん、なんでもない」
赤髪の少女は思わず笑ってしまう。
少年が本当になんでもなさそうに聞くのだから。
「ちょっと思っただけ。あなたと組むと、退屈しなさそうだなって」
「それ、褒めてる?」
「ええ、かなりね」
そう答えながら、リリアは杖を握り直して思う。
――この前衛は想定よりずっと強く、自分の〈目的〉に役立ちそうだな、と。




