第一陣 廃停車場と深緑の貴婦人
「……どうしたもんかな」
机に配られた進路調査票を前に、佐藤尋人は鉛筆をくるくる回していた。
やりたいことは皆無だが、やりたくないことだけは無限にある。
来年は高校卒業だというのに、ノーアイデアだ。
放課後の喧騒を背に、まっすぐ通い慣れた家路へと向かう。夕暮れの街を重い足取りで歩く尋人は、自分の足音がやけに空虚に響くのを感じていた。
ふと、古びたスポーツ店の軒先に、埃を被った竹刀袋が吊るされているのが目に留まる。
「……剣道、小学校の時ちょっとだけやってたなぁ」
当時はそれなりに真面目に打ち込んでいたし、面白みも感じていた。結局、どうしてもリアタイしたいアニメが始まったのを機に、七級で辞めてしまったけれど。振り返っても、その選択には特段後悔はないが、今思えば、あれが人生で唯一「何かを目指した」時間だったのかもしれない。あの時使っていた竹刀や道着は、まだ家の物置にあっただろうか。そんな、どうでもいい回想が脳裏をよぎる。
気が付けば、足元に一匹の黒猫がいた。右目は吸い込まれそうな深い蒼、左目は向日葵のような鮮やかな黄色。見事なオッドアイを持つ、息をのむほど美しい黒猫だった。
絹のような滑らかな毛並みを揺らし、尋人の目をジッと覗き込んだそいつは、一声「ニャオ」と鳴くと、誘うように長い尻尾を振って、彼が一度も通ったことのない細い脇道へと入っていった。
「……こんな道、あったっけ?」
吸い寄せられるように後を追う。曲がりくねった狭い路地を進むうち、いつの間にか周囲の景色から見知った家並みが消えていた。湿った土の匂いと、どこからか漂う古い機械油の香りに導かれ、辿り着いたのは錆びついた鉄格子の門だった。
「……何処だここ?」
そこは、地図にも載っていないような廃停車場だった。
雑草に埋もれた線路の先に、一両の蒸気機関車が静かに眠っている。
森を想起させる深緑に塗られた車体には、漆黒のボイラー胴を何本もの黄銅色のバンドが美しく締め上げている。丹念に磨き上げられた運転室の真鍮窓枠と、まっすぐに伸びる細身の煙突。その背後には、高圧蒸気を蓄えるドーム状の金色に輝く真鍮塊が重厚に鎮座していた。
車体側面の堅牢なリベット列の間には、金文字で「甲1」のナンバープレートが鈍い光を放っている。
テレビなどでよく見るD51型などの漆黒の大型機関車とはまるで違う。
そのフォルムは、まるで貴婦人の如く優雅な佇まいだった。
「綺麗な機関車だな……」
尋人は魅入られたように、狭い機関室へと足を踏み入れる。
そして、運転台の前に立つと、目の前の真鍮製レバーに何気なく手を触れた。
その瞬間。
手のひらから、網膜を焼くような青白い光が溢れ出した。
「――霊子波長を確認。全回路、臨界点突破。起動準備完了」
無機質な声が響くと同時に、足元の猫がふわりと宙に浮き、ノイズ混じりのホログラムへと姿を変えた。
「……驚いたぞ、適合者。測定不能な程の霊子出力だ」
黒猫が感嘆の声を漏らす。――喋った? 突然の展開に、尋人は口を開けて固まった。
その直後、夜の滑走路に明かりが灯るが如く、青白く光る線路が夜空に向かって伸びていく。
ボォォォォォォォ!!
突然、機関車が天を揺るがすような汽笛を上げた。一呼吸おいて、激しい排気音と金属音が重なり、列車はゆっくりと動き出す。
「おい、うそだろっ!? 止まれ、止まってくれ!!」
尋人の叫びを無視するように、機関車は徐々に加速すると、蒼い光の軌条を滑りながら、高度を上げていった。目の前に広がるのは、星々さえも届かぬ、黒色無双で描いたような真の闇。その中心、外周だけが青白く輝く暗黒空間に向かって、列車は飛び込んだ。
「――っ!」
* * *
刹那の暗転。
その後、尋人の目に映ったのは停車場だった。だが、先ほどまでいた廃停車場とは全く違う。赤煉瓦の壁で覆われ、天井の高さは地元商店街のアーケードを遥かに超える巨大な建屋。その中を真鍮製の配管が網の目のように張り巡らされ、そこかしこで、白煙が音を立てて噴き出している。ピストンの底鳴り、鼻を突くオイルと石炭の匂い。真鍮の冷たさと蒸気の熱が混在した空間。
「ここ……は……」
尋人は震える足で、機関車から外へと降りた。
だが、安堵する間もなく、石床を激しく震わせる、耳を劈くような金属摩擦音が響き渡る。立ち込める白煙から姿を現したのは、悍ましき黒鉄の怪物達だった。
大きさは大型のトラクターほど。上半身は、何枚ものぶ厚い鋳鉄板を武骨なリベットで強引に繋ぎ合わせた、まるで意思を持たぬ西洋甲冑のようだ。その腰から下には、油と煤にまみれた重厚な無限軌道が、剥き出しの差動歯車を介して直結されていた。背部に背負った歪な小型ボイラーからは、狂った心音のような排気ピストン音が鳴り響き、細い排煙筒からどす黒い煤煙が絶え間なく噴き出している。
黒猫が、忌々しげに舌打ちをしながら尋人に告げた。
「こんなところまで侵入を許すとは、皇都守備隊は何をやってるんだ。――気をつけろ。あれはインペトラル帝国の無人機巧兵だ。穿孔カードに刻まれた命令を遂行するだけの、殺戮兵器さ」
無人機巧兵の右腕に装着されたガトリング砲が、ゆっくりと尋人にその銃口を向ける。金属が噛み合う不吉な回転音が聞こえた。
「ま、待って! うわぁぁぁぁぁっ!!」
尋人は慌てて機関車の車内へと逃げ帰った。
床にうずくまり、頭を抱えてガタガタと震える。弾丸が機関車を激しく打ち付ける音が、死の宣告のように鳴り響いた。
「だ、誰か助けてくれ! 死にたくない……!!」
「――情けない声を出すな。お前には、それを止める力がある」
黒猫が、目の前の真鍮製レバーを鋭く指差した。
「いいか。そのレバーは、お前の霊子力を『戦う力』に変える鍵だ。……握れ。半端な自分を、ここで変えてみせろ」
剣道も七級で辞めてしまった、中途半端な自分。
だけど、あの時握っていた竹刀の重さだけは、掌が覚えている。
「……ああ、もう! どうにでもなれ!!」
尋人は叫び、レバーを強く握りしめた。
その瞬間、シリンダーから過熱蒸気が爆発的に噴出し、周囲を真っ白な爆煙で包み込んだ。
重厚な金属駆動音とともに、深緑の蒸気機関車が、まるで生き物のように組み換わっていく。
足元では、油に濡れた連結軸とバルブギアが噛み合い、四輪の鋳鉄車輪を内側へと巻き込みながら、剛健な二本の脚部へと再構築していく。漆黒のボイラー胴が大胆に割れて内なる骨格を露わにし、左右の水槽はスライドして屈強な肩部装甲へと変化した。細身の煙突は、高圧蒸気を噴き上げる、猛々しい排気筒へとその位置を変える。
深緑の貴婦人は、蒸気の霧を切り裂き、巨大な人型兵器へとその姿を変貌させた。
「機巧武者、甲一型クラウス、起動。……さあ、反撃の時間だ、適合者」
コックピットの窓越しに見える無人機巧兵が、その圧倒的な威圧感に動きを止める。
尋人の手に馴染むレバーは、いつの間にか、吸い付くような「操縦桿」の感触へと変わっていた。
「……行け、クラウスッ!!」
武者震いするような振動と共に、白煙が背後の排気筒から勢い良く噴き出る。深緑の巨体が放つ咆哮のような汽笛が、赤煉瓦の停車場に鋭く木霊した。
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