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ワイワイと連れ立って二階の事務所へ上がる。
森くんはさっそく所長のデスクへ行き、カウンターから一番近い席にいた花川は「特別よ」と言ってから、コーヒーメーカーのボタンを押した。
他にスタッフは見当たらない。じつに珍しい日だった。
普段と違う伝票を、所長のところから貰ってきた眼鏡の女性社員が、パソコンを操作して梅本らの給与明細書の作成に取り掛かっている。エアコンの利いた事務所内で、それの待ち時間は気にならない。
しかも、出された熱いコーヒーが、やけに美味かった。梅本も同じインスタントコーヒーを使っているのに、これはまるで違う飲み物だ。きめ細やかな泡が立っていて、それすらも美味い。やはりマシンの力は侮れない。
花川は自らの分も注いで、自分のデスクに置いた。椅子を回してカウンターに肘をつくと、訊いた。
「ねぇ、楽勝だった?」
当然のことながら、彼女は(ポンピンタンOK)を付けなかった。短時間の仕事であり、予定通りに帰ってきた梅本らに、何ら違和感も抱いていないようだ。
梅本は「ああ」とうなずいたものの、桔梗院たちの視線を感じている。――しかたない。フッと息をつくと耳の後ろを掻いた。
「じつはスタッフの中に一人、困った奴がいてな……」
さて、どこから説明するかと、逡巡しているうちに面倒くさくなってくる。
「う~んと、まぁ森くんから聞いてよ」
「えぇ、何それ」
彼女は自分専用のカップを口につけた。上目遣いに訝しんでいる。
「それより、ほら、俺のメットはどうした?」
「あぁうん。ちゃんと持って上がってきてるわよ」カップをデスクに置いて、腰を浮かせる。
「そうか。サンキュー」
「ちょっと取ってくるね」と、彼女はロッカー室へ向かった。
馬酔木は羨むような目で花川を追い、彼女が見えなくなると、声を潜めて言う。
「ここに登録したときにも思ったんですけど、あの人の顔、めちゃくちゃ整ってますよね。スタイルも男ウケしそうだし」
めちゃくちゃなのか、整っているのか……。
げに鋭きは同性の目、というわけではなさそうだ。藤木モータースの純さんだって、あれから何も言ってこない。それほど花川の見た目は女性として完ぺきなのだ。
……となると、やはり嫉妬からくる、必殺ヤカラ飛ばし的な何かなのか。
「梅本さんって、あの社員さんと仲がいいんですね」
「うん? あぁ花川さん」
梅本は馬酔木に向き直って、コーヒーを口に運んだ。
「何だかんだで、ここに二年もいるから……。歳も同じで気安いってのもあるかな」
――ふっ、俺との関係を疑っているのか? それはちょっと見当違いだぜ、子豚ちゃん。
「俺だけが、ってことはないんだぜ。桔梗院くんだって、そうだろ?」
急に振られて慌てた桔梗院は、
「あの人、誰とでもそうですよね。話しやすいっていうか、どんな話題にも口を挟んでくるっていうか」
馬酔木に向けて言っているように聞こえる。
花川はヘルメットを手に、すぐに戻ってきた。
「ちょっと臭かったから、ファブリーズのサービス付きよ」
「そりゃどうも」梅本が顔を顰めると、桔梗院らは失笑した。
そのうちに、眼鏡の社員さんが青いトレイを三つ重ねて運んできて、カウンターにそれぞれ並べた。
トレイには各々の明細書と現金が載っている。一千と九百幾ら。今どき中学生の小遣いだって、もっと多い。しかも二千円ぽっちからも、きっちりと所得税が天引きされている。年末調整で戻ってくるのだとしても、これには物悲しい気分にさせられた。
しかし、そこに一々愚痴をこぼしていてもしかたない。感情を殺して受け取ると、すぐにポケットへ突っ込んだ。
「あの~私、ハンコを持ってきてないんですけど」言ったのは馬酔木だ。
「フルネームでサインしてもらえれば、けっこうですよ」
二時間ほど前のごたごたがあったせいか、利益の低い仕事をこなしてきた者に対して、親切な言い方だった。
梅本と桔梗院は慣れたもので、さっさとサインしている。
「それで、明日以降ですけど、何かいい仕事ありますかね?」
桔梗院はカウンターに身を乗り出し、花川に言った。そもそも、それを訊くためにここへ来たのだ。ずいぶん遠回りをさせられたものだ。
「あれってまだ人員決まってなかったっけ……」
あれ、でわかる者は、ここには花川しかいない。聞かせるような独り言だった。そう呟きながら、花川は思案顔でパソコンに向かい、キーを叩いた。
「あっこれ、女性限定のやつだわ」
「何の仕事ですか?」馬酔木が興味を示した。
「駅前でティッシュ配り。Tシャツと帽子貸与。十時半から十二時半の二時間だけ。こんなんだけど――行く?」
「駅前ですか……」
馬酔木は桔梗院を見上げる。目で会話して「……やめときます」と返事した。
人通りの多い場所で、知り合いに出会いたくない。ティッシュを配っている姿を見られたくない。そう思ったのだろう。――まだまだ青いね。
そこへ所長が立って来て「お疲れ様でした。突発的な仕事ですまなかったね」と声をかけてきた。
そして、梅本らからの反応を待たず、そのまま事務所のドアから出ていってしまった。トイレへ行くついで、といった感じだ。
所長はあいかわらずの不愛想ぶりだ。が、梅本はすれ違うときに睨まれたような気がしていた。
――まさか、花川とのことか? いや、知っているわけはないよな。花川は所長のどこがいいのだろう? 森くんは植草のことをまだ報告してないのか?
梅本は残っていたコーヒーを飲み干し、ヘルメットを取った。
「あれ、梅本さん、もう帰るんですか?」
カウンター越しに、花川のパソコンモニターを覗いていた桔梗院が振り向いた。
「あぁ、不動産屋に用事があったのを思い出したんだ。先に行くよ」サッと片手をあげる。「んじゃ、おつかれ。またな」
不動産屋の件で通じるのは花川くらいだが、桔梗院と馬酔木からは「おつかれっすー」以外には、とくにない。
花川は手をピョコピョコと振っている。
「また電話するからねぇ」
派遣事務所内なら、このセリフだけで深読みする者はいないはずだ。今夜も訪ねてくるのか、という意味で苦笑したのは、梅本だけだった。
階段を下り、歩道に出たところで、梅本はぞんざいにポケットへ突っ込んでいた金を取り出した。駐車場へ行きすがら、ちゃんと財布へしまおうと思ったのだ。
ただ、ヘルメット片手の歩きながらで、小銭が手につかなかった。そして地面に落ちる一枚の百円玉に、アッと声が出たとき、千円札までが手から離れていった。
舌打ちして屈んだ梅本を、あざ笑うかのような風が足元を駆け抜けていく。
風に浚われた千円札は車道へと舞い降り、ちょうど走ってきた車に轢かれた。……と、轢いた車を追うようにまた舞い上がり、次に来た車にも轢かれた。
梅本は、その様子を引きつれた笑みを浮かべながら見ていた。
――そろそろ真剣に就職活動をしてみるか。




