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第七話 それぞれの覚悟

挿絵(By みてみん)

反乱軍拠点に突然男の声が響き渡る。

「おい、謝肉祭で使う資材をとりにいくぞ!!」

その言葉を聞いた往来の人々の表情に、緊張が走る――


不知火となった彼らには、それまでと同じ振る舞いは許されない。


名を捨て、戸籍を捨て、彼らは幽霊となったのだから。


すでに投稿済み分をまとめた【ガッツリ胸やけ版】第七話です。

1万7000文字ほどあるので、PCブラウザで読んだほうが良いかもしれません。

挿絵(By みてみん)


爆乳酪農家狙撃兵ホルスタイン零-zero- 第七話 それぞれの覚悟




挿絵(By みてみん)





二ヶ月後――



村には多くの人間が行き交い、子供たちがボロボロのサッカーボールを追い、歓声を上げながらその間を縫って走り抜ける。



子供たちを避けようとした男がバランスを崩して荷物を落とす。



「こらぁー!!」



と怒声を張り上げるが、「ごめんなさーい」と子供たちは悪びれる様子もなく笑い声を上げて走り去ってゆく。



慌てた様子で一人の村人が走ってくる。



「おーい!! 謝肉祭で使う資材を取りに行く!! 手の空いてる奴は手伝ってくれ!!」



大きな声が往来に響き渡る。



その言葉と同時に、行き交う人々の表情に緊張が走った。



往来にいた何人かの男たちは手近な民家に飛び込む。民家の入り口にいた女性が近くの男に手招きをし、男は開け放たれたドアに飛び込み消える。



三日月亭の中でもその声を聞いた途端、食事をしていた客の何人かが慌ててカウンターの奥へ向かう。カウンターの戸棚やワインセラーの裏には、巧妙に偽装された隠しドアがあり、内部は数人が身を潜められるシェルターになっている。



席に着いたばかりだったガブリエルとミゲルもシェルターに入ろうとするが、今日は不知火隊員が多く、店内のシェルターはすべて満員だった。



ガンドロワがガブリエルの襟首をひっつかみ、強引に生ごみ用のゴミ箱へ放り込み、乱暴にフタを閉じる。



ほどなくして、ガンドロワお気に入りのドアの鈴が鳴り、二人の兵士が入店してくる。



政府軍の正規兵だ。自動小銃を携え、店内をぐるりと見回す。



「監査だ、オヤジ。いつもの質問だが、このあたりで何か異常はなかったか? 不審な人物は見てないな?」



ガンドロワは顔をしかめつつ答える。



「不審者だと? ああ、見たぜ。たった今ドアを開けて入ってきた、いけ好かない男が二人ほど俺の目の前に立ってるよ。」



二人の男は何とも言えない表情でその言葉を受け止める。



「ご挨拶だな…まぁそう邪険にせんでくれ。俺達だって好きでやってるわけじゃ…」



「オイ…!!」



もう一人の男が言葉を遮る。



「…喉が渇いたな。ちょうどいい、一休みしていくか。そこのウェイトレス、エールを頼む。」



近くの壁際に立っていたフレアスカートの若い娘に声をかける。しかしその兵士たちの前に、ガンドロワがすかさずジョッキをドンッと乱暴に置く。



「ほれ。悪いな、あの娘は最近入ったばかりでまだ仕事に慣れてねぇんだ。強面の正規兵様の相手をさせるのは酷ってもんだ。それよりエールなんかより、うちの看板酒を試してみねぇか? そっちなら奢るぜ。」



「やれやれ、イタズラはよしてくれ。エル・ウラカンの噂は知ってるよ…にしても親父の給仕とは色気のねぇサービスだ。そういえばこの村は最近少し村人の数が増えているようだが…」



ジョッキを口に運びながら、もう一人の男が聞く。



「ふん…あんたら政府軍が難癖付けて焼き払った付近の村からの難民が流れ込んできてるのさ。つい先月も、食料や物資の供出を断った村を政府に非協力的だって理由で焼き払ったそうじゃねぇか。えぇ?」



仕込みをしながら目線も合わせずに、ガンドロワが非難の言葉を向ける。



「ああ…どこの村も貧しい。余裕なんてそうそうあるもんじゃない。村人だって政府に協力してりゃ安泰は保証されるんだ、出せるもんなら出したかっただろうよ。分かってる…」



その言葉に怒るでもなく、二人の男は目を伏せ気味に答える。



ガンドロワが二人の顔をじっと見る。



「ふん、あんたらにも事情がありそうだな、これ以上は責めねぇよ。政府にもできる限りの協力はするさ。焼き払われたくねぇからな…だけど見ての通り、あんたらはここじゃ少なくとも歓迎はされてねぇ、それ飲んだら出てってくんな。」



そっけなく言い放つ。



「ああ、歓迎されてないのは分かってるさ…分かってる。」



ジョッキを飲み干した二人の兵士は店内を改めて見回す。



隅のテーブルでマントを羽織った若い女が、ほっぺを膨らませて黙々と食事を続けている以外は、平和なものだ、不審者は見当たらない。



まぁ、その若い女のハムスターのようにほっぺを膨らませた我関せずな食事姿も、不審といえば不審ではあるのだが。



「ごちそうさん。なんか不審なことがあればすぐに通報しろ…お代はここ置いとくぜ。」



カウンターの上に代金を置く。エール二杯分にしては随分と多い。



「あ、オイ!! 釣りがあるぞ!!」



立ち去ろうとする男二人の背中に、ガンドロワが慌てて声をかける。



「釣りはいらんよ。表のガキどもにクリームソーダでも奢ってやってくれ。」



背中を向けたまま右手をヒラヒラと振りつつ、二人は退出していく。



謝肉祭――




この村にそんな風習はない。



ホセが決めた、政府軍の抜き打ち監査を知らせる符丁だ。



ここには「幽霊」が多い。



名前を捨て、死亡扱いにして政府の監視を逃れ、不知火として転生した者たちだ。



監査兵の中にかつての同僚が混じっていれば、未解放の人質の命が危うくなる。



だから彼らは、すべての家族を取り戻すその日まで、姿を隠し続けなければならない。



民家には隠し扉や地下室が増築され、符丁を聞くと手近なシェルターに飛び込む。符丁自体も、不自然さを避けるため定期的に更新されている。



「おい、もういいぞ。」



ガンドロワの声で、生ごみ箱からガブリエルが顔を出す。



「うっぷ…ひでぇ臭いだ、ひどいぜ親父さん。」



「文句を言うな。他に手頃な場所がなかったんだ。」



「それはそうだけどよ…あっ、ミゲルは!?」



ガンドロワが顎をしゃくった先で、フレアスカートの女性がそっと裾を持ち上げる。



中から、顔を真っ赤にしたミゲルが出てきた。



「すいません、こんなところに…中にいる間は目を閉じてました。神様に誓って本当です。」



女性も頬を赤らめて頭を下げる。



「いえ、ここに入ってとお願いしたのは私の方ですから。他に方法がなくて…」


二人が恐縮し合う様子を、隅のテーブルで食事を続けていた零が呆れたように見ていた。



(食事中に来るなよな…喉に詰まるところだったじゃん)



体形さえ隠せば、今のところ「バカでかい砲を担いだ爆乳の女」以上の情報は政府側に渡っていない。顔を隠すそぶりはかえって怪しまれる。



だから零は、あえて普通に顔をさらし食事を続けていた。



表通りでも次々と、民家のシェルターに隠れていた不知火隊員たちが姿を現し、再びそれぞれの仕事へと戻っていく。



テーブルに着き直すガブリエルとミゲル。



「やれやれ。さて、何喰うミゲル?」


「どうでもいいけど臭いよガブ...」


「しょうがねぇだろ、文句はガンドロワに言えよ。」



「とりあえずスペシャルレーション定食はパスだな。あれ食ってると生きる気力がゴリゴリ削られていくような気がするんだよね…」



「ハムとライマ豆(Cレーション)の奴とか、豆の甘ったるさとハムが喧嘩するどころか、全力で殺し合いしてるような味だったな。」



「イギリス軍のビスケットAB(通称ドッグビスケット)のほうがヒドいよ、水かスープに浸してふやかさないと、歯が欠けちゃう。」



「とりあえずはエル・ウラカンをちびちびやりながら考えようぜ…それはそうとして、お前、さっきはうまいことやりやがったな?」



ニヤニヤしながらミゲルをからかうガブリエル。



「だから、違うって。彼女は親切に俺をかくまってくれたんだぞ。失礼なこと言うなよ。」



「いやいや、それはそうだが、世の中にはラッキースケベという極東の島国にも伝わる言葉があってだな…」



意地悪そうな表情で続けるガブリエルを見ながら、ミゲルが内心で呟く。



(やれやれ…今日の食事はガブにいじられながらになりそうだ…)






――ゴンッッ!!



突如としてガブリエルの脳天に鈍い痛みが走る。



「ぅごっ!? …痛ってぇぇぇ!!」



思わず頭を抱えてテーブルに突っ伏す。



慌てて背後を振り向くと、恰幅の良い中年女性の後姿がノッシノシと厨房の方へ帰っていくのが見えた。



「な…なんだよありゃぁ!? いきなりなんてことしやがるあのオバハン! 俺に何の恨みがあるってんだ!?」



「ハハッ、くだらないことばかり言ってるから神様からの天罰じゃないの?」



愉快そうにエル・ウラカンをチビチビと口に運ぶミゲル。



「ちっくしょう…あとでガンドロワに文句言ってやる…あれ?」



ふと気づくと、二人のテーブルに二つの皿が用意されている。どちらも皿からあふれんばかりの超大盛の煮込み料理だ。



「あれ…? ガブ、もうなんか注文した?」



「いや…まだウラカンしか頼んでないけど。誤注文じゃないのか?」



「あ…でもこれ、ポチェロじゃないか? ほら、俺らの田舎の定番料理の!」



嬉しそうにミゲルが目を輝かせる。



「あー…本当だな。これポチェロじゃん。ちょうどいいや、今夜の晩飯はこれにしようや。」



「そうだね。懐かしいなぁ…」



二人揃ってスプーンを口に運んだ。



そして、同時に手が止まった。






(この味は…)





思わず二人は同時に厨房を見る。



中年の女性が、黙々と食材を刻んでいる。



二人の視線に気づくと、横目でニヤリと笑った。



「マヤおばさん…!!」



ガブリエルが思わず声を上げる。



子供の頃、悪さをすれば必ずゲンコツを食らわせ、その後で決まってこのポチェロをご馳走してくれた、近所の世話焼きおばさんだ。



「そうか…先週の収容所に、マヤおばさんも…」



ミゲルと目を合わせる。長い付き合いだ。言葉はいらない。



嬉しそうに、でもどこか悔しそうに、二人は再びスプーンを動かした。



故郷の味が、胃の奥まで染みていく。



「あれ…? おいミゲル、お前の皿の下に、何か挟まってるぞ。レシートか?」



ガブリエルの指摘に、ミゲルが皿を持ち上げて紙切れを取り出す。



しばらくその紙面を見ていたミゲルが、黙ってガブリエルにだけ見えるように掌で隠しつつ見せる。



『ミゲルのご両親は少し前に別の収容所に移送された。方角からしてたぶん第三か第六収容所』



小さな紙片に走り書きで、短くそう記されていた。



「そうか…マヤおばさん、最近まで親父やお袋と…くそっ、解放作戦があと少し早ければ、マヤおばさんと一緒に解放できたのに…!!」



悔しそうにスプーンを握り締めて呟く。



「いや、逆に考えてみろよミゲル。移送されたってことは、少なくとも親父さんもお袋さんも健康だってことだ。」



「え…?」



「移送されたってことは健康体だからさ。今にも死にかかっているような状況では、移送中に亡くなる可能性がある。そうまでして貴重な人質を無理に移送なんてしないだろ? 親父さんとお袋さんは、つい最近まで確実に元気だった証明じゃねぇか。」



いつもそうだ。いつもガブはこうして、落ち込んだ時に希望を与えてくれる。



「ああ、お前の言う通りだ…焦っては事を仕損じる。チャンスは必ずやってくる…そう言いたいんだろ?」



「分かってるじゃねぇか。さぁ、少なくとも居場所の見当はついたんだ。今はこれ食って英気を養っとこうぜ!!」



二人は目の前にそびえ立つ大盛りポチェロの山に挑みかかるのだった。






三日月亭を後にした政府軍監査兵が、停めてあるジープに向かおうとしている。男の足に何かがぶつかる。



ボロボロのサッカーボールだ。拾い上げてふと見ると、小さな男の子がこちらを見ている。



「ほれっ!!」



と笑いながらボールを投げ返してやる。



「ありがとうおじさん!!」



「気を付けて遊べよボウズ。ああ、あっちの林の向こうには絶対近づくなよ。あの辺はまだ地雷が残ってる。あぶねーから近づくんじゃねーぞ。分かったな?」



「うん、パパにもそう言われてるから大丈夫!! おじさんはセーフグンの人?」



屈託のない笑顔で答える少年。



「ああ。ボウズの親父さんも軍人なのか? 親父さんとは会えてるのか?」



「ううん、しばらく会ってない。でも年末のクリスマス休暇にはおもちゃ買ってそれをお土産に帰ってくるって!!」



顔をほころばせる二人の男。



「ハハッ、そうか。そりゃ楽しみだな。はやくクリスマスになるといいな。」



「うん!! じゃーねおじさん!!」



仲間の下へと走り去っていく少年を見送りながら、二人はジープに乗り込む。



運転席の男が、ハンドルに手をかけたまま呟く。



「運が良かったんだろうな、あの家族。人質に取られてないってことは、あいつらの親父は辺境警備か何かに配属されたのか。あそこなら閑職だ、政府もわざわざ家族を人質に取る必要はないからな。」



タバコに火をつけながら助手席の男が答える。



「手当たり次第、政治犯やら反乱分子やらぶち込みまくって、どこの収容所も収容率は140%を超えるすし詰め状態だ。」



「おかげで衛生状態はどこも劣悪ときてる…俺だって家族が収容されてなきゃ、誰が好き好んでこんな憎まれ役の仕事なんぞ…」



「おい、滅多なことを言うなよ、基地内にだって憲兵どもが目を光らせてるんだ。壁に耳あり...だ。」



「分かってるよ…とりあえず従うしかねぇ。そうしてる間は家族も安泰…といっても、あのクソ上官どもの口約束がどこまで信じられるかは、分かったもんじゃねぇけどな…」



男は腹立たしげにシフトレバーを叩き込み、所属する基地への帰途につく。



この国の根幹は腐り果てている。



政治腐敗、官僚の賄賂や汚職の横行。それらを自浄する能力はなく、それどころかカルテルというシロアリを自ら招き入れ、内側から食い荒らされているのだ。



見た目は大木だが、その内情はすでにボロボロであることを、二人の男たちの会話が証明していた。



家族を人質に取って忠誠を強制するような、そんなやり方がいつまでも続くものではない。



古き大樹はすでに不気味なきしみ音を立て、傾き始めているのだ…。







「やはり、距離の近さが問題だね...」



ホセ司令が卓上の戦術マップの前で腕組みをしてうなる。



「あぁ、どちらかにちょっかいを出せば、必ずもう片方から短時間で援軍が駆け付けられる距離だ。」



ラグランジュ大佐も同じく腕組みをして眉間にしわを寄せる。



拠点戦略作戦指令室に、主だった反乱軍の将兵が集まっていた。



問題になっているのは第三、第六収容所だった。



この二つは位置的に距離が近い、もともと第三収容所は古くからある大規模収容所だが、常に収容率は150%前後となっており、そのための受け皿として第六収容所がつくられた経緯がある。



そのため第六収容所は、工期短縮とコストを抑えるため、かつての民間の鉱山跡の施設を政府軍が接収し、改装して収容所としたものだ。



もともと移送先として作られたため二つの収容所は距離が近く、深い谷に隔てられてはいるものの、有事にはお互いに援軍を出し合ってカバーできる距離になっているのだ。



「ですが、ここが我々にとっては最後の大規模な収容所です、ここさえ解放できれば不知火隊員たちの家族も、ほぼ全員救い出せますね司令。」



クレアがテーブルの上にコーヒーと紅茶のカップを置く。



「すでに潜伏済みの生霊達のおかげで、どちらの収容所も情報は集まりつつあるけれど...」



司令の言葉をラグランジュ大佐が続ける。



「第三は兵力こそ多いが、軍規は乱れ切っていて練度も士気も低い。第六は兵力は比較的少ないが練度士気ともに第三よりは上、何より...」



「カルテルのスケルトンも配備されていて、地形的にも守るに易く攻めるに難しなのが第六、どちらも一筋縄ではいかないな。」



「しかも第三は背後に川がある、天然の障害になっているから、攻めるにしてもルートは限られる...」



「うん。片方の攻略に時間をかけすぎると援軍もだけど...もう片方の人質が危険にさらされる問題もあるね...」



「強いて言うなら、先に仕掛けるべきなのは第三の方からだが...」



ホセ司令は手元で懐中時計を弄びながら、視線はマップを睨み続ける。



パチンッ!



「やはり...どうにかして二か所を同時に落とすしかないね。」



司令室が静まり返る。



誰も一言も発しない、全員分かっているのだ。



随分戦力は増強されたとはいえ、反乱軍に二か所同時作戦を行えるだけの戦力は無いことを。



「突入は俺に任せてくれ、ミブロも完成しているしな。」



ガブリエルとミゲルが頷く。



「あたしもヨルムンガンドでサポートする、火力支援はまかせてよ。」



零を見て頼もしげに頷くラグランジュ大佐だが、やはり眉間のしわは消えていない。



「だが、それでもやはり戦力不足はいかんともしがたいな...」



「うん、正面からの戦いでは、無理だね。」



マップを見つめるホセ司令の眼が細くなる。



「だからボクはこの作戦。」



「使える物は何でも利用するつもりだ。」



最後にポツリと呟いた。








執務室の空気は、表面上は穏やかだった。


クルーガーは高級なブランデーを手元に置き、上機嫌にグラスを傾ける。


ゾルゲもいつものように丁寧に微笑み、グラスを受け取ってはいたが、中身にはほとんど口をつけない。


「そういえばゾルゲ君、またスケルトンが失態を犯したと聞きましたよ」


「はて、どのような?」


「いくつかの現場で、思わぬ損害が出たとか。これでは私としても、国軍への本格導入の口利きがしづらい状態でしてね……」


クルーガーは遗憾そうに肩をすくめてみせる。


だが、その眼は笑っていた。


「導入そのものに反対するつもりはありませんよ。ただ……こちらにも立場というものがありますからな」


ゾルゲは穏やかに首を傾げる。


「約束をたがえるおつもりですかな?」


「いいえ、そういう意味ではありません。賄賂で言いなりになる者は、いくらでもおりますからな」


クルーガーは意味ありげにグラスを傾ける。


「ただ、評判を落としつつあるものを強行して通すためには……色々と必要経費がかかる、ということです」


ゾルゲは静かにその言葉を受け止める。


「もっとよこせ」とは、あえて口に出さない。


クルーガーも、何も言わない。


言えば言った分だけの甘い汁しか得られないことを、彼はよく知っていた。


「あなたが勝手に渡してきただけでしょう? 私はこれだけ欲しいなどとは、一言も言っていませんよ。それに、この程度のはした金ではねぇ...」


――そう言い張れる余地を、常に残しておく。


自分からは要求した覚えはない、と。


ゾルゲは笑顔を崩さず、静かに頷いた。


「なるほど。ご事情はよく分かりました。ただ、これ以上となりますと、さすがに私の権限の範疇を超えておりますのでな。わがマスターのご決済をいただく必要がございます」


ゾルゲの瞳の奥に底光りする粘ついた光が浮かぶが、クルーガーは気づかない。


「マスターの……?」


「ええ。私個人に任されている裁量権でお約束できる範囲を、すでに超えておりますのでな。できる限り早くお返事を差し上げますので、今しばらくお待ちいただければ」


ゾルゲは丁寧に頭を下げ、笑顔のまま席を立つ。


ドアの前で一度振り返り、もう一度、穏やかに微笑んだ。


「それでは、ご機嫌よう長官。お酒はほどほどに、健康に良くありませんぞ。」



扉が静かに閉まる。






その夜。


薄暗い部屋の奥で、ボスが深い赤色のワインをゆっくりと口に含んでいた。


重いグラスを指先で軽く回し、脚に沿って垂れる液の粘りを確かめるように見つめる。


燭台の灯りが、深紅の液体を血のように輝かせていた。


ゾルゲは膝をついたまま、頭を下げている。


「やはりあの男、操り人形としてもコストパフォーマンスがよろしくありませんな」


ボスはグラスを置き、静かに口を開く。


「コスパの悪い不良品は必要ない」


「では、やつも?」


「ああ」


ボスの手元から、黒いアタッシュケースが静かに押し出される。


「これを使え。遅効性神経毒をガス化したものだ。ケースには仕掛けがしてあるから、手荷物検査のX線にも検知されることはない」


ゾルゲはケースに手を伸ばす。


「ただし、その検査をすり抜ける細工を仕込んだせいで、リモコンの電波も半径十メートルまでしか届かん。やつのすぐ近くでスイッチを入れろ」


「承知いたしました」


ボスのそばに控えていた黒服が、小さな瓶をゾルゲに手渡す。


「それと、これを仕事の一時間前までに飲んでおけ」


「これは……?」


「その毒専用の解毒剤だ。それを飲んでおけばお前にはガスの影響はない。ただし効果は二時間だけだ。必ず一時間前に飲んでから仕事にかかれ」


ゾルゲは瓶を受け取り、丁寧に頭を下げる。


「なるほど……それならターゲットのすぐ近くに私がいても、後々疑われることもない。」


「今後の仕事でも頼りになりそうですな」


「ああ。だが失敗は許されんぞ。ターゲットが倒れたら、念のため……」


「ハイ、分かっております。念には念を……最後の止めは私自身の手で確実に、ですな」


ゾルゲの右手が、上着の内ポケットに仕込んだ拳銃のふくらみに触れる。


彼は静かに立ち上がり、一礼して部屋を出た。


扉が完全に閉じたあと、黒服がボスに近づき、低く囁く。


「よろしいのですか? ゾルゲに渡したあれは、ただのビタミン剤。半径十メートル以内でスイッチを入れれば、ゾルゲ自身もただでは……」


「かまわん。あれはいろいろと知り過ぎている。そろそろ引退してもらわねばならん。腕のいい暗殺者は他にもいるのでな」


ボスは再びグラスを手に取り、残りのワインをゆっくりと傾ける。


深紅の液体が、喉を通る感触を楽しむように、長い時間をかけて消えていく。


「ああ、だが奴が仕事をする時には現場にスナイパーを伏せておけ。ゾルゲはああ見えてしぶとい男だ。ガスで倒れたところを……」


「……念には念を入れて、ですね? 狙撃手を手配しておきます」


黒服は静かに頭を下げ、部屋の闇に消えていった。


ボスは空になったグラスを指先で軽く叩き、低く笑った。







ホセ司令は黙ってマップに視線を落としている。



「一番厄介な航空戦力は...対戦車攻撃ヘリ4機...」



生霊からの報告では、第六には少数だがスケルトンも配備されている。




カチッ



カチッ



指令の手元で、懐中時計の蓋がリズミカルな音を立てる。



傍らのラグランジュ大佐も腕組みしたまま答える。



「うむ、第六のスケルトンにはミブロで対処するとして、援軍をどうさばくかだ...」



「どちらに先に攻撃を仕掛けるにしても、手間取り過ぎるとやってきた援軍と残った収容所内部の戦力とで、挟み撃ちにされかねん。」



「やはり、零君への負担が大きいけれど、これしかないか...」



その視線が、司令部の窓を通して夜の闇に向けられる。



「最も大きな問題は、後始末をどうする、か...」



懐中時計を握ったまま、彼の思考は意識の深淵へと沈んでいく。



「それに、第三は国境に近い。国境防衛部隊の予備兵力駐屯地としての役割も持っている」


ホセの声が、静かに続く。


「ここの戦力を削り過ぎると、戦力の空白を知った隣国軍が国境からなだれ込んできかねない。」



「ボクたちの目的は、あくまでこの国の腐敗の一掃だ。」



「この国を、隣国に蹂躙させることじゃない。」


ラグランジュが無言で頷く。


「だから、作戦の終盤には必ず『後始末』が必要になる。」



「決して負けることなく、でもほどほどには勝たねばならない、という制約がある。」


「やれやれ、いつものことだけど、今回はまた飛びっきり難しい戦いを強いられそうだね。」



「あぁ、勝つことだけ考えていればいいだけの戦いより、遥かに難しい...もちろん負けるのは論外だが、勝ち過ぎてもいけない...」



「まったくだ、先の玉藻の前作戦がかわいく思えてきたよ...」



ホセはマップの第三・第六の位置を見つめたまま、続けた。


「ただ、こちらにも仕込みはある。両収容所とも、最近の新規収監者が多い。」



「あらかじめ、そうした収監されそうだった人々の一部には、すでに話を通してある。」


「……生霊として、か」


「うん、彼らは人質だ、簡単には処分されない。同じ房の者同士なら、収監者同士での打ち合わせも比較的容易だ。」




ミゲルの時は生霊の発生は、半ば偶然とミゲルの機転によるものだった。


今度はそれを意図的に再現するのだ。


司令室に、短い沈黙が落ちる。


「情報は...パズルのピース自体は揃いつつあるよ、まぁ増えれば増えるほどボクの組み立て難易度も上がっちゃうんだけどね。」


「まったく、零君のせいで胃痛に悩む君の気持がちょっとだけ分かったよ、ラグ。」


右手で胃の辺りを抑えるジェスチャーをしながら、ラグランジュ大佐に少しからかうような目を向ける。



「...だが、それでもお前なら何とかしてくれると俺は信じている。なぁに心配するな、胃腸薬なら俺のお勧めのやつをいくらでも分けてやるぞホセ。」




いつもの意匠返しとばかりに、ラグランジュ大佐はニヤリと笑う。




「...子供向けの甘いシロップ味の糖衣のやつを頼むよ、ボク苦いの苦手なんだ...」




「じゃあしばらくは司令愛用のコーヒーもお預けにしましょう、胃が荒れますから。」



デスクに控えたクレアが、端末を叩きながら能面のような表情で告げる。



「...ボク一応司令官...一番偉い人のはずなんだけどなぁ...」





司令部の夜は更けていく。







倉庫内ではまだ昨夜の喧騒がそのまま続いている。



整備兵達はせわしなく動き、ガブリエルは設備を利用して懸垂の筋トレ。



ミゲルはモニタと手元の見取り図を交互に見ながらブツブツと呟いている。



零はぼろ布を巻いた清掃棒をヨルムンガンドの砲身から抜き取り、砲口を覗き込む。



ライフリングの摩耗が、やはり気になる。



最近は特に派手に撃っている、撃たざるを得ない状況が増えているのだ。


ヨルムンガンドを手に入れた後、零も八方手を尽くして製造元や弾薬、メンテナンス用パーツの入手経路を探してみた。



分かったことは、この砲は伝説の天才ガンスミスと呼ばれたサミュエル・マッコイという男が作り出した、試作品に近いものらしい、という事だ。



一部の消耗品は既存の銃や砲の部品で代替できたが、主要部品と弾薬はほぼ全てワンオフの一点物。補充は絶望的だった。



「百発単位の弾薬のために専用のラインなど立ちあげられませんし、一発辺り高級スポーツカー並みの価格にさせて頂かないと、採算がとれません。」



メーカーの技術者からこの返答を聞かされた時点で、零としては弾薬の調達は諦めざるを得なかったのだ。



現在ヨルムンガンドに組み込まれている消耗品パーツの一部は、すでに反乱軍整備班の協力で作られたものに置き換えられている。


零とともに戦場を駆けるヨルムンガンドは、反乱軍最強の火力だ。


その稼働率を維持するため、ホセ司令とラグランジュ大佐は整備長を拝み倒した。


オリジナルの中からコピー可能なものだけでも、と複製してもらったパーツ類である。



とはいえ、全てのパーツが十分に揃っているわけではなく、巨大蛇の稼働率は常に危うい境界線上に置かれているのだ。



弾薬はまだ十分にある、だがこちらは代替が利かない、いずれは底をつく。



メンテナンス用具を、ホルスタイン柄の牛のイラストが描かれた愛用の工具箱にしまう。



おなじ柄に塗装されたヨルムンガンドの機関部に手を触れる。



「屋内はミブロ、外からあたしとヨルムンガンドで火力支援、そして遊撃...」



指先の冷たい感触を感じながら零は呟く。



「勝ち過ぎず、負け過ぎず...か。」



「司令は、負けない事はもちろん、勝ち過ぎないことにも腐心されておられます。」



傍らで資材の在庫をチェックしていたクレアが口を開く。



「うん、分かってる。どちらもほどほどに、でしょ。」



ほどほどに勝つ、というのは言葉にするほど簡単ではない。


撃ちすぎれば、隣国が雪崩れ込んでくる。


撃たなすぎれば、作戦は失敗し、人質が死ぬ。


その限られた条件の中を、自分の足で駆け抜けるしかない。



傍のテーブルに置いてあったカフェオレのカップに手を伸ばす。


せっかくクレアが淹れてくれたものだが、相棒のメンテナンスに没頭しているうちに、冷めてしまっている。



「作戦だと、零さんへの負担がかなり大きい...お体の方は大丈夫ですか?」



「うん、身体の方はいつも通り調子は悪くない、やってみせるよ...必ず。」



ヨルムンガンドを肩に担ぎ、壁際に立てかける。



ズシリとした重さが頼もしい。



この重さこそが自分と仲間たちを守ってくれる、命の保証なのだ。



壁際に立てかけた鉄塊は、いつものように何も言わず、ただ照明の光だけを鈍く反射している。



窓の外はもう暗い。


拠点の灯は意図的に落とし気味にしてある。


遠くで犬が鳴き、その先は国境のほうへ続いていた。


第三は川を背負っている。


第六は鉱山跡で、守りやすい。


地図の上ではただの記号でも、実際に歩くと距離も高低も、確実に体力を奪ってくるはずだ。


「……走るわね、かなり」


誰に言うでもなく、零は呟く。


クレアが端末を閉じる音がした。


体力には自信がある、いざとなれば「おまじない」だってある。


しかし巴おばあちゃんに言われた言葉が脳裏に浮かぶ。


「あまり『おまじない』に無茶な頼り方をし過ぎるな、しすぎれば身体を損なうでの。」


零自身も、何度かの実体験からそれは知っている。


政府軍の奇襲を受けて作戦行動中の反乱軍の別動隊が危機に陥った時。



通常なら手分けした狙撃手が、三か所に分かれて担うべきミッションを一人で同じ効率でこなした時。



負傷し、ロクな手当てもしないままの身体で政府軍の二個小隊を壊滅させたとき。



いずれも「おまじない」の力で乗り切ったが、翌日にはすさまじい全身筋肉痛で二日間ベッドから動けなかった。



軍医の診断では、体中の筋繊維があちこち断裂したりして酷いダメージを受けている、『命には別条はないが、どうしたらこんなダメージを受けるのか...』と首をひねっていた。



軍医からそれを聞いた時のホセ司令と、ラグランジュ大佐の表情が思い出された。



「でも、今回はそうも言ってられないかも...」



誰にも聞こえないようにそう呟く。



ちらりと隣のクレアに視線を送るが、聞こえていないようだ。



聞かせるわけにはいかない。



これを聞けば、またホセ司令の懐中時計の開閉の音が早くなるから。



これを聞けば、またラグランジュ大佐の眉間のしわが深くなるから。



零はカーテンの端をつまみ、少しだけ窓を開けて外の景色を見る。



風は弱い。



湿度は少し高め。



狙撃には悪くない条件...



そこまで考えて、こんな時まで本能的に狙撃条件を確認する自分に苦笑する。



倉庫内に視線を戻し、忙しく動き続ける仲間たちを見る。



このうち何人かは銃弾に倒れるのかもしれない。



守ってみせる...



今度の作戦ではかなりの近距離での狙撃ポイントがある、本来なら狙撃手としては避けたい距離での狙撃だ。



できればもっと距離を取りたいが、作戦の都合上、そして地形の制約上、やるしかない。



やらねば、突入部隊と楯を安全に運べない。



「アンタがいなきゃ、ここまで来れなかった」


壁に立てかけたヨルムンガンドに、零は小さく告げる。


ネジの規格すらバラバラな、頭のおかしい設計の相棒。


それでも、弾は真っ直ぐ飛ぶ。


必要なときに、必要な障害物を必要なだけブチ抜いてくれる。


動く何十トンもの鋼鉄の塊だって、必要なだけの大穴を開けて粉砕してくれる。



立てかけたヨルムンガンドの冷たい手触りを確かめる。



あたしは死神だ――



死神が、ここにいる仲間は誰も死なせないと、そう決めたんだ。



決めるのは政府軍じゃない。



ここにいる仲間は、誰一人として死なせない。



死神がそう決めたんだ。



その命を脅かすものは、この鎌がすべて刈り取る。



零の拳に力がこもる。



だから...誰も死なせない、守ってみせる...



決意だけでは足りないというなら、『おまじない』だっていくらでも使ってやる。



自己暗示のように自身にそう言い聞かせ、零は上着を手に取り、後ろを振り返る。



ミブロの緑のカメラアイは消えている。


眠っている楯。


起きている鎌。


楯と鎌の両方が揃って、ようやく「ほどほど」が狙える。





同じ時刻。


第六の監視塔では、スケルトンが一機、巡回の灯を床に落としていた。


国境の向こうでは、まだ名前も呼ばれない偵察が、谷の形を測っている。


零はそれを知らない。


知らないまま、明日への足の歩数だけを数える。




作戦は、もう紙の上にはない。




暗視装置の中に、二機のスケルトンが浮かび上がる。



「あれがラ・エスペランサ共和国の第六収容所だな...」



「はい、事前の情報通りであれば、あれは収容所と言えど民間人がほとんど...収容所とは名ばかりの実質的に人質の監禁場所ですな。」



暗視装置を覗き込む男のそばに控えた、部下と思わしき男が答える。



「ふん...兵士に忠誠を誓わせるために家族を人質にとる...か、エスペランサ兵に同情するぜ。」



「まったくです、もっとも腐敗具合ならうちの国だって負けてないですが、人質までは取られていませんからね...」



『まだ』との一言がつい口をつきそうになるのを、男は何とか飲み込む。



「まぁ俺達には関係の無いことだがな、軍事拠点でないことは確実だろう。防備も軍事拠点ほどではないし、ここに侵攻する必要性は薄そうだな。」



部下が耳元に手を当てる、通信のようだ。



「...こちらジャガー・ネグロ...はい、地形調査は順調です...ええ、了解しました。ではまた後ほどの定時報告で。」



「少佐、本部からです、収容所であることが判明したのなら、そこはもう十分であるから、他の地形を調べよ、とのことです。」




「分かった...谷にかかる鉄橋も確認できた、渡河点はあそこだけか...近くに別の軍事拠点の疑いのある施設があったな?」



「ええ、そちらも調べますか?」




「いや、俺達ジャガーネグロの今回の任務は、侵攻に備えての付近の地形調査と軍事拠点の規模調査だ、今回はこれで十分だろう。」




「退路の確保はできているな?」



「はい、問題ありません。」




「今回は侵入経路と退路の確認だけで十分だ、エスペランサ兵に俺たちの活動が気取られると作戦そのものに支障がでかねんからな、一度引き上げよう。」



その言葉を最後に、あとは付近の部下たちにハンドサインだけで指示を出すと、男たちは音もたてずに影のようにスルスルと彼らの母国、サンタ・ルシア連邦共和国の国境の方角に向けて消えていった。



しかし精鋭部隊たる彼らも気づいていなかった、谷を隔てたその対岸から、彼らをじっと息をひそめて見ている視線には――






サンタ・ルシア連邦共和国――



内戦が続くラ・エスペランサ共和国とは国境を挟み、数えきれないほど衝突を繰り返してきた隣国だ。



サンタ・ルシア連邦共和国にとって、南下は建国以来の国是だった。


ラ・エスペランサの穀倉地帯と良港を押さえ、海への出口を得る。


その規範は何度も書き直されたが、南へ向かうことだけは残った。


名はオペレーション・ルセロ。


建国以来、何度も改訂改変を加えられつつも、その計画名は何世代にもわたりサンタ・ルシア連邦共和国の国是、国防の基本方針として受け継がれてきた。


精鋭特殊部隊ジャガー・ネグロの活動は、その実施ではない、下準備だ。


ラ・エスペランサの内紛は、古い計画の亡霊を地政学的必然によって、再び蘇らせつつあった。





司令室の時計が小さく音を立てる、時刻はそろそろ深夜に差し掛かりつつある。



ホセ司令が手元の封筒に封をする、差出人の名前は空白だ。



クレアがそれを受け取る。



「あら...これ、もう消印が...随分離れた土地の郵便局...?」



「うん、足跡を辿られると効果が薄くなるからね、そいつを現地の工作員に渡して、直接投函させてほしい。」



封筒の表面には何かの番号だけが走り書きで描かれている。



「スイス銀行の口座番号さ、単に封筒だけ投函しても不審物扱いでゴミ箱いきだろうからね。」



「その番号を見れば、先方は開封して中を見ずにはいられないはずだよ。」




ラグランジュ大佐が封筒を覗き込み、眼を見開く。




「宛先は...サンタ・ルシアだと...? ホセ司令、サンタ・ルシアにも知り合いがいるのですか?」



「知り合いや友人はいないな。」


即答する。




「...だけど使えそうな汚職政治家や軍の高位者なら、うんざりするほど知っているよ。」



ホセが懐中時計を弄びながら薄く笑う。



「作戦の後始末の下準備、根回しをやっておく必要があるからね。」




「戦争ってのは、なにも武力を振り回すだけとは限らない、というやつか。」




ラグランジュ大佐がホセを見やる、なんとも微妙な表情だが信頼感に満ちた視線だ。



「武力を振り回すだけで済むなら、ボクの負担も少なくて済むんだけど、今回ばかりはそれだけじゃ不十分なんだ。」



パチンッ!



ホセ司令の指が、懐中時計の蓋を跳ね上げる。




「北部は、まだ持たせる。政府軍の防衛線を崩壊させるわけにはいかない。」



零はヨルムンガンドの肩ベルトを直す。



ガブリエルは何も言わない。



ミゲルが通路図を畳む音だけがする。



「あちらは、計画に名前を付けるのが好きな国だ」



ホセの声は低い。



「諜報部からも今回の動きについて具体的な作戦名の情報が入ってこない、ということは今は本格的な侵攻作戦の実施ではない、あくまで下準備だ。」



「...だからこそ、使える」



ラグランジュの眉間に、いつものしわが寄る。



「隣国まで盤面に乗せるのか」



「乗せるよ。」



司令はまた即答する。



「ただし、渡すつもりもない。」



ホセはマップの国境線を指でなぞる。



「ラ・エスペランサを隣国に渡すつもりはない。ボクたちの目的は、この国の腐敗を掃き清めることだ」



短い沈黙。



「正面からは無理だ。戦力も足りない」



ホセは懐中時計を閉じる。



「だからボクは、この作戦では利用できるものは、何でも利用するつもりだ」



窓の外で、かかりの悪いエンジンが何度か咳き込み、運転手の罵り声が聞こえる。




少しだけかかった雲を鬱陶しそうにかき分けながら、冷たい月の光が三日月亭の看板を照らし出していた。





第六収容所の整備小屋の片隅で、整備兵が手を洗っている。



隣に来た男も手を洗い始める。



「...使えそうなピン、あったか?」



「ああ、適当にポケットに放り込んである、あとであんたの分も渡すよ。」




二人の生霊は視線を合わせず、小さな声で続ける。




「刺す場所は知ってんだな?」



「何年整備兵やってると思ってんだ、ピン一本で眠らせてやるよ、ピンを抜けばたちまち元通りさ。」



「できればスケルトンも何機か眠らせたいが...」




「そっちは最近の話しだから、確実性は低くなるが...一応設計図は見ているからな、大体の目星はついてる。」



「攻撃ヘリは?」



「そっちはぶっつけ本番でも問題はない、女房の体のほくろの位置より、構造は知り尽くしてるからな。」



「だが全部はやるなよ、疑われるからな。」



「あぁ、それは連絡も受けてるからやらない、どういう理由かは知らんが、あくまで一部だけ無力化してくれ、とよ。」



「頼むぞ...おっと。」



近づいてくる別の整備兵に気づいた男が目配せをする。




会話を中断し、何食わぬ顔で手を洗い終わった男は、収監者たちの監視警備に向かう。



収監者たちと目配せをしたのち、鉄格子越しに特殊な材質でできたメモをこっそりと手渡す。




他の看守の目を盗み、メモの中身を確認する。



「いつだ...?」



「まだだ、連絡があるまではおとなしくしておくんだ。」



「今回の連絡では、作戦時には俺達にも武器を取ってもらうから、その覚悟だけはしておいてくれ、だとよ。」



「やはりそうなるか...あんた、確か猟銃なら使ったことあるんだろう?」



「あぁ、あとで生霊の監視が来た時にでも、銃器の扱いに関する簡単なレクチャーをするよ。」



収監房の中で小さな声でのやり取りが終わると、男はメモを小さく折りたたみ、飲み込んで証拠を隠滅する。



「あとは、房から出られたときに先導される脱出経路だが、運動時間とかにちゃんと移動経路と廊下の繋がりを、自分でも確認しておけ。」



「スムーズに脱出ポイントまで移動できるようにな。」



第六の雑居房は、すでに定員を超えている。


昨夜も新しい者が三人入ってきた。


そのうち二人は、目で合図を返す。


一人はまだ恐る恐るといった感じだが、それでも、ごく小さく頷いた。


「それと、運動時間に監視兵同士の会話を聞いた、近々新しい武器弾薬が補給で届くらしい。」


「ならば、補給が終わってから作戦開始の方がいいかもな。」


「ああ、抑えることができれば、いい手土産になるかもしれん...」


傍らで会話を聞いていた男が、衣服の袖を少し破り取り、素早くその情報を布切れに書き込む。


あとで生霊監視兵が来た時、この情報を渡すのだ。



「おい...!! 来たぞ...」


隣の房の男が、小さな声で注意を促してくる。


全員が黙り、房内の壁にもたれかかる。


コツ...コツ...コツ...


ほどなく硬い軍靴の音が近づいてくるのが聞こえた



監視兵が廊下を通る。


監視兵の腰に下げられた鍵束の音だけが、ジャラジャラと響く。


向かいの房の前まで来た監視兵が、伴っていた男を促し、男はおとなしく房の中に入る。


ガチャン...


扉が閉まり、再びカギがかけられる音が聞こえる、新しい収監者だ。


「...毎日のように新規収監者が入ってくるな...」


「戦死した兵士の人質が解放されてるからな、その分収容所にも空きができる。」


「そうとも限らん場合があるらしいぜ。」


「女子監房の話だけどよ、旦那さんを徴兵に取られた人質の奥さんから聞いたんだ。」


「旦那さん、気の毒なことに戦死しちまったそうなんだが、その奥さんはまだ解放されてないらしいんだ。」


「兵士が戦死しても、人質の親戚や親しい友人に健康な成人男性がいる場合は、そいつらを徴兵する際の人質としてまだ利用価値がある、と判断されれば...」


「解放されない場合もある訳か...」


房の奥の壁にもたれかかっていた男が呟く。


「...兵士の命も、人質も、骨の髄までしゃぶり尽くすまで利用するわけか...」


「ああ、だけど勘違いはするな、上の連中はともかく、警備兵の中にも俺達の立場に同情的な兵士もいる。」




「分かってる、雑居房の中での収監者同士の私語も本来は禁止だが、ほとんどの監視兵達はある程度多めに見てくれているからな。」


いかに命令とはいえ、誰だって自国民、同じ国民相手に銃口を向けることには多かれ少なかれ抵抗を感じているのだ。


ましてや彼らは、何か罪を犯したわけではない。


ただ身内に若く健康な、兵士として使えそうな男がいただけなのだ。


「兵士達も、そのほとんどは鬼でも悪魔でも無いさ、人質の中には女子供までいるんだ。」


そんな収監者たちに、何のストレスも良心の呵責もなしに、銃口を向け続けられる兵士など、そうそういるものではない。


壁に背を預けていた男が息を吐く。


隣の男が、唇だけ動かす。


「房の中なら話せる、だが外ではまだ無理だな。」


向かいの房にいる男が、無言のままでハンドサインを送ってくるのが見える。


「...さっきの新規収監者も、生霊みたいだな...」


収監者たちの間で自然発生的に生まれた、「新しい生霊の仲間が入った」の合図だ。


それ以上は言わない。


言わなくていい。


彼らは兵士ではない、人質だ。


雑居房に押し込められた人質が何かの密談をしていても、それはある意味当たり前の光景だ。


ばれたところで、人質としての利用価値がある以上、すぐには殺されはしない。


まさか、監視兵とも繫がっての密議とまでは思わない。


満杯の収容所にはすでに独房の空きはなく、移されても別の雑居房。


監視を付けられたところで、今夜の通路そのものが消えるわけではない。


何食わぬ顔で監視につく兵の中にもすでに生霊は潜んでいる。


彼らが監視に立っている時なら、もう少しは安心して打ち合わせができる。


新しい者の一人が、袖の内側を見る。


印はない、印は持たない。


持つのは、目と、同じ房の呼吸、そして諦めない希望だけだ。


ミゲルのときは偶然だった。


今度は、最初から房の中に通路を作ってある。


第三でも、同じ短い言葉が別の壁の内側で秘かに飛び交っているはずだ。


生きてる。


それだけで、今はこと足りる。


外ではスケルトンが灯を落とし、整備小屋では小さなピンがポケットの奥にひっそりと眠っている。


房の中はまだ、ただの夜だ。


しかし、その夜の静けさの中で生霊はすでに目を覚まし、うごめき始めていた。




◆◆





タ...タッ...タタッ...タタ...タタタタタタタタタタタ...



外では雨が降り出したようだ。



零はグリスアップが終わり、自室の壁に立てかけたヨルムンガンドに手を添える。



「――ん~...」



頭の上で手のひらを組み合わせ、大きく伸びをする。



傍らのテーブルの上にあった焼きそばパンを一つつまみ、口に押し込む。


「これ設計した奴は、絶対頭オカシイよね...なんで同じ兵器にイギリスインチのネジと任天堂の特殊星形ネジが混在してんのよ...」



「...でもまぁ」



「感謝してる、アンタなしじゃ今まで戦い抜いてこれなかった。」



「仲間も守れなかった。」




立てかけた鉄塊に右手を添え、目を閉じる。



挿絵(By みてみん)




「.........」




――頼むわよ、相棒...




「さて、そろそろ寝よっかなっと」




上着を脱ぎ、行儀悪くそれをベッドの上に放り投げる。




「おっとと...またゴリさんに怒られる...」



部屋の窓のカーテンが全開だったことを思い出し、片手で胸を隠して慌ててカーテンを閉める。




そのまま、シャワー室へと消えていった。






爆乳酪農家狙撃兵ホルスタイン零-zero-


第七話 それぞれの覚悟


終わり


次回予告扉絵


挿絵(By みてみん)

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