第24話 さあ、勉強のお時間です
永久中立国家、エピステミア魔術連盟国から遥々やってきたドミニクス・エイリントンが正式にフランソワの魔法講師に採用されてから三日が経過した。
玄関先で印象的な顔合わせを終えた我らは、サンチェンスが待つ応接室へと場所を移した。彼との対話は淀みなくスムーズに進んだ。
愛娘のためサンチェンスが提示する具体的な業務内容に懐から支払われる対価と、ドミニクスが求めた三種の条件。
1つ、研究室の用意。
2つ、歴代ヴァニシア当主が残した魔道具に関する論文閲覧の許可。
最後に3つ目…我とフランソワに宿る魔力と異なるエネルギー、即ち仙気の解明、解析の協力。
三つの条件を飲むなら「第九階席」を代表して叡智を惜しみなく授けよう――。
妖艶な笑みを浮かべたドミニクスの提案を、サンチェンスは間髪入れず快く承諾した。お互いの腹の深奥に隠された真意は漠然としているが、二人はガッチリと握手を交わした。
かくして、フランソワの教育者が決まった。
魔法を極めた十二人の『魔導師』という称号はプロミネンス王国でも知れ渡っており、数多の逸話を残してきた。その象徴とも言えるドミニクスの来訪に城で働く使用人や兵たちは、肌を刺すような恐怖に身を竦ませて遠巻きに彼女を窺うばかりであった。
しかし底知れぬ深淵を覗かせる知性と、男の理性を容易く掻き乱す見目麗しき容姿。突如現れた一輪の華が、凍りついた周囲の心を溶かすのに、さほど時間は必要なかった。
畏怖はいつしか情熱へと姿を変え、廊下を横切るたび人々は薔薇が孕んだ美しさに抗う術もなく目を奪われていく。
「さて、私の弟子になったからには…言葉遣いを崩させてもらうよ。お嬢さん…そこの化け物も初日の楽しい楽しい魔法の授業を始めましょうか」
かつてヴァニシア家専属の錬金術師が使っていた別棟。その一角をドミニクスは自身の研究室兼アトリエへと改装し、そこを拠点として寝泊まりするようになった。当初、サンチェンスは本殿の一室を用意することを提案したが、彼女は意外にも申し出を固辞した。
理由は彼女が専攻する魔法研究の予測不能な危険性。
その代案として彼女に貸し出されたのが、裏庭の広大な森林の中心にひっそりと取り残されたように建つ古びた別棟だった。
フランソワの魔法講師を迎えた三日目の今日。本格的な魔法授業の幕が上がる。
わざわざエピステミアから運び込ませたという、深紅のベルベットが張られた一人掛けのソファー。そこに腰を下ろしたドミニクスは、山積みにされた羊皮紙を細い指先で弄びながら、対面する我とフランソワを見据えていた。
……いや、何かがおかしいぞ。
「何故、我も姫様と並んでソファーに腰掛けているのだ? 授業を受ける生徒は姫様お一人のはずだろう」
無意識に、素の一人称が零れ落ちる。それほどに現在の状況に戸惑っていた。
「あら、公平な等価交換でしょう?私が知らない霊妙な力の研究する。謝礼に私が魔法を教える。っね、簡単でしょ」
ドミニクスは脚を組み替え、スリットから覗く白い肌を隠そうともせずに、挑戦的な笑みを我に向けた。その瞳は純粋な教育者など微塵もなく、まるで黄金のリンゴを前にした大鷲。
「つべこべ言わずに座りなさい。魔法がまるっきり駄目なアキトにとっては、千載一遇の機会よ。貴方も頑張るのよ」
「姫様がそう仰るのであれば、従うほかございません」
隣に座るフランソワ様は、新調された羽ペンとノートを膝に置き、どこか誇らしげに胸を張っている。
己の脳裏に焼き付く記憶を紐解いてみる。これまでフランソワに技術を授け、師として導くことはあっても、共に何かを培うことなど一度もなかった。
常に教える側と教わる側。あるいは守り人と守られる者。だが今、魔法という題材に並んで学べるという事実に彼女は年相応の無邪気さで、密かに胸を躍らせている。隣から仙気を通じて伝わる微かな高揚感。
「本格的な手ほどきに移る前に――」
ふいに言葉を止めたドミニクスが、虚空から引き出すようにして小さな革袋を取り出し、結び紐を解く。テーブルの上に転がり出たのは、精緻な多面体にカットされた…煙結晶?
「まずはお嬢さんの、得意属性の鑑定を行うわ」
そう告げたのであった。




