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「馬酔木さん、手先は器用なほうですかね?」
森くんがルームミラーにチラッと目をやって訊いた。
今さらそれを訊いたところで、どうしようもないと思うのだが……。
基盤の交換なんて作業は、配線を抜いて固定してあるボルトナットを外し、また元通りに戻せばいいだけだ。大変なのは、その基盤にたどり着くまでの工程。どれだけの障害を取り除かなければならないか。手が入りやすい所に設置されているか。そのへんのことが、まったく知らされていない。
梅本が知り合ってきた女性は、機械というだけで拒否反応を示す人がほとんどだった。車の運転免許は持っていても、なぜこの操作で車が動くのかわからない。ルームエアコンのリモコンは気安く使うが、どうして冷暖房できるのか知らない。ましてや、その頭脳であるコンピューター基板なんて見たこともない。室外機って何? といった具合だ。森くんが彼女だけに尋ねたのは、もしかして梅本と同じような経験からきているのかもしれない。
「前の職場で電化製品を作ってました。ハンダ付けとかもやってましたけど」
彼女はそう答えた。
彼女の白くて丸い見た目から、梅本は少し意外に思った。工作物に触れる機会があったというなら、彼女は大丈夫そうな気がする。
森くんも同じように感じたのか「そうですかぁ。じゃ大丈夫ですね。僕もよく聞いてないんですけど、扱う物がちょっと細かい部品らしいんですよ」
素人を集めて交換させるというのだから、大したことをするわけではないだろう。
梅本はダッシュボードのエアダクトに手を翳した。
「そろそろ、窓閉めない?」
そうですね、と森くんが集中スイッチで一気に全閉した。トヨタ アベンシスの車内が途端に静かになる。良い車だと梅本は思った。後部座席のことまではわからないが、車内は急速に冷えていった。
だが、目的地である総合病院はもう見えている。
――彼女はアセビというのか。そういえばカブラギ電気で一緒になったとき、ゼッケンに三文字の名があったような……。桔梗院のインパクトが強すぎて忘れていたな。もしかして、お互いの苗字をきっかけに親密になったとか?
彼女の胸の起伏が大きすぎるせいで、ゼッケンが歪んで、名前が読み取れなかったことを思い出していた。ちゃんと見えても、たぶん読めない。
梅本は漢字三文字の苗字に憧れていた時期がある。由緒正しいとかではなく、当時は単純に恰好よく見えたのだ。
だが今では、字画が多いと何かと面倒だし、習字のときの左下のサインは真っ黒になる。印鑑は特注だろうし、初めて会う人から一々読みを尋ねられて鬱陶しいはずだ、と思っている。
名前の話をすると……梅本が松コーポレーションにいたときには、事あるごとに松本と比較されたものだった。説教の最後には、決まって苗字から松と梅の序列関係を揶揄されるのだ。
蝦夷松部長も、その名に松の字が入っていることから、松本を依怙贔屓しているのではないか、と穿ち、ひねくれたこともある。
元々、植物の松竹梅に上下位はないはずで、ただ大昔の商売屋が特上、上、並の言い方を変わったものにしたかったにすぎない。一般的ではないが、梅を一番の高価格に設定している店もあると聞く。未だかつて、そんな素晴らしいお店に足を踏み入れたことはないのだが……。
やがて、四人を乗せたアベンシスワゴンは、病院へ到着した。
しかし、南病棟から近い駐車場に空きが見つからず、しばらく徐行して場内を巡ることになった。
「時間は大丈夫なんすかね?」と、桔梗院がその見た目にそぐわない言葉を口にした。
梅本は蝦夷松部長に叱られている光景を思い浮かべ、気を滅入らせていたので、そんなことは少しも気にならなかった。
――そう言や、急ぎだとしか聞いてないけど。
「それがまた……完全に遅刻なんですよねぇ」
後ろの二人が、エッと絶句した。
事前連絡なしに十分の遅刻をしたスタッフが、雇用主から「帰れ!」と怒鳴られ、素直に帰ったところ契約不履行で問題になった例がある。
当然、営業がすぐさま飛んでいって謝罪したそうだが、それでも収まらなかったので、所長が出ていき、違約金やら損害金の話になったそうだ。
「まぁ、所長から連絡がいってるはずだから、話は通ってると思うんですけどねぇ」
森くんの言い方は飄々としていて、軽い。その所長から森くんに連絡がないところをみると、今回はややこしいことにはなっていないようだ。
車はトロトロと巡ったあげく、目的の病棟からほど遠い所に駐車することができた。
全員が降車すると「あそこですね」と森くんが言い、梅本たちはうなずいた。気持ちは急いているはずだが、四人はぞろぞろと歩いた。
先ほどの例にあるように、これが一人のときで、遅刻の理由が私的な寝坊だったりするなら、こんな悠長にしていられないはずだ。
赤信号、みんなで渡れば怖くない、の境地か……。
現実だと、渡っていたところにダンプカーが突っ込んで来れば、集団であろうとも轢かれてペッチャンコにされてしまうわけだが。複数人で犯す違反のほうが、被害は大きくなるし、悪質だと取られかねない。
言い訳するのも、交渉するのも、社員任せにできる状況は、とにかく心強い。
「あっそうそう。サインは僕がまとめて貰っときますんで、心配しないでください」
――そもそも、サイン伝票を持ってきてないんだよなぁ。
南病棟へ入った四人は、ひと目見て患者らしからぬ集団を発見した。ロビーの端で突っ立っている。
森くんは梅本たちから抜きん出て、今さらながら小走りに行った。集団の中のベージュの作業着上下を着用している一人へ、手を揉み、申し訳なさそうにペコペコと挨拶している。
あの若さで、なかなか堂に入った遜り方をするものだ、と梅本は感嘆の声を漏らした。
「揃ったようですね。それでは移動しましょうか。会議室をお借りしていますので、そこで作業の説明と、本番に向けて練習をしてもらいます。では行きましょうか。三階ですのでついて来てください」
周囲に気を遣っているのか、小さな声だ。それに各々が小さくうなずき歩き出した。誰かさんが遅れたせいで時間がありません。急ぎましょう――とは言われなかった。
歩きながら数えてみると、今日呼ばれたのは八人のようだ。……ということは、ちょうど半数がドタキャンしたことになる。
「その内の二人は、連絡なしのバックレですよ」
森くんは梅本に耳打ちした。
――なるほど。あの場にいたカンネスの社員全員がピリピリとしていたわけだ。




