3-2 元勇者、試験を受ける
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リオンが案内されたのは、ウーガの街の城壁傍にある貧民窟の一角だった。
入り組んだ路地に、違法建築の数々。魔術街燈はあるが、だれもこんなところにまで火を燈しにはこないのだろう。遠くに大通りの明かりが見えるせいで、なおさら薄暗く感じる。
「それで? あんたのボスはどこだい」
リオンは、前を歩く案内役の男に尋ねた。
男が振り返る。
「そう急かしなさんな。ボスから言付けを預かってる」
「聞こうか」
「『鈍っていないか試してやろう』、だ!」
言うが早いか、案内役の男が距離を詰め、リオンに殴りかかって来た。手にはいつの間にかアイアンナックルがはめ込まれている。
その拳が、リオンのどてっ腹に叩き込まれた。
確かな手応えに、男がにやりと笑う――が。
「よし。今俺は、確かに殴られた。故に正当防衛が成立する――と」
にこやかに笑うリオンと目が合って、男の笑みが固まる。
「ふんっ」
「……ヘボッ!?」
お返しとばかりに、リオンが男の腹を殴った。
衝撃で宙に浮いた男を、押しのけるようにリオンが蹴飛ばす。
地面を転がった男は呻きながらも自分の腹をまさぐった。
「げほっ……なんてパンチだ。腹が消し飛んだかと思った」
「いやいや。ちゃんとあるだろう。殺さないように手加減したんだぜ?」
男は呻きながらもその言葉に苦笑する。
反撃もさることながら、男が驚くのはリオンが、自分の攻撃に全く応えていないということだ。リオンからは魔力防壁も闘気防御の気配も感じなかった。常時展開の防御障壁のみ。つまり、自分のパンチはリオンにとって、意識的に防ぐに値しない攻撃だった、ということだ。
「それで? 試験は合格でいいかな」
「……そりゃ勿論。続いて二次試験」
男がそう言って、手を挙げた。
十数人の男女が物陰から現れる。マスクで顔を隠し、短剣、弓、あるいは魔術杖で武装している。身のこなしを見る限り、専門の訓練を受けた暗殺者か隠密、その類である。
「驚かないんだな……そりゃそうか。隠れていたの、バレてたのか」
「気が付かない方がおかしいさ。ひい、ふう、……十七人か」
「気が付く方がおかしいんだがな、今もさっきも。部下たちの潜伏は完璧だったぜ」
言いながら男は、周囲の者たちに合図を送る。
同時に十七の殺意が動き出し。
「試験開s――」
「そいやっさィ」
十八番目の殺意――リオンは真っ先に、案内役の男の顔面を蹴っ飛ばした。
リオンの意外な行動に、十七人の刺客がぎょっとする。
それを無視して完全にノびた案内役の男に、リオンが声を掛けた。
「なんでお前、自分がもう攻撃されないと思ってんだ? するに決まってんだろう」
「ひでぇ」
「悪魔だ」
「だまらっしゃい!」
ざわつく周囲の刺客たちに向かって、リオンが怒鳴る。
「呼び出しておいて試験だなんだと勝手ほざいて襲ってきてるんだ。骨の四、五十本はへし折られる覚悟できてるんだよな? 当然だよな?」
「「骨折多過ぎだろう!?」」
パチンとリオンが、指を鳴らした。
その瞬間周囲に青白い光が広がり、一帯を包む半球状の膜が現れる。
「まさか、結界だと……!?」
「術式の構築も詠唱も無しに!?」
「そんな。出られない!」
刺客たちが状況に戸惑う中、リオンが一歩前に出た。
「はっはっは。俺はけっこう勤勉な奴ってことで知られているんだ。『娘たちにばかり働かせて自分は昼間っから酒飲んでいる親のクズじゃなかったんだ、意外だ』なんて言われることもあるくらいだ。だから君たちの為に多少骨を折ることになったって気にはしないよ」
「骨を折るの意味が違うだろう!!」
「しかもしれっと、自分の評判が良くないことの憂さ晴らしをしようとしてやがる!」
「なに。きみたちが俺を試すというのならば、俺もきみたちを試そう。おあいこだから気にしなくていいんだ。一説によると人体には二百の骨があるというからね。それをちょっと、三百に増やしてやるだけなんだから」
「「「骨折の数が増えてるぅ!?」」」
じり、とリオンがにじりよった。
「さぁ。それじゃいくぞ! 試験開始だ!」
「くそっ! こうなりゃ破れかぶれだ。一斉にかかれ――ッッ!!」
こうしてリオン対十七人の刺客の戦いが始まった――が。
刺客たちがリオンに向かって駆け出した次の瞬間。
「えっ」
刺客の一番後ろで、魔術で援護しようと窺っていた男の横にリオンの姿が現れた。手に持つ魔術杖を押さえられて、目を丸くしている。
「集団戦のセオリーは知ってるか? 後衛・支援役から潰せば楽になるんだ。前衛の継戦能力を奪えるからな。大丈夫、痛くないから。すぐ終わるからね。天井の染みでも数えて――いや、外だけどさ」
優しくリオンは微笑んだ。
そして両手を、目にも止まらぬ速度で振るった。
「ッッ」
魔術士の男は白目を剥いて倒れた。
その全身がまるで骨が入っていないようにぐにゃりと曲がっている。
「まずはひとり落第だ」
「アッ! いたぞ、後ろだ!!」
「ボーレットがやられたぞ!」
リオンが背後に現れたことに気付いた刺客たちが振り返る。
その十六人の視線の先から、リオンの姿が音もなく掻き消えた。
「――な!?」
「ほらほら、敵から目を離さない。戦いの基本だろう?」
再び姿を現したのは、元いた位置の直ぐ傍。
短剣を持った刺客がぎょっとする。
「いつの間に!?」
「あら、女かあんた。じゃあ、暴力は振るいたくないなァ」
「女だからって馬鹿にしてんじゃないよっ!」
「そりゃ失礼」
振るわれた短剣は右手で軽くつまんで、リオンは左手で刺客の顔を覆った。
「女性を相手にするにはこの手に限る」
「な……そ、あれっ……」
たったそれだけで、女刺客の意識が遠のいた。
【誘眠魔術】である。文字通り対象を眠らせる魔術だが、油断している状態ならばともかく、戦闘中の意識を張っている状態でそれを掛けるのは並大抵のことではない。
力が抜けた女刺客の身体を抱きとめて、地面に寝かせてやる。ちょっとおっぱいとお尻を揉んでしまったが、不可抗力というやつである。
不可抗力って言ったら不可抗力なのだ!
「さて。まだやるか? たった二十秒で二人が落第だぞ?」
残された刺客たちは、リオンの言葉に息を飲み――悲壮な覚悟で武器を構えた。
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最初に蹴っ飛ばされて気絶した案内役の男が、十分ほどして目を覚ます。
「……これは」
彼が真っ先に見たのは、死屍累々と横たわる部下たちの姿である。
男性は全身の骨が砕かれたようにぐにゃぐにゃで、五名ほどいた女性は酷くうなされながら寝ていた。いや、一人だけひどく嬉しそうな寝顔だが。
その脇に、リオンが退屈そうに転がっていた桶に腰かけていた。
「一体何が」
「いやね。男は全身の骨を砕かれて気絶してるってのに女はただ眠らせるだけって、さすがに不平等だと思ってさ。ちょっと、ヤな夢を見てもらうことにした」
「夢だと?」
「ハゲでヒゲで体毛濃くて全身オイルまみれの全裸デブオヤジが大挙して押し寄せてきて、自分の周囲でリズミカルに踊り狂う夢。すっごいすえた匂いのおまけつき」
「それは……」
想像したのだろう。
案内役の男は、物凄く嫌そうな顔をした。
「さ、二次試験の合否を教えてもらおうか。なんだったら三次試験も受けちゃうぞ?」
「合格だ。文句なしでな。ボスは表通りの酒場でアンタを待ってるよ」
男はその酒場の名前を口にした。リオンも知っている、大衆酒場である。
「そうか。じゃあ、後片付けよろしく」
そう言ってひとつ笑うと、リオンはその場を後にした。
残された男は、部下たちの惨状を見て、
「なるほど、ありゃ本物だな。俺たち如きじゃ手に負えん」
と苦笑した。




