笹
梅本は営業マンとして顔を繋いでおくために。
笹尾は注文の品を手渡しするために。
二人は松コーポレーションの商用バンで移動していた。互いの用件が滞りなく済んで、客のところから気分良く帰る途中である。先方の都合、中途半端に遅い時間を指定されていたので、二人とも端から直帰するつもりで来ている。
「腹減ったなぁ。今から帰って、なにを作るっていったってな……」
運転席で梅本が腹をさすっている。
「私もですよぉ。もうどこかで食べていきません?」
実家暮らしの彼女がどう出るか、は半々の予想だったが、いい展開になったと梅本は思った。
「そうだな……。じゃ、そうするか」
彼女と二人きり。こんな機会は滅多にない。少々浮かれてもいる……が、しかしと思考を巡らせる。
小洒落た店にでも行きたいところだが、梅本の抽斗には、オッサンたちが集う、煙の濛々と立ち込めた店しか入っていなかった。
赤信号を見上げながら、さてどうしたものかと思案していると、笹尾が大手チェーンのファミレスを提案する。明るくて無難な場所だ。二人の関係に発展の兆しはまだない。
笹尾はよく喋り、よく笑った。相槌を打つだけの梅本も、このシチュエーションをそれなりに楽しんでいた――。
いつもはジグザグに走る竹本が後ろを気遣っている。今夜は左車線を車の流れのままに走っていた。まさかとは思うが、笹尾のマンションをうろ覚えで先導しているということはないだろうか。とにかく走りに精彩がない。
「なぁ、あいつ、ちゃんと笹尾の家を知ってるのか?」
もとより彼女からの返事は期待していない。
が、やはりため息が漏れた。
竹本のシビックには、レーシングシートが装着されていて、乗り心地が極端に悪い。笹尾が乗って来ていたワーゲンのビートルを、梅本が運転して帰ることになり、彼女はその助手席をリクライニングさせて、ぐったりとしている。
梅本は、彼女がウッと嗚咽を漏らすたび、助手席に目をやった。
……あのときのことが、ずっとずっと昔のことのように感じられた。
――前原刑事は、四階にある取調室のような部屋へ、梅本たちを通した。
あまりに殺風景さに二人がキョロキョロとしていると、
「ここの者じゃない私が言うのも何ですが、こんな所ですみませんね」と、頭を掻いて言った。
二人はニコリともせず、そろって「はあ」とうなずく。
「そこかしこで大っぴらに事情を話すわけにはいきませんし、他に空きがないんですよ」
前原は手を広げて、二人に着席をうながした。
「俺たちは、そのぉ、まったく事情が飲みこめてないんですけど」
竹本は椅子を引きつつ、不安気に言った。
「そうですか。連絡はウチの者から?」
「いえ、直接笹尾から俺のケータイにかかってきまして。電話では松本がどうとかって言ってましたど、だいぶ取り乱した感じだったんで、ちょっとよくわからなかったんですよ」
「なるほど」
「ちょっとコイツと出かける約束をしてたもんですから」竹本は親指で梅本を差す。
梅本は首肯して続けた。
「とりあえず二人で警察署へ行ってみようってことで。えっと、松本がここに来てるんですか?」
部屋の大きさにそぐわない音量になってしまった。
前原がまぁまぁと抑えた。
「松本幹夫は、ここの一つ上の階にいますよ。今は他の者がいろいろと話を訊いてる最中です。――それと、蝦夷松小枝も一緒ですね」
これには梅本と竹本が驚いて視線を合わせた。
「なんで蝦夷松部長が。見つかったんですか?」
竹本は思わず立ち上がった。
梅本は隣から彼のベルトに手をかけた。「お前、落ち着けって。とにかく話を聞けよ」
前原が咳払いをひとつして続ける。
「社長と専務はまだですが、彼女はそうですね。松本と二人で会っていたところを押さえました。――蝦夷松 正三らとも、いずれ合流するだろうと踏んで尾行するつもりでいましたが、上からの指示がありましたので、見失う危険性を考慮してその場で確保しました」
「松本と、あの女が?」
そんな関係を知っていたのか、と問うように竹本を見ると、彼は難しい顔をして考えこんでいるふうだった。
蝦夷松と出会ったという梅本が、どの程度の情報を持っているのか、を松本は気にしていたらしい。彼の慎重を期す性格が、梅本をふた晩に渡って探らせたのだろう、と前原は言う。
警察は梅本から話を聞いた後、松本を徹底マークしていたそうだ。
やがて、シビックのウィンカーが交差点でもない所で点滅する。
へぇ松本たちはこんな所に住んでいるのか……と、梅本はハンドルを切って追従していった。
――どう見ても、スーパーマーケットだな、こりゃ。
駐車場がけっこう空いていたので、シビックから二つ開けて駐車した。
竹本がエンジンを切って、ビートルへ近寄ってきた。梅本はドアを開け、横座りになった。彼を見上げる形になる。
「俺の特製天丼を食わしてやろうと思ってよ」
竹本はその食材を買い揃えるために、ここへ寄ったらしい。
あの、でき合いの天ぷらを買ってきて、丼へ山盛りにしたうえに甘いタレをかけただけ、の彼得意の料理を。
「俺、腹は減ってないけど」
「笹尾は減ってるだろう。あれを食えば誰でも元気になるからな。――ま、とりあえずちょっと買い出しに行こうぜ」
梅本は助手席をちらりと振り返った。
「俺はここで待ってようかな」
竹本が腰をかがめて、助手席を覗く。目を眇めて細かくうなずくと、
「そうだな。そんじゃ、ちゃちゃっと行って買ってくるわ」財布の中身を確認しながら、離れていった。
梅本はドアを閉め、頭の上に両手をやって目をつぶった。
「彼に会わせてよ! 直接話をさせてってば!」
署員が大勢いるなか、刑事に向かって叫んでいた彼女の声が、梅本の耳についている。
笹尾は警察署を出てからずっと同じ姿勢だった。羽織っていたデニムのジャケットを脱いで、頭からすっぽりと被っている。
「ハァ、私は駄目ですね……」
梅本はビクッとして、助手席を見やった。
よく聞き取れなかったので、返事はできなかった。
「こういうことは、女性のほうが感が働くってよく言うのに、私、全然気づかなくて」
松本が横領事件に加担していたことではなく、小枝との関係を言っているのだろう。
「……ほんと馬鹿みたい」
「そうだな。馬鹿だし、鈍いな」
笹尾がガバッと顔を出し、梅本を睨めつけた。
梅本はその強視線を怯むことなく受け止めて、ニヤリと笑んでみせた。
スーッと彼女はまたジャケットのなかへと隠れていった。
「梅本さん、優しくない」
「そうか? あ、だからカノジョがなかなかできないんだな」
彼女の体が少しだけ揺れる。ズビズビと洟をすすっている。
梅本はティッシュ箱を取り、箱ごとポンと笹尾の頭へ載せて、車外へ出ていった。




