八皿目 止椀『ミレたん、空想の影』
今回、ミレたんの登場はありません。食べ物の描写もありません。
いわばミレたんお休み回です。
本文に登場する「五柱神竜創世譚・最古古文書写」は、あえてふりがな無しで記しています。
夜の閉架書庫。
積まれた古文書の山を前に、レンカは静かに頁を繰っていた。
灯火の揺らめきが影を長く伸ばし、湿り気を帯びた空気が漂っている。
そのとき、扉の軋む音。
そこに立っていたのは、うなだれたサクラの父であった。
「……陛下」
彼は深々と頭を下げた。
「ミナヅキか……なに用じゃ」
「背教の烙印を負ったままでは……死にきれませぬ。どうか、五柱について──もう一度、学び直させてはいただけませぬか」
レンカは眉をひそめたが、静かに頷く。
「……ならば問おうかの。そなたが知る“始まり”とは、どのようなものか。わっちに聞かせてみるといい」
ミナヅキはしばし黙考し、やがて震える声で語り出す。
「……私がよく語る、おとぎ話を……」
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おとぎ話
むかしむかし、まだ世界が何もなかったころ。
そこには果ても底もない空と、海のように広い闇だけがありました。
ある日、空のはてから五柱の神竜が降り立ちました。
彼らは力をあわせ、わたしたちの星をかたちづくったのです。
はじめに、坤竜こんりゅう・礐壑かくがくが、からっぽの星に降りました。
その背は山々となり、その尾は深き谷となり、大地の骨格が築かれました。
つぎに、瀛竜えいりゅう・瀞澪とろみおが空より清き水を注ぎました。
水は谷を満たして川となり、やがて大海へと広がってゆきました。
そこへ、颶竜ぐりゅう・飆昊ひょうこうが駆け来たり、
星を押してめぐらせ、雲を運び、季節の巡りを与えました。
やがて、暉竜きりゅう・曦燦ぎさんが天に昇ります。
その鱗は太陽となり、ひと振りで夜空に星を散らしました。
光と温もりが、大地と水と風を包み込みました。
けれど、まだこの世界は静かでした。
最後に現れたのは、稔竜ねんりゅう・楙櫱ぼうげつ。
その吐息は森を芽吹かせ、その雫は獣を生み、
その笑みは人の心を芽吹かせました。
こうして、土と水と風と光と命がそろい、世界は動き出しました。
神竜たちは役目を終えると、それぞれの座へと帰っていきました。
今も太陽の中心には暉竜きりゅうが、
深き海底には瀛竜えいりゅうが、
山の奥深くには坤竜こんりゅうが、
空の彼方には颶竜ぐりゅうが、
そして稔竜ねんりゅうは世界をめぐり、命の巡りを見守っているといいます。
だから、この星は生きているのです。
五柱の神竜のおかげで──。
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語り終えると、彼は深く息を吐く。
「……娘にも、同じように語ったことがあります。これが、私の知る“世界の始まり”です。……この話が、一人でも多くの支えになるようにと……そう願いながら、幾度も語ってきたのです」
レンカは机に手を置き、静かに一冊の文献を広げた。
灯火の揺らめきに、王の横顔が一瞬、浮かび上がった。声は低く、石壁に反響して、重く響いた。
「それもまた真理の欠片よ。じゃが、こちらが王家に伝わる最古の記録じゃ」
朗々と、漢文調の文章を読み上げる。
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五柱神竜創世譚・最古古文書写
昔時未有天地、唯有昊冥渾淪、無涯無底、幽寂無声。
時に坤竜礐壑、瀛竜瀞澪、颶竜飆昊、暉竜曦燦、稔竜楙櫱の五柱、天穹の彼方、虚無の極より隕臨し、各其権能を以て、混沌の胎に形象を賦す。
坤竜礐壑、巍峨たる嶽巌を挺し、嶮岨なる壑谷を穿ち、以て地脈を定め、大陸諸嶼を盤礎す。
瀛竜瀞澪、清冽の淵瀞を湛え、澪筋を縦横に穿ち、江河湖海悉く此に起こり、百川滔々として歸す。
颶竜飆昊、颯颶の翼を翻して蒼穹を翔け、雲霧を驅りて天廻を推し、四時の更替を成す。
暉竜曦燦、晨曦の輝を載し、煌燦の光を散じ、日輪を掲げて万象を照臨し、夜天に星輝を織す。
稔竜楙櫱、吐息にて萬林を萌させ、滴涙して衆獣を孕み、生彩の笑みにて人心を啓発す。
斯くして土水風光命倶備し、星輪始めて廻転す。
五柱神竜、各その常坐に帰り、坤竜は幽巌の奥底に、瀛竜は冥海の淵底に、颶竜は碧空の遼遠に、暉竜は日中の央に、稔竜は曠野を巡行し、生々流転の理を守る。
是を以て、蒼生は今日に至るまで五柱の功徳を頌し、永劫不滅の守護と為す──。
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ミナヅキは目を見開き、やがて呟く。
「……似ている。けれど……ずいぶんと違う」
レンカは頷いた。
「子に伝えるために柔らかく脚色されたものが、民に広まったのじゃろ。おとぎ話も虚ではない。じゃが、真理の全てを伝えるには、この世はまだ幼い」
サクラ父は深く頭を垂れた。
「……なるほど。ならば、学び直すことこそ贖罪」
彼は震える声で問う。
「陛下……私は、この先どう処されるのでしょうか」
レンカはしばし目を閉じ、やがて低く答える。
「処遇を定めるのは時が満ちたときで構わんよ。それまでは学ぶがいいさね」
サクラ父の目に涙がにじむ。
「……心得ました」
震える声の奥に、長年抱え続けた罪が滲んでいた。
悔恨と安堵がないまぜとなり、ようやく自らの歩むべき道を見つけた者の顔だった。
「今は忙しい。また後日、学び直す時間を設けようかの」
「感謝致します。陛下」
「うむ。今宵は反省と自分を見つめ直す時間にするといいさ」
「はっ」
彼が去り、書庫に再び静寂が落ちる。
レンカは文献を閉じかけて──ふと、頁の隅にかすれた筆跡に目が止まる。
“焉”の一字。
その筆跡だけが異様に濃く、他の文字とは明らかに違って見えた。
指先がそこに触れる。
胸の奥にざらついた震えが走った。
「……まだ、知るべきではない。わっちですら、触れて良いものか、測りかねておるのだからの……」
灯火がぱちりと弾け、長い影が揺れる。
その中で、レンカは独り静かに息を吐く──。
八皿目 止椀『ミレたん、空想の影』
おしまい
五柱神竜創世譚・最古古文書写をすべて読破された方はいらっしゃいますか?
読めた方がいたら、本当にすごいです。
筆者として心から敬意を表します。
――以上、筆者からの挑戦状でした。




