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派遣スタッフは病棟の東出入り口に集まっていた。
指示に従って、工具と基盤をワゴン車のケースへと返却していく。予備に持たされていた基盤には、聞けばすぐにわかるような印が打ってあるらしく、古いやつと混同しても見分けがつくらしい。なぜそれを先に言っといてくれなかったのかは不明だ。
その後、三枝は跳ね上げたバックドアの荷台に腰掛け、サイン伝票を手に居並ぶスタッフ一人一人へ「ご苦労様でした」と声をかけながら、シャチハタで判をついていった。
たった二時間ばかしの仕事だったが、どの顔にも、やっと終わった、と安堵の色が浮かんでいる。スタッフ同士は「お疲れー」とだけ言い合って、解散。個々に帰っていった。
梅本ら三人分のサインは、森くんがまとめて貰ってくれている。そして森くんだけが三枝のもとに残った。
森くんは、植草から事情を聞いているらしく、梅本から手渡された、植草の分の工具と古い基盤、破損した物も合わせて、三枚を預かっていた。そのことも含め、植草の処遇について話し合っているのだろう。
結局のところ、梅本たちのおかげで事なきを得たのだから、三枝の表情は遠目にも緩い。しかし、カンネスサービスとしては、そうは言ってもいられないようなのだ。植草にどういう事情があったにせよ、仕事を途中で放棄して帰ってしまう、という行為が問題の焦点になっているはずだ。
森くんの車で来ている梅本らは、しかたなくしばしの待ちぼうけ。
ここは業者用の駐車場で、周囲に一般車両はない。日陰になっているとはいえ、院内の気温に慣らされた体に、外気はほとほと厳しかった。
すぐに桔梗院はタバコが吸いたいと言って、どこかへ行ってしまった。この病院の屋内はおろか、敷地内が全面禁煙になっているからだ。馬酔木はそれについて行かず、だらしなく支柱を背もたれにして、座り込んでいた。
「梅本さんて、すごいですよねぇ」
「うん? 何が」
「だってぇ、カブラギ電気のときもそうでしたし、みんなのフォローに回ってる感じ。それでちゃんと好転してるしぃ」
「そうだろう。馬酔木さんの中で、俺の評価は爆上がりって感じだろう」
「うん」
「ま、歳がいってるってだけだけどな」
互いに浅く笑いあって、間が空いた。
「私、梅本さんに乗り換えようかなぁ」
「へ?」
――なぜ、自分が選べる立場にあると思い込んでしまったんだ? 先ほど見直したのは撤回だ。
「冗談もたいがいにしとかないと、桔梗院が怒るぜ。(ついでに、たぶん森くんも)――それに俺、年上が好みだから」――まぁ嘘だが。
「え~そうなんですかぁ。私だったら、歳とかあんま気にしないのにぃ」
―こ、の、ブタブタブタブタッ!
梅本はトイレに行くと彼女に言づけてから、その場を緊急離脱した。
梅本がトイレから戻ってくると、森くんが立って待っていた。疲れた顔に貼りついた笑みが弱々しい。馬酔木はその隣で電話している。桔梗院を呼び戻しているのだろう。
「お待たせしました。さっそく帰りましょうか」
「あぁ、もういいの?」
「えぇ、散々ですよ。事務所に閉じこもっていたら息が詰まるからって、ちょっと外の空気を吸おうと思って出てみたら、こんな感じです……」
暴力的、強制的な何かを使わず、意識統一されていないスタッフ相手に采配を振るうのは難しい。
「森くんも大変だなぁ」
しんみりと同情していたところへ、馬酔木が電話を切って言った。
「拓くんは、もう森さんの車の近くにいるんだって」
「そうですか。それじゃあ行きましょうか」
うなずいて先頭を切ったのは馬酔木だった。彼女の手には四つ折りにしたハンカチが握られている。ハタハタとそれで自身の顔を扇ぐ扇ぐ。短い脚は忙しなく、股ずれを起こしそうな音をひり出していた。
男二人がそんな彼女の後塵を期す。ここでも森くんの視線は、ブリブリと振れる彼女の尻に突き刺さっている。
――フフ、森くん超やべぇ。
アベンシスワゴンで合流した四人は、車内の熱気が収まるのを待ってから乗り込んだ。来たときと違い、のんびりとしたものだ。こうなると単に森くんが時間稼ぎをしているようにも思えてくる。
「……それで、ポンピンタンの件はどうすんですか?」桔梗院が後ろの席から訊いた。
「そうよ。結局あの人、練習しに来ただけですよね。それでお金が貰えるなんて、他の人が知ったらきっと怒りますよ」
森くんは深いため息をついてから答える。
「僕は一階の担当だったんで、植草さんが出ていくのを偶然見つけたんですよね。手ぶらだし、様子がおかしかったんで声をかけたんですけど……」
植草は後ニ、三分で本番というときになって、腹が痛くなったそうだ。作業開始の放送を聞いたのはトイレの個室内。キレが悪く、なかなかトイレから出られなかったと。
馬酔木に配慮したのか、森くんは「あ、汚い話ですんません」
それでも彼なら充分に間に合ったはずだが、焦って戻ったことから作業が雑になってしまったらしい。
本番直前になって、という経験は誰にでもある。梅本も大学受験のときのことを思い出して、その心境は想像するに難くないと思った。
「そんなのしょせんは言い訳でしょ」と、それでも馬酔木は手厳しい。桔梗院から、植草の態度のことをいろいろと聞いているのだ。
森くんは自分が叱られたと錯覚したのか、顎をクニャッと突き出して拗ねたように振る舞う。
植草は、練習では誰よりも順調だったので、基盤を割ってしまった経験がないはずだ。それだと本番で失敗して、余計に焦ったことだろう。一枚割った時点で、一旦手を止めて落ち着いてからにしよう、などとは考えられなかったに違いない。短期決戦に、心を持ち直している時間はなかった。
「彼はサインを貰わずに帰っちゃいましたからね。給料の件はどうしようもないですね」
「あ、そうか」と、桔梗院はそれで納得した様子。
ところが馬酔木は、
「何かしらのペナルティはないんですか?」と、お金だけの問題じゃない、と頑なだ。
依頼は無事に収めたわけだし、自分の給料が減らされるわけでもない。梅本が呆れて口を挟んだ。
「それは森くんの判断しだいだろ」
「所長の判断しだい、ですかね」――報告はするらしい。
それにしても……と、桔梗院なりに慮って話題の方向を変えた。
「おい、クソ焼豚、そこをどけや! って、あのときの梅本さんはヤバかったですよねぇ」
――おいおい、雑な脚色をするなよ。
「そんなふうには言ってないだろ」
「ハァ、マジですか、梅本さん」
森くんも乗っかってきて、ホッと息をついている。
車は程なくして、派遣事務所に到着した。




