17話 迷宮異変② 調査隊結成
ギルドマスターの執務室を出て一階ホールへ戻ると、先ほどまでとは比べものにならないほど館内の空気が張り詰めていた。
探索者たちのざわめきそのものは消えていない。だが、それは普段のような依頼の値踏みや武勇談ではなく、負傷者の搬送、階層報告の確認、そして異常行動に関する断片的な情報交換へとすっかり質を変えている。職員たちは休む間もなく動き回り、受付前では既にいくつかの報告が並行して処理されていた。
やはり、自分たちだけの事例ではない。
その確信が改めて胸の内に刻まれたところで、不意に館内全体へ拡声魔道具を通した声が響き渡った。
『緊急通達! 緊急通達!』
ざわめきが一瞬で静まる。
ホールにいた探索者も職員も、反射的にその放送に意識を向けた。
『本日確認されたダンジョン内の複数異常行動を受け、ギルドは中層・下層における調査体制へ移行する! これより事態の安静化が認められるまで銅級探索者による潜行を全面禁止、銀級以上の探索者については通常依頼の受理を一時停止とする!』
空気が変わる。
銅級の潜行制限自体は、危険度が一定以上に跳ね上がった際には珍しくない措置だ。だが問題はその次だった。
『現在ギルド内に滞在している銀級および金級探索者の中から、状況に応じて調査任務への参加者を選抜する! また、ミスリル級探索者については本件への参加を要請ではなく義務とする!』
今度こそ、館内が大きくどよめいた。
銀級と金級からの選抜、そしてミスリル級の強制参加。
それは、ギルドが今回の件を単なる局地的な魔物の異常として扱っていないことを意味していた。
『調査対象は三点! 第一に、階層を跨いだモンスター移動の有無および発生規模の確認! 第二に、種族を超えたモンスター同士の共闘行動の確認と原因の解明! 第三に、統率者と思わしき人型モンスターの捜索、および可能であれば捕縛!』
そこまで告げられた時点で、ホールのざわめきは明確に質を変えていた。
不安や困惑もある。だが、それ以上に事態を理解した者たちの緊張が広がっていくのが分かる。
『本件に対応する潜行パーティは五組編成とし、各組は基本的に既存パーティ単位で行動とする! また各パーティには、ギルド所属職員のうち金級探索者相当の実力を持つ者を一名ずつ同行させる! 選抜対象者は速やかに第二会議室へ集合せよ!』
そこで何組かのパーティーと探索者の名前が呼ばれ、最後に自分たちの名も呼ばれた。
想定していたとはいえ、いざ正式に告げられると背筋が自然と伸びる。
隣でリリアが小さく息を呑み、ガレスさんは腕を組んだまま「まあ、そうなるよな」とでも言いたげに鼻を鳴らした。
「……本格的になってきた」
チュールさんがぼそりと呟く。
「ええ。しかも、かなり慎重です」
リンスさんが応じる。
「パーティ単位の運用を崩さず、それでいて各組にギルド職員を補強として付ける。統制と機動性の両方を確保するいい編成ですね」
確かにその通りだった。
無理に即席の大部隊を作るよりも、既に連携の取れているパーティを基礎にした方が、こういう異常事態では遥かに動きやすい。そして、そこにギルド側の戦力と判断力を持つ職員を配置することで、観測の精度と緊急時の対応力を底上げする。極めて現実的な判断だ。
「行くぞ」
ガレスさんが短く言い、僕たちは第二会議室へと向かった。
会議室の中には、既にいくつものパーティが集められていた。
人数は思っていたより少ない。だが、纏っている空気の密度が違う。銀級と金級、その中でも現時点で動ける者だけを選び抜いたのだろう。無駄に人を増やさず、それでいて必要な戦力だけを揃えているのが見て取れた。
部屋の前方にはバルクス・ディーンが立っていた。
片目だけで会議室全体を見渡すその姿に、先ほど執務室で感じた静かな圧がそのまま凝縮されている。
「揃ったな」
短い確認の後、彼は淡々と告げた。
「さっきの放送は聞こえていただろうが、今回の調査任務に参加するのは五組。それぞれ既存パーティを基準に編成し、ギルド所属職員を一名ずつ同行させる。階層を跨いだモンスターの移動、異種間共闘の確認、そして人型個体の捜索および捕縛。なお、捕縛が困難であり、放置による危険が高いと判断した場合に限り、現場判断で排除を許可する」
端的な指示だ。無駄がない。
その一語ごとに、部屋の空気がさらに引き締まっていく。
「各組は別ルートから中層へ進入し、七階層から八階層を中心に観測を行え。単独先行は禁止。深追いも禁止だ。今回の最優先はあくまで異常の実態把握であって、勇み足の討伐ではない。また、ダンジョン内にはまだ複数の探索者パーティが潜っている。そいつらにもギルドからの通達を話し、銅級には地上への帰還、銀級以上に関しては各自の判断で動ける奴は調査隊に同行させろ。負傷者については後程回収班を向かわせる。3階層のセーフティエリア、もしくは中層各地の小規模セーフティエリアにて保護しろ。」
そこまで言ってから、彼は手元の書類を一枚めくった。
「これより各組へ同行する職員を告げる。各自それぞれの役割のすり合わせをしておけ」
その言葉と同時に、会議室の壁際に控えていた数名が動き出す。
どれも只者ではない空気を纏った面々だった。歩くだけで空気が変わる。戦場を知る者特有の、張り詰めた気配がそこにはあった。
その中、唯一の女性がこちらへ歩み寄ってくる。
年齢は二十代後半ほどだろうか。肩口まで伸びた青銀色の髪を後ろで一つにまとめ、整った顔立ちには無駄な感情がほとんど浮かんでいない。切れ長の瞳は理知的で、相手を一目見ただけで値踏みするような鋭さを宿していた。
白と紺を基調とした軽装のローブに、要所だけを守る細身の礼装鎧。その胸元にはギルド直属職員を示す銀章が輝いている。
戦士というよりは文官にも見える装いだが、纏う気配だけでそれが見せかけではないと分かった。
「お前たちの班にはこいつを付ける」
バルクスさんが告げる。
「ギルド直属戦闘職員、エルミナ・フォルテ。治癒・補助術式を専門とする後衛支援官だ」
女性──エルミナさんは一歩前に出ると、静かに一礼した。
「エルミナ・フォルテです。本任務中、皆さんの生命維持と後方支援を担当します。短い付き合いになるかもしれませんが、よろしくお願いします」
その声は落ち着いていて、よく通った。
丁寧な言葉遣いではあるが、どこか事務的でもある。人当たりが悪いわけではないが、必要以上に距離を詰めるタイプではなさそうだ。
「へえ、回復役か。そりゃありがてえな」
ガレスさんが口角を上げる。
「俺たち、回復だけはずっと足りてなかったからな」
「編成を確認した上での配置です。当然でしょう」
淡々と返される。
そのあまりに自然な言い方に、少しだけ空気が止まった。
……この人、かなり真面目なタイプだ。
だが嫌味はない。ただ純粋に事実を述べているだけという感じだった。
リリアが小声で僕の耳元に寄る。
「……なんか堅そうな人来たわね」
「聞こえていますよ」
「うわっ」
即座に返され、リリアが肩を跳ねさせた。
どうやら耳もいいらしい。
「それでは各自、一時間後に出発だ。それまでに装備・物資の最終確認を済ませろ。今回に関しては必要な物資はギルドからも可能な範囲で支給する。報酬についても最低百万ゴルド。成果によってはそれ以上の上乗せも検討する」
バルクスさんの一声で、会議室が一斉に動き出した。
各パーティが散開し、それぞれ最後の確認へ入っていく。
僕たちも部屋の一角へ移動し、即席の作戦確認を始めた。
「まず確認しておきます」
エルミナさんが口を開く。
「私は後衛固定です。基本は治癒、補助、防御障壁展開を担当しますが、緊急時は前線への簡易支援にも回れます。ただし単独戦闘能力は専門外ですので、モンスターはこちらに接近させないようにお願いします」
「了解したぜ」
ガレスさんが即答する。
「逆にこっちの構成は見ての通りだ。前衛は俺とアレン、遊撃兼索敵がチュール、魔法火力がリリア、全体指揮とタンク役がリンスだ」
「把握しています」
事前に資料を見ていたのか、迷いなく頷いた。
「非常にバランスのいい編成だと思います。リリア・ガーネット氏は別パーティ、アレン・ノーツ氏は元々ソロの探索者だったと記憶していますが、最近ガレス氏のパーティに加入したのですか?」
その一言に思わず僕は驚いてしまう。無名の僕の情報すらもこの職員は把握しているのだろうか。だとしたら相当な記憶力だ。
そう感心していたらガレスさんが「パーティメンバーに変更があったなら速やかに変更申請をしてください。今回は後程こちらで処理をしておきますが、次は罰金規則を適用させますから」とエルミさんに怒られていた。
そういう細かいことについてはリンスさんがやっていると思っていたが、違うのだろうかと思って彼の方向を見ると、(やっべ…)といったような顔を浮かべていたので、気づかないふりをしておいた。
「では私から一つだけ」
エルミナさんの視線が僕へ向く。
「アレンさん」
「は、はい」
「今回の報告を見る限り、前衛突破役はあなたが担当ですね?」
「……そう、です」
「でしたら無茶だけはしないでください。治療には限界があります。ただでさえあなたは最近まで銅級だったのですから」
その言葉には妙な重みがあった。ただの忠告じゃない。何度もそういう無茶を見てきた人間の言葉だ。
「……分かりました」
僕が頷くと、エルミナさんは小さく息を吐いた。
その直後だった。
彼女の視線が、一瞬だけ鋭さを帯びる。
まるで何かを見定めるような、
値踏みするような目だった。
けれどそれも刹那のこと。
瞬きをする間には、もうそれまでの無表情に戻っていた。
「では、よろしくお願いします」
……なんだろう。
今、一瞬だけ妙な空気を感じた気がしたが、
気のせいだったのかもしれない。
そんなこともありつつ準備をしていると集合時間になり、ギルド内のダンジョン入り口前には選抜された五組のパーティが集結していた。
普段の探索とは比較にならない人数。
銀級、金級で構成された選抜部隊。
ミスリル級についてはさっきもこの場にもいないのだが…どうしたのだろうか。そう疑問を浮かべているとリリアが耳打ちをして教えてくれた。
「ミスリル級ってのは全員自由人なのよ。中には規律とかも重んじる人もいるらしいけど…。たぶん《蒼穹のレガリア》とか《銀嵐》あたりはずっとダンジョンに潜っているようなパーティだし、そもそも他のミスリル級は多忙だからこの都市に留まっているわけでもないしね」
そうは言うが、これほどの戦力が一斉にダンジョンへ向かう光景など、そう見られるものではない。
ギルド内にいた一般探索者たちも、その様子を固唾を飲んで見守っていた。
「全隊、出発!」
職員の号令が響く。
その瞬間、全員が一斉に歩き出した。
石畳を踏み鳴らす音が重なる。
鎧が鳴る。
武器が揺れる。
その音だけで心が躍ってしまうのは探索者の性なのだろうか。
僕たちは隊列を組み、そのまま巨大なダンジョン入口へと進む。
いつも見慣れたはずの入口が、今日はやけに大きく、重々しく見えた。
「……緊張していますか?」
隣でエルミナさんが静かに呟く。
その声に、僕は小さく頷いた。
「はい」
ただの探索じゃない。
ただの討伐でもない。
これは、“異常そのもの”へ踏み込むための任務だ。
胸の奥で高鳴る鼓動を押さえ込みながら、僕はダンジョンの暗闇を見据えた。
そして──
総勢五組による調査隊は、静かにその深淵へと足を踏み入れた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
調査隊の列へ加わりながら、エルミナは前方を歩く少年の背を静かに見つめていた。
アレン・ノーツ。
つい最近まで銅級だったと記録されている新人探索者。
だが、提出された戦闘報告と周囲の証言を照らし合わせれば、その肩書きと実力がまるで噛み合っていないことは明白だった。
中層にて金級探索者すら追い詰める規模の魔物群の中、先陣を切って突破口を形成。
異種混成の魔獣相手に最前線を維持し、なおかつ殿まで務めた。
それだけを見ると、最近まで銅級に留まっていた探索者の戦果とは到底思えない。
(……不可解ですね)
表情には出さぬまま、胸中で淡々と整理する。
(実力を意図的に隠していた? あるいは、急激に成長した? どちらにせよ通常ではあり得ません)
もちろん、探索者の中には突如として才能を開花させる者も存在する。
極限状況で殻を破る者もいれば、戦闘経験によって飛躍する者もいる。
ならば彼にもそれが起こったのだろうか。そう思いながら前を歩く黒髪の少年を見つめる。
(ソロ活動を長く続けていた点、到達階層報告の少なさ……考えようによっては、実力秘匿のためと見れなくもありません)
視線を細める。
(現状、敵対性は見られません。ですが──)
彼女の脳裏に浮かぶのは、先ほどの執務室での報告。
そして、今から向かう異常調査任務。
(この状況下で不確定要素である“未知の実力者”を抱えるのは不安が残りますね…)
エルミナは一つ息を吐き、視線を前へ戻した。
(しばらくは観察ですね)
もし彼が本当に何かを隠しているのなら。
この任務の中で、いずれ必ず露見する。
そう結論づけると、彼女は何事もなかったかのように歩調を整えた。




